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T.Nishijima

Author:T.Nishijima
2010年2月に妻が脳幹出血で倒れる。2013年3月に白雪姫プロジェクトと出会い、積極的なリハビリアプローチを始めるため、その回復への道のりを記録しようと日記をはじめました。また、このプロジェクトの存在を知ってもらいたいと思っています。
http://www.shirayukihime-project.net/

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不純異性妄想
おでこを触ったら熱っぽい。でも目はパッチリと僕を見ている。でも、口はうごかない。なんだか、意味のありそうな目で僕を見ている。手をにぎりながら「今日はどうする?」と聞いてみる。なんかわからないけど、どうも一方的に妻には伝わっているような気がする。

熱を計ると37.1℃だった。まぁまぁ、大した事はない。これなら端座位をとれるだろう。まずはセブンのアイス珈琲だ。ミルクいれる?<パチリ>、シロップ入れる?<・・・>、でもなんかNOには感じない。もう一度訊いてみよう。ミルク入れる?<パチリ>シロップ入れる?<パチリ>ほらね。やっぱりそうだよね。この珈琲は、味がはっきりとしていて、ちょっと苦みが強いから、シロップ入れたいんだね。これになってから、両方入れるふうになったんだね。<ウン、というように、首を少し動かしながら、ゴクンとつばを飲み込む>・・・あぁ、飲みたいんだな。この病院にきて、2年間は口に何も入れられなかったけど、この刺激はありがたい。やっぱり口を、たった2滴、3滴であっても、使うか?使わないか?は、ゼロか1かの差がある。ゼロはいくら足しても、いくら掛けても、ゼロはゼロにしかならない。1までくれば、次は2までは行かなくても、1.05くらになったりする。たまには0.5に下がるときもあるけど、決してゼロには戻らない。そう思う。

ぼくは、この珈琲を口に入れた時に、妻が口を動かすのをみるのがとても好きだ。だって、動くんだから、大したものなのだ。ちょっと前までは、どこも動かなかったのだが、今は、珈琲を飲む前に「ゴックン」と唾液をだして、嚥下して、それで珈琲を数滴味わうわけだ。これは、すごいことだと思う。本当に嬉しい。

それから、今日はちょっと微熱の中、端座位を20分。新しいこと、という意味で、ちょっと不思議なユーミンの曲を聴かせた。yanokamiのアルバム「遠くは近い」に収録されている「瞳を閉じて
である。なんだか、不思議の国に迷い込んでしまったような感覚になる、このアプローチはびっくりするだろう。才能と才能のぶつかり合い、いや、解け合いってこんな感じなんだろうな。すごいなぁ。そこに言葉があるし、リズムもコード感もあるけど、どうも手を入れても、その音はつかめそうもない。そこにあると、思って手をのばしても、すっと蜃気楼のように、消えてしまったり、でもそこに映像は見えている、なんか実態があるのやら、ないのやら、浮いているような、でもよく知っている楽曲、その中に、矢野さんが弾いていると思われるリアルなピアノ。あー不思議。あー不思議。こんな感じを、目を閉じながら、どんな感じで、聴いているのかな?どんな感じ??

しばらくして、いったんベッドに横にもどした。なんか、へんてこりんな感覚の音楽を聴いたせいではないと思うけど、目をとじて開かなくなっちゃった。あれー?面白い世界なので、迷い込んで出てこれなくなっちゃったのかもなぁ。ちょとリアルに、高橋真梨子さんでも、聴いてもらうと横になって目を閉じている妻に、音楽を聴かせながら、熱は計り直すと37.2℃になっていた。微熱おばさんだね、などと声をかけながら、手足の爪を切ったりしていた。

高橋さんの声に、普通の感覚にもどったのか、気がつけば目があいていた。「清美、今日は車椅子はのらないで、この前の檀ミツの番組でも見よう。だって、この前は途中までだったろ?」そう、僕はもうちゃんと気をつけて、手なんかは握らない。大丈夫だ。DVDをセットして、最初から見始めると、お目々はぱっちり、なんかこのくだらないトーク、とても刺激的みたいだ。たぶん、檀ミツが出て来たのは、妻が倒れたずいぶん後の話だから、知らない顔だろう。でも、あのへんあ感じをすぐ嗅ぎ取って、面白がっているようだ。僕は、画面を見ないようにして、足下にまわり、足のマッサージをすることにした。これなら、大丈夫だ。

けっこう面白がっているようだ。これで、笑顔を見ることが出来る日がきたら、ぼくは気が狂うほど嬉しいだろうな。スジなし、だって、だんくぼ、だって、SMAPだっていいさ。気を狂わしてほしいものである。

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未分類 | 17:18:41 | トラックバック(0) | コメント(6)
ママ泣かないでね(GSM in KOUNOSU)


今日は、鴻巣でのきんこんの会(略して何故かGSM)に参加させていただきました。この会は、本当にすばらしいの一言です。タイトルは、みなさんの七夕の短冊に何を書く?というテーマの言葉の中のひとつです。あまりに素晴らしい言葉の連続で、選びきれなかったので、最年少の彼の短冊の言葉を今日のタイトルとしました。

他にも覚えている範囲でですが「心を大切に」「みんな一つの命」「よい光を!」「夢を広げよう」「僕も人間だ!」「愛する仲間たちよ・・・」「願いはありません」→改め「奇麗な声で歌いたい」などなど、この会に参加することで、本当に「深くて美しい言葉」=「心からの気持ち」を受け取ることが出来る。「みんな一つの命」は、いつもかっこちゃんが伝えてようとしている気持ちと同じことを言おうとしているのだろうと思うし、「願いはありません」は悲観的な言葉ではなくて、あるお嬢さんの作品を柴田先生が聞き取って、それを今日歌ったのですが、それで夢がかなっちゃったから、嬉しすぎて今年は、短冊にかく言葉がなくなっちゃった・・・という、喜びの言葉です。しかし、話をしているうちに、私もあの歌を歌ったお姉さんのように、奇麗な声で歌える日がくるといいなという願いになっていって「奇麗な声で歌いたい」という言葉が、会話の中でうまれて、今年はこの言葉を短冊に書きたいと言っていました(笑)なんて素直で素敵な言葉たちでしょう。

今日も本当に来てよかったです。昨日、妻に「明日は、埼玉できんこんの会があるから、それに行ってくるよ。だから、明日はこれないけど、明後日くるよ」と話したら、首を横に振られたので、じぇじぇっ!と思ったのですが「いやいや、ダメではありません。それは、きっとハイと言いたいのに、勝手に首が違う方向に動いたのでしょう」と妻に言葉を残し、サササと踵を返した。うーん。文章はむずかしい。これでは、理解していない冷たい人のようだ。でも、そうかもしれないし、ここではこれ以上、このことでスペースを取らないようにしよう。

で、今日も来てよかったという話の続き。
本当にすばらしい会です。何より当事者が主役とはっきりとしていて、相変わらず柴田先生は、ヘロヘロになりながらも、いつものポーカーフェイスでひたすら皆さんの言葉を通訳しつづけていました。

今日の参加者の中にHさんという男性がいました。ほとんどの方は、親子での参加ですが、彼らは夫婦でいらしていました。僕の涙腺はすでに他の子供たちの言葉でゆるんでいたのですが、Hさんの言葉で涙が溢れ出てしまいました。妻が言っていたことと同じ言葉が、そのままHさんから奥さまへ伝えられた瞬間だったからです。今、このような状態になり、大変だけどとても幸せだということ。そして、奥さまへの感謝。柴田先生が妻の元にいらしてくれた5月1日の、妻の言葉が重なるように蘇り、涙が止まらなくなりました。

あれからずっと毎日思っていたのですが、今日の皆さんの言葉、それとHさんの言葉が決定打でしたが、当事者のみなさんの心の美しさには必ず「利他性」が感じられます。人間という個性として色々なタイプはありますが、全員共通する美しさは「利他性」をもっているということです。

普通の人間(凡夫)は、利己的に生きているのが普通だと思います。そう思っている僕も、サラリーマン時代は特にそうだっただろうと思います。売上げをあげることは、他者より自分(自社)にお金を集めるための仕事をどうやってするかですから、特に男性社会はそのように成立しているのではないかと思います。

しかし、中途障害者であっても、生まれてからすぐであっても、障害をもつみなさんの言葉を聞いたとき、それは妻の言葉も含めるわけですが「利他性」へと心が純化しているのではないかと思うのです。

僕は煩悩の人で、そういう意味で煩人、、いやいやそんな字はない、凡人ですが、彼ら彼女たちは間違いなく、いつも他人を思い、他人の気持ちを見つめながら、そっと寄り添って生きています。このことを、いったいどれくらいの人が知っているでしょうか?それを実感している方々が、柴田先生やかっこちゃんや、今日の会を立ち上げたほりさんたちなのでしょう。

この方々は、それを当たり前に感じていらっしゃるのだろうと思います。こういった方々は他の方に対して、とても思いやりのある生き方をしています。この会から広げるべき事柄は、一言で言う事は難しいですが、この思いやりの心を広げるということだろうと思います。まずは参加するだけで、全員が心で受け取ることができるので、このことをもっと、しっかりと伝えて行きたいと思いました。

出産前診断の話が今日もテーマとして上がっていましたが、そこで語られることはとても大切なことで「人を排除してはいけない」ということです。排他的な精神は、とどまる事がないという危機感であるわけで、それは戦争にも繋がるということです。普通、凡人(凡夫)は「自分」と「その他」を区別して、自分を有利に、相手よりいい状態に、などと普通に差別しながら、自分は得をしたいというようなことをします。選挙を見ているとわかりやすいパターンが現れますが、様々なところでこのパターンは応用されています。

しかし「みなが一つの命を生きる」ということに、利己性、排他性はまったくありません。短冊に書く言葉の中で「絵がうまくなりたい」とか「奇麗な声で歌いたい」とかについて、自分のことだけを書くのが恥ずかしいと話していた事があります。それは、そこまではたまたま、全員のこと=利他性を語っているのに、自分だけのことをテーマにした言葉を言うのは少しはずかしいです、でもこの短冊には自分のことも書いてもいいと思って思い切って言いますと、勇気をもって話をしていました。この会に参加するみなさんは、本当に可愛らしくてたまりません。

生まれながらに障害を持つ女の子が、自分は最初から障害があると思われて生きて来たので、それは周りもわっているけど、見た目が普通なのに障害がある方は、周りの理解を得ることが大変かもしれないと気遣ったり、言葉を理解できるある男の子は、僕は愛想がよくて可愛がられるけど、言葉が伝えられない自分の仲間たちは、本当はみんな言葉がわかっているし、気持ちもたくさん溢れているのに、それを読み取ってもらえない障害者には、先生たちでさえそんな彼らには、自分より冷たい態度になると、とても悲しんでいました。

このような事実を、僕らはしっかりと受け止めて、次に何が出来るか?どう正しく伝えていけるか?を考え始めなくてはならないと思いました。彼らの利他性精神を正面から受け止めて、しっかりと向き合うことは、世界平和に通じる道であると思います。人間の根本煩悩である「自分」と「その他」を分けるという行為をもっとしっかりと考えてみる必要があると思います。自分とその他は、分ける事は当たり前です。ただ、そのことを一度意識する必要があると思います。自覚することで、排他性を今一度自問してみる。彼らはとっくに、そのことをやり遂げています。実は、変わらないといけないのは、僕らの方である事は間違いがないことだと感じました。

柴田先生は、そんな純粋な心と直接ふれあうわけで、すぐ先生の心も読み取られているわけですが、あれじゃぁ、排他的な精神が1mmでもあれば、みなそっぽを向いてしまいます。ようするに、一滴の不純物もない、健全な大人って存在するわけです。きっと柴田先生の奥さまも、かっこちゃんも、ほりさんも、お優さんも、アヤヤも、あの人も、この人も・・・・きんこんの会にはそんな人たちがたくさん集まります。

たまに僕のような、不純物も混ざったりしますが、それでも「きんこんの会」の純度は保たれながら、凡夫の心も純化していってくれるようです。一歩外にでると、すぐ不純バランスが増えるようにも思いますが、なるべくこの純度を保ちながら生きていけるように、努力していきたいと思います。


そう言えば・・・・そんなことを感じてる僕の純度はだいたい何%なのだろう?もしも、柴田先生がみんなに心を読まれているように、いつも妻に見透かされていたのかと思うと、ぞっとする。先日DVDで「だんくぼ」を見せたけど、檀ミツの胸に気を取られていたあの瞬間も僕は妻の手をとっていたように思う。

やばい。

明日は、気持ちを整えてから、手を握ることにしよう。

未分類 | 23:24:30 | トラックバック(0) | コメント(0)
へんなおじさんとシャボン玉


いつだったかな?病院の帰り道、アパートの前でシャボン玉やっていた子供が、手頃な大きさのシャボン玉の落下点にまわりこみ、上手に口を開けてパクリとやって、どや顔していたのを見た。そのことをFacebookに書いたら「シャボン玉、新しいことかも」みたいな書き込みがあって、とても気になっていた。

今日の妻の体温は37℃だったから、目が開きにくかったけど、セブンのアイス珈琲も美味しそうに舐めていた。しばらく帽子で顔や身体を扇いでいたら、熱もおさまって来たので、端座位25分、そしてお外にシャボン玉をやりにいった。今日は湿度もなく、風もあり、木陰にはいると涼しくて気持ちがいい。今日が休みなら、シャボン玉ホリデーだななどと、くだらない話をしながらシャボン玉をやった。

あれ?目がぜんぜん開いていないじゃない?そうだ、風を利用して顔にぶつけてやれ。かっこちゃんに作ってもらった、目の保護カバーをしていれば、目にシャボンが入る事もない。顔にシャボン玉がさわってパチッとはじけるなんて、刺激的だ。ワオ、上手く行った!どや!などと、声をかけるが「もー、うるさいなー。せっかく風の中で、人が気持ちよくゆったりと休んでいるのに。いい大人が、何やってんの?」・・・となんとなーく心に声が聞こえてきたように感じたのは気のせいだろうか。。。

はじめちゃったから、小皿についだ石鹸水がなくなるまで、ただひたすらシャボン玉をやりつづける。「清美、シャボン玉だよ。見て見て!シャボン玉ホリデー毎日!ほら顔のほうにいくよ、くるよ!ははは」これは傍目にみると、ちょっとアブナイ。へんなおじさんが独り言をいいながら、たまにヘラヘラ笑って、でシャボン玉やっているという、かなり特殊なシーンだ。妻が少しでもよろこんでくれれば、それでいい。しかし目はあかない。でも、やっていると僕はどこか楽しい。でもなぁ、、、そんな僕もやっぱりこういう人には声はかけないな。かわいそうな妻である。ま、出会いは運だから仕方ないね。諦めな!

未分類 | 19:45:13 | トラックバック(0) | コメント(2)
青空とへんな実験
最近、アイスコーヒーはセブンイレブンで買うようになった。この前、マクドナルドが込んでいて、あーあ、今日もジュースだなって思いながら、セブンにはいったら、挽きたてアイス珈琲が目に入った。SEVEN CAFEとか言っちゃって、美味しいのかな?とレギュラー100円を買ってみたら、びっくり美味しかった。なんというか、わかりやすい香りと、ちょいと酸味があって、これは妻の好きな味じゃないかな。今日は、ミルク入れる?シロップ入れる?と問いかけると、うまく最初は合図はできなかったけど、まばたきしてみて、と言うと、ちゃんとパチリと意思表示をした。では今日は、両方いれるのね?<パチリ>OK了解!そうしましょう。

スプーンに2〜3滴程度をすくい上げ、一度、このくらいだよと、妻に見せて確認。それから、口へもっていく。前歯の左側が2本、歯を切断されているので、これが都合がいい。ここに、スプーンの先を入れると、舌がそれを探り当てる。そして、自分から吸い込む。それで、とてもよく口を動かして味わっている。「美味しい?」ときくと、うんというような表情。これは、どうして「うん」と思っているのか?と問われてもわからない。しかし、きっとそうだと思う。

こんな、きっとそうだと思うようなこと。これは、何なのだろう?中には、確信に近くそう感じるときだってある。なんか、感情がリンクしてしまうときってないですか?何か、感情というのか?、気持ちが、同一場におかれて、顔をみていないのに、すぐにあいての呼吸が伝わってくるような瞬間ってあるますね。そう言えば、レコーディングなんかでも、よく感じていた。ミュージシャンの呼吸や、精神状態が流れ込んでくることがある。すごい微妙なことなのに、それがストレートに僕の中に入ってくるといった感覚だ。あぁ、そう言えば、それとよく似ている。その時は、ただわかってしまう、感じてしまうだけなんだけど、今考えると、これは何故なんでしょうね?

僕は「きんこんの会」が衝撃的すぎて、あれからずっとそんなことを考えている。今日も、エアー筆談をやるけど、最初ほどの反応はなかった。こいつ飽きっぽいのかな?贅沢な女だ。とか思いながら、やりつづけていたら、腰が痛くなったからやめて、本の朗読をひさしぶりにしようと思った。

妻はもう、目を閉じてしまっている。まぁいいさ。いつものことさ。そう思いながら、今日はへんな実験を思いついた。声をださないで、妻の手をとりながら、心の中で朗読してみた。こんなバカなことを実験する人はいないだろうね(笑)そう思いながらやってみたら、びっくり。目をすっとあけて、しっかり僕の朗読の間、目をパッチリとあけていた。偶然だろうけど、珍しい現象だな。目をまったりと閉じたら、あのツマラナイ攻撃はそう簡単に終わらないのだけど、今日は、スッと目をあけてパッチリ空をながめていた。今日の空は、夏の空だった。雲も夏の雲だったな。こんなへんてこりんな実験も、夏の空を眺めるのに役にたったなら、それでいいよね。

未分類 | 22:56:22 | トラックバック(0) | コメント(5)
エアー筆談!トライアル
今朝、病院に来たらベッドに妻がいない。スケジュール表を見ると理学療法の日だった。朝から車椅子でリハビリルームに連れて行ってもらっているのだ。本当にありがたいことだと思う。もちろん妻は動けないのだから、ベッドの上でもいいはずだ。しかし、皆があつまるリハビリルームに行くということは意味があると思う。雰囲気が伝わってくるし、それも一つの刺激である。

僕は個室より複数のベッドが置いてある部屋のほうがいいと思っている。これは奥沢病院の院長先生に前に言われたことですが、妻のような状態で個室にいると、まったく静かで刺激がない状態となる。奥沢病院の部屋は狭かったけど、院長はじめとして、積極的なムードが院内いっぱいに広がっていて、看護師さんたちもとてもテキパキしていて、なんか病院なのにプラスのエネルギーが漲っていて、その勢いでベッドの端っことかに看護師さんがぶつかったりして(笑)ガチャンとか聞こえたり、確認なども含めた、みなの声の掛け合いが気持ちよく響き、とても刺激的な病室だった。
実際、去年、僕自身もここに入院しましたが、とても快適でした。

妻の入院当初は、まったく壁打ちの連続の日々だったので、意識があると信じていても不安になることもあった。しかし、必ず妻には聴こえているだろうし、見えているだろうと思っていた。そう考えると、あの威勢のいいエネルギーに満ちた6人部屋は、妻にとっては最高の環境だったと思う。

宮ぷーは、最初は個室だからそれが最初は大変だったのではないかな?って思ったりした。しかし、強靭な精神と、ハーレムのふりしたスパルタのかっこちゃんとのタッグで、メキメキ回復して、今はあの個室の環境は宮ぷーにとっては、とてもいい空間だと思う。妻は今は4人部屋で、僕はぜったいにこちらの方がいいと思っていたけど、宮ぷーに会いに行って、それぞれの環境での良さがあるし、決めつけられるものではないなと思いました。ましてや、虎の穴のようなリハビリは、きっと4人部屋では出来ません(笑)

僕はいつも、書き始めてから、書き終わるまでに、書こうとしていたことがどんどんそれてしまう。今日は筆談について書きたかったのに、書き出しがなぜかこうなってしまって、タイトルとズレて行ってしまった。先日も書きながら、どんどん変わってきて、そうか僕はそんなことを思っているのか、、と思ってみたり、書き終わったらタイトルは関係なくなって、タイトルを考え直したり、めんどうだからそのままにしたりと、ずいぶん乱暴な話である。そうそう、朝から車椅子にのってリハビリルームにいたという話を書きたかっただけだった(笑)

それで、理学療法のリハビリが終わったのが朝の10:35分。せっかく車椅子にのっているので、そのまま少しお散歩にでた。11時からはお昼の経管栄養がはじまるから、それまでにはベッドにもどさないとならない。丁度、この時間だけ雨があがって、外に出る事ができた。ベッドにもどって食事が始まったら、きっと眠くなってしまうから、それから筆談の練習は難しいだろう。部屋に画用紙などを置いてきてしまったら、今からとりに戻るのも時間がなくなる。そうだ、エアー筆談をやってみよう!(やっと、予定の話題に着地!)と思って初めてみた。

昨日は、5分かかっても、一文字も現れなかった。このままだとまた僕が落ち込んで、やらなくなる。そこで一つアイデアが浮かんだ。僕の言いたい事を、エアー筆談パフォーマンスを行いながら、声をだして、妻に伝えるという方法だ。何の意味があるの?って思うけど、あまり左脳で考えてはならない。そう思いついたのだから、単純に実行してみることにした。インスピレーションなんて、こんなものだろう。

右手の甲を包み込むようににぎり、肘も支えて大きく空気に書きながら声をだす。
「こんげつは、むすこたちのたんじょうびだったね。らいしゅう、ゆうき、は、もとき、のアパートのしたのかいの、へやへひっこしをするんだよ。きょうだい、なかよく、やっていってくれるといいね。きよみの、たんじょうびのプレゼントは、もう、たおる、はいらないといったよ。つかいきれないからね。だから、かわいい、くつした、をリクエストしておいたよ。ひっこしで、また、おかねをたくさんとられたよ。ぼくも、すこしはたらかないと、いけないかもな。」などと、たいへん深刻な財政再建問題を含めた話題を、パフォーマンス付きで会話した。それにしても、えへん、えへん。エアー筆談であれば、僕だってシュシュシュッ!である。

このエアー筆談、しばらく続けてみようと思う事があった。グイグイ書いていると、ところどころで腕にはっきりとした力を感じる時があるのだ。実は自分の言葉を書きながら、妻のへんじも書いたりしていた。それは「兄弟仲良くやっていってくれるといいね」という台詞は、なんとなく妻が感じているのではないかな?って思って、そう書いてみた。そんな、一人芝居を二人で演じているわけだけど、そんな動きの中で、グッと腕に力がはいるシーンがはっきりとあった。それも、かなり頻繁に感じるのだ。

これは、面白いレッスン方法かもしれない。妻も、面白がっているように感じた。あの、目を閉じてしまう必殺ツマラナイ攻撃は今日は避けられた。しっかりと目を見開いている。興味津々といったムードだ。多少、力を感じたから何なのだ・・・と問われると「何でもありません」と謝るしか無い段階である。しかし、なんかこれ、面白いかもしれない。そう感じた。

公園での時間は20分しかなかったから、エアー筆談を10分、背中をおこして10分で、あっというまで終了。ベッドにもどり、すぐ経管栄養がはじまる。しばらく、DVDに録画して見せていなかったテレビ番組を、食事中に見せる事にした。ごろ寝して、食事しながらバラエティ見て、マッサージをうける女。これは幸せかもしれない。。。などと思いながら「だんくぼ」を見せた。妻は檀ミツは初めての顔だと思う。あのエロさをどうとらえるのだろうか?筆談が出来るようになったら、感想をきいてみよう。3年先までこの質問を覚えていればの話だ。

エアー筆談は、空気に書くので、大きく大胆にエイヤっと文字を書いた。
文字の大きさは画用紙一枚に一文字くらいの大きさである。エアー筆談を実際の画用紙でやる快感を覚えたら、財政難を招く恐れがあることを一言付け加えておこう。たとえ財政難になっても当局に一切の責任はない。それぞれの責任において、気をつけて実行していただきたい。

未分類 | 13:33:21 | トラックバック(0) | コメント(0)
歌声が届く場所

最近「奇跡の脳」を読んでだり、唯識を勉強したり、静功(呼吸法・瞑想)をしたりと、その総合的な感覚として思っていましたが、昨日の「きんこんの会」に参加してますます思いをつよくした事があります。やはり、情報が伝わる形、脳のどこの部分を通過して伝わるタイプの情報なのか?によって、表現が出来たり、出来なかったりするのだろうということです。

妻の場合、言葉でものを考えて、その内容を理解して、その言葉に連動した動きを作り出すということが出来ません。とても苦手です。しかし、最初に顔をあわせたときの挨拶。帰る時のバイバイの挨拶。これだけは、しっかりと首を動かしたり、まばたきをしたりして、返事をしてくれます。これは、当たり前の礼儀であって「言葉」で考えるとかいう以前の動きで、生理的な感覚=「動き」という具合に直結しているように感じます。ようするに「言葉」を経由していません。思考を言語化した信号を処理して、理解して、その情報を運動に結びつけるというこは苦手なのですが、もっと直接的に感覚として処理できることは、首を動かしたりすることに直結するというようなことではないかと思うのです。

そういう意味では、あかさたなスキャンは「言語」を意識しながら、それを動きを連動させるというもっとも苦手な仕組みなのかもしれない。このところの、色々な反応や手応えを得て「今でしょ!」と力を入れて作った<あかさたなスペシャルボード>は、どうも出る幕がなさそうだ。こういうことろは、あまり引きずらないで、さっさと方針を変えてしまえばいいと思う。

昨日の「きんこんの会」で、もう一度やってみようと感じた「筆談」、この方法は、もっと直接的で感覚的なのだ。文字を言語で考えるわけでなく、身体が文字を覚えていて、その文字を動きを含めた<何らかの方法>で伝達してくるということだと理解できた。こちらがその信号をキャッチできるようになれば、そちらのほうがより直接的で、それが文字の表現に繋がる可能性があるのだ。

これからは1日5分でも、毎日トライする時間を作っていこうと思います。とにかく「3年で目指せシュシュシュッ!」を合言葉に、やり続けてみようと思っています。

今日は、友人二人が妻を見舞いに来てくれた。一人は24年前に家に遊びに来たので、妻とも面識のある作詞家の純子さん。もう一人は、僕をかっこちゃんの講演会に連れて行ってくれた歌手の下成佐登子さんだ。僕は二人に昨日の「きんこんの会」で経験した話をしたり、上記のように「言語」で考えることではない感覚的なことが大切なこと。そしてお優さんたちが来たときの刺激が、どれほどすごかったかという話をした。ベッドの両側でステレオ生声ハーモニー、それに足の間には“体当たり”の赤ちゃんがつぶらな瞳で妻を見つめながら手足をバタバタしているのである。イメージしたみただけでも、すごいですよね(笑)こんな刺激的な世界はアリスワンダーランド以上だろう。

今日は外は風が気持ちよいから、端座位あと車椅子にのっていつもの公園に出た。あのお優さんたちの歌声はとても気持ちよかった。せっかく歌手がきたのだ、ここでもおねだりしておこう。「下成なんか歌って」と僕。純子さんは「そーよ。歌いなよ。」とすぐかぶせて来た。いい感じだ(笑)この自然な流れが大切なんだよな。これはもう歌うしかないわけです。こんな流れを妻の脳内に作り出せれば、それが自然と動きに繋がるのだろうと思いながら「何歌う?」と追い打ちをあびせる。下成さんは「清美さん、ユーミン好きなんだよね。じゃ、卒業写真」といって、歌ってくれた。妻はとても気持ち良さそうに歌を聴きながら風に吹かれていた。もちろん僕は「次は何歌うの?」と、その自然な流れは止めない(笑)2曲目はとてもいい歌だった。「下成、この歌なんていう歌なの?」「糸」「ふーん。いい曲だね。誰の曲なの?」「え?それはねぇ。まぁ、えーっと」というようなやり取りがあってわかったのだけど、中島みゆきさんだった。さすが、いい歌を書く人だ。僕はとても好きなのですが、下成さんもこの歌はとても好きなのだろう。「清美、どうだった?下成の嫌がらせ。面白かった?」「えー、西嶋さん、嫌がらせなんかじゃないー」(爆)そんな僕の嫌がらせのパターンを知っている妻は、気持ちよさそうに歌と会話を楽しんでいた。

ベッドにもどって、二人が先に帰ったあと、テレビを見せようと体勢と整えたが、テレビを見ていない。テレビ好きな妻にしてはめずらしい。目もパッチリあけたまま、なんか考えているようだ。「あれ?清美、テレビ見ないの?」「うん」と言うようにすぐに首をうなずくように動かした。こんな事もあるんだな。歌の余韻を自分の中で楽しんでいるようにも見える。

生の歌声は感覚を直接に動かしてくれるのだろう。歌声が届く場所は、上側頭回だけではない。ジル・ボルト・テイラーが言うところの、右脳マインドとよんでいるような場所、それはきっと「心」ということなのだろう。右脳を経由して、自然な流れの中で「心」に直接働きかけたときに、レスポンス(動き)もすぐに起こってくる。

今日の結論:歌声が届く場所は「心」・・・なんか、とても当たり前の話だな(笑)

未分類 | 23:13:15 | トラックバック(0) | コメント(1)
頑張れシュシュシュッ!(in GSM)
「きんこんの会」というのがあります。障害をもった人たちのコミュニケーションの場なのですが、会のネーミングは<鐘が響き合うように、当事者たちの気持ちが響き合い、その響きが世の中へ共鳴してゆくように>というような意味だったと思います。妻は連れてくることは出来ませんが、今日は午後の本会議の前、午前中に、コミュニケーションについてのワークショップがあったので、午前から参加させてもらいました。

柴田先生たちは、とても不思議な方法でコミュニケーションをとりますが、あれは僕もわかるような気がするのです。なんというか、気持ちが同一の場所におかれたときに、感情が流れ込んでくる時があるのですが、その状態なのではないのかな?と思うのです。面白いことに、当事者のみんなは、その同一場にある意識を共有するように、相手がもっている言葉を利用したりもしているようだ。あれは面白い方法だし、あの方法を習得できれば、それはとてもいいと思う。しかし、どうやればいいのやら、まったく分からない。

きんこんの会が素晴らしいのは、主役がはっきりとしているところです。もちろん主役は障害をもっている当事者です。そして柴田先生は彼らにしっかりと、こき使われているところが、なんとも微笑ましい(笑)柴田先生は仕える身となり、言葉を拾い上げながら2時間半以上、媒体に徹してしゃべり続けるのです。僕は椅子に座って見学しているだけですから、柴田先生本人はとてもハードで大変な一日であるわけですが、あの飄々とした風貌と語り口で、なんか笑ってしまうのです。こんなところも、この会をとても魅力的にしていっているのだと思います。とにかく柴田先生たちは、すごいことをしているわけです。

本会議でのテーマは「出生前診断」について。この内容も、当事者の中から司会者を選出し、司会者が決めて話をスタートしました。この内容については、きんこんの会から発表されるでしょうから、ここでは割愛します。しかし、素晴らしく内容の濃い話し合いでした。


では、午前中のワークショップについてです。
コミュニケーションの方法はいくつかあるわけですが、午前は筆談をメインに話をすすめていました。このブログにも書いたように、どうも筆談は難しくて、僕には出来る気持ちが湧いてきません。お優さんや、アヤヤは素直に汲み取れるその動き、感情を、僕はどうもキャッチできない。そんな僕は午前中のワークショップに参加してぶっ飛びました。

確かにどんな力自慢も、腕相撲でも、プロレスでも、、、どんな世界にも上には上がいるものです。しかし、たまに想像を超える人っていますよね。僕が考えていた“筆談”というイメージは、かる〜くぶち壊されました(笑)僕が考えていた、僕の中の常識的なスピードは“早くても”3秒に一文字くらいの感覚でいました。なんせ、僕自身はビタッと筆が止まったままだから、5分経って文字は現れません。ところが、今日のワークショップであった、あるお母さんは、僕の考えるスピード感覚の“天井”を秒速で突き抜けました。そしてロケットのようなスピードで僕の脳天はぶち抜かれました。

なんというか、当人の右手にペンを持たせて、それをしっかりと右手で包むようにした瞬間から、シュシュシュッ、タタン、トトト、シュシュ!!ってB4程度の大きさの用紙1枚につき、たぶん約20文字前後を7秒くらいのスピードで書き上げていく。それも連続してページをめくりながら本人が送ってくる文字の感覚を綴り終わるまで、それが止まらない。右側に立ち、息子さんの両腕の間に左手ついて、ちょっと不自然な自分の体勢を支えて、右手を自由に動かせるようにして、右足はスッと伸ばして、左足の膝を少しまげてつま先をちょんとつくような、いかにもいつもやり慣れいることがわかる。見た目的にもスマートでスタイリッシュだ。文字を書くというと、普通はスラスラスラと言うわけだけど、今日のそれはちがう。シュシュシュッ、タタン、トトト、シュシュ!!なのである。これにはぶっ飛んだ。

そのカッコイイお母さんに、こんな事になるまでには、いったいどれだけ時間がかかるのか?と、伺ったところ、3年くらいたったら、こうなっていたということだ。ふーん、3年か。毎日やり続けて、3年あれば、シュシュシュッ!であるのなら、やってみたいなと思った。僕には無理だと思っていたけど、目の前のニンジンは大切だ。僕は唯識で、すぐに持ち上がりそうになる欲望を押し込めようとしているクセに、欲望を鼻先に吊るして、もう一度やってみようとすぐに変わるのだ(笑)所詮、凡夫とはこんなものである。よし、凡夫よ!頑張れシュシュシュッ!と、明日から変身することにしよう。

<きんこんの会> 今日、みなさんの話を聞いていて、とても清々しい気分になった。なんというか、森とか神社に行ったときに感じる、気持ちよさだった。それで思ったのですが、これは黄金のように輝く魂の会・Golden Souls Meetingなのだなって思いました。きんこんの会、略して、GSM・・・きっとこの呼び方は定着しないな。。。


未分類 | 19:41:02 | トラックバック(0) | コメント(2)
夏至
ここのところ、妻の動きがにぶい。お優さん、アヤヤ、赤ちゃんトライアングルが来たときは、その刺激ではっきりと動きが見える。しかし、また停滞する。なんか、このダラダラした湿気をもたらす、梅雨前線のように、行ったり来たりである。

今日は夏至。太陽が北回帰線上にあり、北半球では一番日が長く、夜が短い。いつも思うのですが、何故、一番日が長いこの時が「真夏」ではないのでしょうか?一番日の短い「冬至」のときが、何故「真冬」ではないのでしょうか?だいたい、そこから1〜2ヶ月過ぎた頃が気温のピークとなります。太陽の位置から考えると、今日がピークでこれからは冬へと転じて行くのですが、温度的な現象としては、これから真夏を迎えます。この読み取り方が、兆しを感じ取ることで、それを易経は2500年前に自然から読み取っていて、それを人間の人生や戦争などの現象にも置き換えて物事を見通す術としています。

易(えき)は窮まれば変ず。変ずれば通ず。 通ずれば久し。(繋辞下伝)

陰が極まれば陽へ向かい、陽が極まれば陰に変化をはじめる。
冬が極まれば夏へ、夏が極まれば冬へと向かう。

この梅雨が明けてからが、夏本番となるわけですが、もう日照時間のピークは過ぎていますよと、それはわかっておきなさいねというのが、易の考え方である。それは物事は「行き詰まることなく、変化しつづけていく」という本質を見抜いている言葉だと思う。

回りくどい(笑)
人生の光と影、夏と冬も同じことが言えるのだろう。妻の動きが鈍い。しかし、倒れた当時の真っ暗な闇の中ではない。倒れた時に僕が瞑想の中で得た卦は「澤水困」の第1爻:尻、株木に困しむ、幽谷に入り、三年見ず・・・だったが、その3年を懸命に生抜き、今は光の中にいる。見た目は一進一退だが、その本質、毎日の生きるという「質」がガラリと変わったきた。僕も壁打の毎日から、まばたきとの会話へと転じて毎日を楽しく過ごしている。ぐいぐいぐい、ぐいいーんと腕に力が入る日もあれば、目が開かない日もある。しかし、その本質はしっかりと変わり、僕らの冬至はすぎて人生第二回目の夏へと向かっている。見た目は真冬を超したあたりだけど、今の本質は2ヶ月先の気温にあたるのだろう。

くどい(笑)
何故、真夏は2ヶ月ずれるのだろう?
毎日の温度のピークも正午ではなく、その1〜2時間あとになる。この時間差は、太陽が地面や海を照らし、その熱で空気の温度を上昇させるという原理に時間がかかるからだそうだ。このもっと大きな意味での季節の変化も、この理屈で1〜2ヶ月の差が生まれるのだ。さらに面白いのは、海は陸にくらべて、暖まりにくく、冷めにくい。このため、内陸部は7月、沿岸部は8月がいちばん暑いそうだ。

さてさて、妻の「時間差」はどのくらいなのかな?脳のシナプスの新ルートの定着・整理も含めて、眠りを味方につけて、変ずれば「通ず」=成長していくのだ。そこの、ちょっとした時間差を、ゆっくりと眺めて行こう。

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右脳の女(ひと)


午前中に100円ショップへ行って、ホイッスルを購入。それとこの写真の、あかさたなスキャン用、スペシャルボードを制作した。昨日の、あかさたなへの意欲をもう一歩進めたい。妻の動きに触発させられて、将来のレッツチャットへとつなげるために、文字の配列は同じにして制作した。そろそろこういうボードがあるといいなと思っていたので作ったのですが、これが今日はぜんぜん目があかない。熱があるわけではない。30分の端座位はいつも通りにやってから、車椅子にのったら“おやすみモード”になった。外にでても暑すぎるし、部屋の中だとつまらないのかな?

いつも、いつも、一歩前進、一歩後退、そして気がつくと半歩は前に出ていたりするけど、、、という繰り返しだ。根気強くいくしかない。

こう言う日はテレビに限る。どうせ、テレビを見せ始めればすぐ目はパッチリとあくのは知っている。今日は車椅子も30分でベッドに戻った。途中からだったけど、ドラマを見せ始めたら案の定、お目々パッチリ!この右脳女め、正直すぎる(笑)今日のところは、このくらいで勘弁してやることにして、退散することにしよう。また計画を練るのだ。

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”体当たり”の余韻
今日は病院へ到着が遅くなったからか?いつもより動きがよくない。やはり、リズムというのが大切なのかもしれない。妻の中で、パワーを充実させているタイミングがあるのかもしれない。そんなことを感じながら今日はアップルティーでスタート。

これ美味しいよ、飲んでから端座位やろうね。<パチリ>一口のんでから、美味しい?と聞いてみる<パチリ>良かった。じゃ、もう一口飲む?<パチリ>・・・と、まばたきの調子はいい感じだ。本当に、この3年ほどは壁打ち、素振り、シャドーボクシング、何と言えばいいかわからないけど、そんなのをやり続けて来たから、このレスポンスは本当に嬉しい。

なんかだるそうだけど、端座位やるけど大丈夫?この端座位が今の君の回復を支えていると思うんだ。だから、なるべくやりたいんだよ。<パチリ>OKじゃ、もう一口やってから座ろう!こうして、今日も30分端座位をとった。最初は5分からはじめたけど、すぐ10分に、こうして5分づつ時間を伸ばしていって今は30分だ。僕が疲れているとこれが20分になる(笑)

今日は時間が遅かったから、車椅子にのるタイミングを逃してしまった。さて、何をやるか?アップルティーを飲んだから、甘かったからまず歯磨きね。。と歯磨きをしていたら、もう処置の時間になった。スピードアップして歯磨きをして、あわてて、口を拭いた。処置後にもう少し何かやりたいなと思って、スイッチかな?筆談トライアルかな?と思いながら、今日は右手を握りながら、言葉で、あかさたなスキャンをやってみることにした。これも「新しいこと」かな?とやってみる。

「あ、か、さ、・・・」ってやるから、合図ちょうだいね。・・・と、やってみるのだけど、合図のパターンが色々すぎてわからない(笑)妻も「何故わからないの?」ともどかしいようだ。それで遂に、口をモニョモニョしはじめた。今日のスタートは口も動かせなかったのに(笑)何で、今頃そんなに口動かしているの?と聞いても、なんかもどかしそうな顔と目で理解を求めてくる。しかし、やっぱり僕にはわからない。あぁ、それ「あ」でいいのかな?<違う!>と首を振る。ハハハ、わからないのもいいね。お前、ずいぶん口動かして、首うごかしているよ(笑)

そろそろ、本気で、あかさたなスキャンの練習の時期が来たのかもしれない。色々合図をだすけど、まず合図のルールを決めてみようと、まばたきを「いち、に、の、さん」でパチリとやってとルールを決めてやってみるのだけど、1・2・の・3・・・パチリ、とタイミングはあわない。はい、もう一度やってみよう!とやると、今度は1・2・「の」のところで、パチリとする。なかなか大変なんだな。しかし、急には出来ないよ。それでいい、いきなり出来る方がおかしい!大丈夫!出来なくて当たり前だよ!と声をかけると、違う違う・・・と首をふる。ウーム。僕のうけとりかたとの、すれ違いは、かなり動きを誘発したようだ!OK!今度は、透明なボードにあかさたなを書いてもってくるね!ばっちりー!、、とごまかして今日のところは終了。

きっと、昨日の“体当たり”トライアングルが、右脳を直撃して、その“余韻”が彼女の中に今もあるようだ。ぼくも、そんな感じがある。この“余韻”は右脳に残っているのではないか?それで何かが起こり始めているのではないか?だから、興味があること=あかさたなスキャン、、とかに、すく素直に反応したのかもしれないな。この素直な怠け者は、素直な興味には反応するのだ。それで、口もこの時は、すごく動く。きっと左脳で考えても動かないのだ。そう感じた。右脳だと素直に感じて動く、イメージして眠る、脳がパターンを整理する。そんなことが、少しづつ妻の頭の中でおこっているように感じる。毎日が発見の連続だ。変化があることは、とても楽しい。

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必殺!“体当たり“トライアングル
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今日は、必殺軍団が妻に会いに来てくれました。
ジャン♪ “体当たり”のお優!
ジャン♪ “体当たり”のアヤヤ!
ジャン♪ “体当たり”の赤ちゃん!
ジャン♪ 三人揃ってー、体当たり〜、トラーイアングール!!
ゴゴゴォォー、バーン

・・・もちろん、妻も僕も吹っ飛ばされました(笑)

この前、かっこちゃんと話をしていたときに、無意識領域での繋がり方とFacebookについてのイメージという話になって、お優さんがスッと繋がることができるのは、そんなイメージなのではないか?という話になった。僕はすんなりと理解できたのですが、それはちょうど「奇跡の脳」を読んだり、「唯識」の本を読んだり、「ホ・オポノポノ」の本を読んだり、ニュートンで先日「生物とは何か?」という特集がありましたが、そんなのを読んだりしていた時だったので、それを総合すると、かっこちゃんの言うことと、それらの本から読み取れる共通したものがあって、それがリンクしてすんなりと、あぁ、僕もそう思います。。。という話をしていました。

しかし、どうも僕は左脳人間で「自分」という囲いの中で生きているので、なかなか妻の意識に繋がれないのかな?と思う事がよくあります。柴田先生や、かっこちゃんや、お優さんは、そこをスルッと通りこしちゃっていて、右脳の世界ですんなりと、色々な人につながっちゃうのかな?って感じます。

今日の軍団はすごくて、いつものように筆談をしてくれたのですが、それはいつものように、すっと色々と引き出してくれていました。アヤヤは妻の好きな色を聞きたくて、聞き出してくれたり、すきな食べ物を聞いたりしていました。それはスムーズに正解を導きだしていました。僕は知っているので、“体当たり”の赤ちゃんを抱っこしながらそれを眺めていました。好きな色は、青が強い紫なのですが、そんな難しい答えはできませんので、「あお」と答えていました。そして「き(黄)」です。妻は紫陽花がとてもすきで、病院そばの紫陽花を見に行ったのですが、それがこの写真です。この色の青紫が妻の好きな方向の色で、このもっと淡い色がもっと好きだと思います。

処置の時間が近づいて来たので、ベッドに戻ることにしました。そこで、アヤヤが妻に歌を披露してくれました。とても奇麗な声で、その響きに癒しが自然とあるタイプの声で心地よいのです。病室で歌を歌うのは他の人もいるし大丈夫かな?と少し思ったのですが、声が出た瞬間に僕も気持ちがよくなったので、これはきっと全員がそう思っただろうと思います。これも、右脳を刺激します。人には好き嫌いがありますが、アヤヤの声を嫌いな人はいないでしょう。ベッドで妻の左耳側でアヤヤが歌います。2コーラス目にすっとお優さんが妻の右耳側に移動しました。そうしたら、2コーラス目はハーモニーがつくのです。これまた奇麗な声でびっくり(笑)妻はステレオでハーモニーを聴くのですが、かなり気持ちが良かったと思います。“体当たり”の赤ちゃんは妻の膝の間に妻の顔をみるようにすっぽり座っているのですが、これがこの歌の間はピタリと動きを止めて、聴き入っているのです。赤ちゃんも気持ちよさそうです。ステレオでハーモニー、目の前には赤ちゃんです。妻はうっとりしています。これは五輪書にも書かれていない秘伝の奥義「必殺“体当たり”トライアングル」という技で、赤ちゃんがいる時にしかできない特別な技です。

アヤヤが演歌ならもっとレパートリーがあるというので、妻がカラオケに行くと必ず歌っていた「天城越え」をリクエストしました。赤ちゃんは演歌があまり好きじゃないようで、バタバタしはじめました。なるほど、もう好みがはっきりしているのだなと思いました(笑)

今日は端座位を30分やったあとに、マッサージ30分、それから車椅子1時間(この途中でお優さんたちが来る)、ベッドで必殺トライアングルを処置をはさんで1時間という、かなりハードな3時間だったのだけど、まったく目を閉じることがなかった。

お優さんが帰り際に「清美さん、また赤ちゃんも一緒に来ていい?」と尋ねると、瞬発的に「う」と唇と尖らせた。これはもちろん「yes」という意味だ。こんなに明確に、すぐに回答をくれるのは初めてです。きっと、倒れてから初めて感じることのできた、あっという間の楽しい、刺激的な90分だったでしょう。ありがとう必殺右脳刺激軍団!またお待ちしています。

info :7/13(土)14:00〜 日野市民会館 映画「ゆずり葉」上映会 
http://besmilepresnts.web.fc2.com/  お優さんが司会進行 

このお優さんたちのパワフルな動き方にはびっくりします。
これも右脳がなせる技なんだろうなぁと思います。


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ぐいぐいぐい、ぐいいーん!


ほぼ、毎日アイスコーヒーだ。「ほぼ日アイコー」とでも呼んでおこう。
毎日シロップを入れる?ミルク入れる?と質問することにしている。最近気がついたことがある。一昨々日は<シロップ&ミルク> 一昨日は<シロップ>オンリー、で昨日は<ミルク>オンリーである。そうです、僕のマンネリ「ほぼ日アイコー」を、妻は味に変化をつけながら楽しんでいるのです。毎日、トータル6~8滴ほどの楽しみですが、ちゃんと楽しんでいる。これは、間違いないことです。

そして今日はマクドナルドが混んでいたので、ジュース。病院で買えばいいと思い手ぶらで病院へ行き、買う前に妻に訊いてみた。ジュース何がいい?オレンジ?<無視>グレープ?<無視>グレープって、ぶどうね<パチリ>あぁ、そう。もう一度訊くよ、ぶどう?<なんか微妙な表情>ふーむ、よくわからない。じゃぁ、僕に任せてくれる?それで、よければ「う」ってして。・・・「う」・・・わかった、じゃ任せてね。

実は病院の妻のフロアーの自動販売機には、オレンジ缶ジュースとペットボトルの白桃ジュースしかない。ぶどうジュースは病院から少し歩いたところにある。任せてくれることになったので、白桃ジュースにした。今日は「ほぼ日アイコー」ではないので、この味の変化も楽しんでいるようだ。美味しそうに口を動かす。指でも腕でも首でも、どこでも「動く」ことを発見するととても嬉しい。一昨日は、軒下でちょっとしたパフォーマンスを見せてくれたが、今日は、さらなるサプライズを用意してくれていた。

妻のベッドは部屋にに入ると右側手前で、頭は壁側にあるから、自然とまず左手を握ることになる。いつものように挨拶がわりに妻の左手を軽く拾い上げるように持ち上げようと思ったら <ぐいぐいぐい、ぐいいーん!>・・と、上腕に力をいれて、下向きに、僕の手を押さえつけるように“力”を入れたのだ! それがすごく力強かった!「すごい、すごい。お前、本当に毎日すごい!」と興奮しながら話しかけていたら、もう一回だけ、最初ほどの力ではないけど披露してくれた。これはずいぶんと意識的で、きっと僕をびっくりさせようと計画していたのではなのか?妻からの父の日プレゼントだったのかもしれない。

それにしても、本当に凄い。
この喜びは、毎日病院に来て、リハビリをして、それで感じることの出来る喜びだと思います。色々な状況がありますので、なかなか毎日病院にくることは、90%以上の方は出来ないのではないでしょうか?そういう意味で、僕も妻も幸せ者だと思います。その上、いくら壁打ち、素振り上手な僕でも、やはり、こんな変化があると、飛び上がりたくなるくらいに、嬉しいのです。あのゴッドファーザーのマーロンブランドみたいな、すごみのある、塗り壁のような無表情な顔をしておいて、なかなかシャレたサプライズを用意してくれる。

端座位での首の角度も、日々、妻なりに研究しているようだ。トライゾーンを設けて、どこまで首を支えられるか?を試しているようです。なので、最近はフォローをしすぎないように気をつけています。首がカクンッといっても、それはそれでよし!というスタンスで、特訓をしています。そう言えば、端座位をとるまえに、体を起こす為の体制を整ええようと首を動かそうとしたとき、しっかりと首に力が入っていて、首の向きを変えにくかった。首がガッチリして動かないのです。今、文章にしていてわかったのですが、これも、わざとやってみせてくれるのかもしれません。「ほら、首、こんなに力が入るんだよ」と無言で言っているのかもしれない。本当に、毎日が面白い。

本当に、白雪姫プロジェクト、かっこちゃん、宮ぷーとの出会いは、僕らの人生を変えました。知らないままなら、まだ座る事も出来なかったでしょう。ましてや首を自分で支えるなど想像もできませんでした。端座位が今の妻の回復力を後押ししているとしか思えません。座る事の大切さを、かっこちゃんが力説していたことが、今は体験してよくわかります。その成果は確実に出て来ます。このことは声を大にして伝えたいと思います。

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軒下ヒーリングミスト


今日は熱もないのに目があかない。どうするの?と尋ねると、うっすら目をあけて、弱々しく「う」とだけ答える。行くの?と訊くと「い」。あぁ、続けてやるの大変なんだね。「う」「い」じゃ、まるで酔っぱらいの僕みたいだぜ。逆だよ。「い」「く」だろ?続けてやるのは難しいんだね。<パチリ>、、、と、こんな具合である。しかし、車椅子には乗りたいとの意思表示だ、はい乗りましょう。

鬱陶しい梅雨も、僕らには恵みの雨。なんと言っても、暑くないのが一番だ。「ザー」というより、「サー」っていう雨音が、気分的湿度を和らげてくれる。それに今日は風が気持ち良い。病院の入り口の軒下、細かいミストが風に運ばれしっとりと顔を潤す。濡れるというほどではないから、ここでいいや。

あのね、陰暦ではこの時期の梅雨が五月雨なんだよ。「さ」は田植えの意味もあるんだってさ。陰暦五月、当時は今より一月遅い、この時期が田植えのタイミングだったんだね。「さ」はもちろん五月の「さ」でもある。「みだれ」は「水垂れ」で“雨”のこと。「さ」は、田植え、旧暦五月、の「さ」、そして雨、どこまでも日本語は、同じ音で構成された言葉の共通性を大切に遊ぶ。それが、オヤジギャグと言われる、駄洒落やスポーツ紙のタイトルまで続いているのが日本文化かもな?などと、意味不明な理論を展開しながら会話をしていたら、妻の左手が急に動き出した。
https://www.facebook.com/photo.php?v=475422229202097
すごいすごい!目をつぶって、気持ち良さそうに、風に吹かれている間も、一人で特訓をやっていたんだね!すごいね!これ「新しいこと」かも。左手に意識を集中していて、きっと僕の理論的、学術的なお話は聞いちゃいなかったんだな(笑)、それでいいさ。僕は素振りには慣れている。六月の五月雨に、話し続けて、言葉は雨の音に吸い込まれて行く。それでいいのだ。

じぇじぇ!軒下デートは気がつけば一時間。
いけね、処置の時間だ!・・・あわてて、ベッドに戻り、ぎりぎりセーフ!

未分類 | 21:49:54 | トラックバック(0) | コメント(0)
おしゃべり&すっきりショートカット
今日は朝9時からヘアカットをしてもらった。毎月1〜2回、美容院の人が病院にくる。事前に予約をとって、散髪してもらうのだ。妻はだいたい、1ヶ月半〜2ヶ月に1回くらいのペースでヘアカットをしてもらっている。月曜日はお風呂の日なので、お風呂プログラムの前に順番をとると、散髪後にお風呂も入れるという、最高のプログラムだ!以前、何度が失敗して、お風呂後の散髪になったことがある。そうすると散髪後の細かい髪の毛をパラパラしながら、二日間を過ごさないとならないから、お風呂前での散髪がマストである。

「清美、今日はいつもよりショートにするよ。いいかい?」<パチリ>・・・よし、聞き返すまい、違う反応が出たら面倒だ。ショートにしちゃえ。「了解!ショートにするね。本当は、エイリアン3のシガニーウィーバーみたいに坊主にしても、それはそれでかっこいいと思うけど、それはちゃんと言葉が伝えられるようになってから、もっとはっきりした意思表示で同意が得られてからにするね。」・・・きっと、ばかじゃないのこいつ・・・とでも、思っているかもしれないけど、それはそれでいい。

ヘアカットのときはいつも立ち会う。一番の理由は首の確保をするためだ。おまかせしていて、手をすべらして、首がガクンとなると、以前は折れてしまうと思っていた。そのくらい弱々しかった。だから僕もかなり気合いをいれて、カットのじゃまをしないように、頭を支えるポジションを微妙に変えながら、回り込みながら、切り手がスムーズに仕事が出来るように、それでも妻も苦しくないように、細心の注意を払いながら頭を確保しつづけた。これはとても疲れるし、緊張しする・・いや、していた。それは、前回までの話である。なんと今回のヘアカットは、前回カットは4月8日だった。ようするに、車椅子で背中を起こす特訓をしはじめたばかりの頃だった。あの時も、いつものように、とても大変だった。しかし、今回は楽なのだ。そう、首がしっかりしてきているから、ささえるのが簡単なのだ。2ヶ月の特訓の成果で、今は首がかなりしっかりしてきた。それで楽なのだ!

ヘアカットしながら気になったことは、やたらと左足が痙攣している。いつも、痙攣は両足ともするけど、すぐにおさまるから、そのままほっておく。今日のはとても長い。でも、頭を支えているので、そのままほっておいた。そうしたらびっくり、左足のひざから下を上に跳ね上げるのだ。それも何度もやる。・・・ということは、太ももの表側の筋肉が痙攣したからなのか?ついでに、こんなこともできるとやってみせているのか?どちらかだ。これはたぶん、ただの痙攣だろうけど、それでも僕は、新しい「動き」は歓迎だ!「すごいすごい、こんなの初めて見た。清美、すごいね!足上げているよ!すごいね!ねー、すごいんですよ。こんなの初めてなんです。ほら。」とカットをしてくれている、おばさん(いや、僕の年齢からすると、お姉さんと呼ぶべきだ)と話をしはじめた。この、おば・・おねえさんがいいキャラで「あぁ、すごいですねー。私の知り合いも3年寝たきりだったのに、4年目にはいって急によくなってきて、ほら、植物人間とか言われていたんですよー、なのに急によくなっちゃって、今では普通に生活しているんですよ。まぁ、下半身は不随で車椅子だけど、車椅子も自分で手でまわしてね」・・・と、ハサミをもちながら、車椅子をまわす動作をとる・・・僕は内心、危ないと思いながら「へー、そりゃいいですね!そんなことあるんですねー」と話をあわせる。そんな楽しいおしゃべりを聞きながら、清美はたまに左足をあげる。そしてまた痙攣、ガタガタガタガタ。そんな具合で最後に襟足を丁寧に剃ってもらって終了!

すっきりショートカット。バッチリ!とてもいい感じだ!たしか前回もあの、おねえさんだったけど、カットする側も、緊張しながら、早く終えなくてはという思いがあったのではないか?今回は、楽しいおしゃべりをしながら、僕も頭を支えるのが楽チンだったので、話にあわせながら、自分のポジションの移動も、いちいち断ることなく、一連の動きの中で行えた。前回は、「すみません、ちょっと頭させておいてもらえますか?」といって、それから自分のポジションをカットする人の対面にとるということをやり、カットする側も、流れが中断していた。それが、今回は、おしゃべりを止めることもなく、スムーズに一連の流れの中でヘアカットが完了した。それが、カットのクオリティにもつながったようだ。とても気に入った!

「清美、今日のがこの3年4ヶ月の中で、一番いいカットだと思う。いい感じだぜ!」と言って、お風呂チームへ引き渡した。さてと、午後はまたリハビリだな。あたらしいことしたいの、どうしようかな?まぁ、今日は、雨を軒下で見学しながら、筆談をトライしてみようかな。

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「体当たり」のお優さん
体当たり白雪姫というのがあります。http://www.youtube.com/watch?v=dkCLmM6zyVI
いいネーミングだと思う。“白雪姫”のイメージとは逆さまの言葉が組合わさっているところにセンスを感じる。例えば、しとやかな白雪姫、しなやか白雪姫、ひっそりと白雪姫、、、というのだと、イメージの統一感があるが、どうもインパクトがない。そこに「体当たり」をぶちかました所が、このネーミングの良い所だと思います。

その白雪姫チーム率いる守本さんご夫妻が昨日、妻のところに来てくれた。僕が優さんに、一人ひそかに名付けた名前は、“体当たり”のお優さんだ。このイメージの由来は「風車の弥七」というのが、かっこいいなと思っていて、そんなイメージで、妻とはよく”お優さん”の話をしている。「早くお優さんが来るといいね。6月に入ったら時間が出来るから、これる日があるって言ってたよ。そうしたら筆談をやってもらおうね!」なんて、僕は言葉で、妻はあの鉄仮面みたいな表情で、会話を楽しんでいた。そのお優さんが昨日来てくれた。

ぼくにはどうも今の妻の微妙な力を受け取る実力がないなと、思っていたので、もう全く筆談はトライしていなかった。優さんがやりはじめると、妻はすぐに言葉を綴りはじめた。「あ」から始まったから、優さんに向かって、「ありがとう」って言いたいんだなと、予想する。すると、次の文字は「た」だった。??全然、予測できなくなった。結果、「あたらしいことがしたい」という文字だった。すごい!どうも、僕のリハビリパターンが、コーヒー〜歯磨き〜端座位〜車椅子&朗読〜マッサージorテレビ、ビデオ〜という毎日になっていて、どうも、もう飽きちゃったようだ。そうだよな、飽きるよね。「新しい事」か。なかなかの難題を軽〜く提示してくれる。手強いやつである。

そう思うと「だんな、むりさせている」とか書いて、僕のことを気遣ってくれる。つい、グッとくる。僕の操り方を知っている手強い女房である。

それにしても、優さんは本当に上手だ。昨日は、僕が幹事の中学の同窓会があり、なんと優さんたちより先に病院を出て行かなくてはならなかった。「清美、ごめんね。俺、飲みに行っちゃうから先に行くね。」と守本さんご夫妻に妻をお願いして、先に病院を出た。

優さんは、どうしても清美さんに今日、聞きたいことがあると言っていた。それは、以前ぼくがリハビリをしている時に目を閉じるのは何故?と質問したときに、柴田先生が筆談をしてくれていて、「つまらないから」と書いたことについて、それだけではなないはずだと、どう考えても、ちがう理由もあるはずだと思い、それを聞いてみたいと決めて来てくれたそうだ。僕は高円寺の餃子屋へ向かう電車の途中メールが来た。「こわい」「そうぞう」と書いたそうだ。

優さん曰く
多分揺れたりするのがアトラクションのようで、怖くて目をつぶりながら、色々と想像しているなではないかな?と思いました。でも、車椅子リハビリは嫌ではないとも教えてくださいました。ご主人にお伝えしてもいいとも。私もアトラクションでは目をつぶってしまうので、なるほど!と何だか納得でした。・・・ということでした。

なるほどー。なーるほどー!実は僕は、宮ぷーのリハビリを見に行った時に、かっこちゃんが、からだをこうやって、オートバイを運転するように、ぐるーんぐるーん、ってするのもいいのですよ・・・という、すごい技を見ていたので、それに相当することを、端座位でやっていました。他人から見ると、それ、大丈夫なの?って思われるかもしれないなぁ・・と内心思っていましたから、すぐ心当たりがありました。あの、ぐるーんぐるーん、、、だな。あの事を言っているのだな。

もちろん、こんなことはお優さんは知らない。だから、確実にお優さんは妻とコミュニケーションがとれているのだ。僕にはわからないことを、3回目の体当たりで、もうすでにコミュニケーションがとれるようになるなんて、凄すぎます。

<体当たり>・・・これは、プロレスで言えば、なんちゃらボンバーとかいうイメージで、ラグビーで言えばタックルだろう。しかし。もちろんこの場合の「体当たり」はちがう。もう一つの意味は、「捨て身になって事に当たること」である。なんとも、日本人的な言葉だ。しかし、体当たりのお優さんの体当たりは、前者の意味もあるようだ。よくブルースウィルスのダイハードシリーズなどで、鍵のかかっている扉を体当たりでぶっこわして、部屋の中に入ったりする。いやいや、お優さんは決して妻に体ごとぶつかったりはしない(笑)しかし、その心はしっかりとぶつかって、妻の心の扉を開けてくれたようだ。

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僕たちのルール
今日もいつものお出迎え。「い」「く」の口の形は、やるのが大変なのに、きっと妻もこのスタートの儀式だけは頑張ると決めているのだろう。ありがたい。この一つの儀式で僕はがんばれる。以前は、壁打ちのテニスのようだったのだ。それが、この出迎えがあるのは、本当に大きなことである。

今日は、コーヒーではなくて、グレープジューズだ。スプーンに2滴、それをまず見せる。全部口に入っても、今の実力から言えば、処理できる量であることをまず確認してもらう。それによって、怖がらずに、口にいれることが出来るはずだ。安心して、味わっているようだ。「うーん、美味しいね」・・・と、声を聞いてみたいものだが、そんな表情で口を動かして味わう。そしてゴクンとする。「美味しい?」・・・と聞くと、首を横にふる、「あれー?嘘でしょ?美味しそうだったよ」<パチリ>とまばたき。「そう、そうでしょ?もう一杯行く?」<パチリ>「はいはい、そうでしょ。もう一杯ね!」とまた2滴。

それから、端座位をとり、今日もあの恥ずかしくて普通はやらない、イアホン二人聴きをしながら、今日は久しぶりに今井美樹さんの初期作品を聞いた。これらは、僕がレコーディングを担当していて、今はもうなくなった観音崎のレコーディングスタジオで、泊まり込みのレコーディングで録音した作品だ。レコーディング期間中に妻や子供も遊びにきて、プールで一緒に遊んでいた。それだけに、思い出はたくさんある。きっと効果的な音楽だと思う。その上、今井美樹さんの声はとても清らかでいい。たぶん25〜6年前のことだけど、楽しい思いでだ。つい、聴きすぎて今日は25分は端座位をとっていた。

いつも、端座位15分、車椅子で背中起こしを20分はやっているから、へっちゃらだろう(笑)
しかし、このところスイッチをちゃんとやっていないから、今日は、車椅子をやめにして、スイッチをやろうと、ベッドのままで練習することにした。

最近感じるのは、右手の握力が、圧倒的に左手よりあるという事実だ。しかし、親指の動きは、見た目には左手のほうがある。これが、難しい。。。今日は、右手にトライしてみようと思い、やってみる。・・・が、そんなに事は上手く運ばない。いつも、口を動かす時に、すべてのパワーを総動員して、握力も、指の動きも、やってみせる。それが、彼女の今の最高の見せ所なのだろう。

だから、端座位あとは、難しい。色々と難しいね。
でもそれでいい。僕たちのルールは変わらないのだ。僕たちのルール、それは単純さ、諦めない、やりつづける、、、ということである、もう一つ、僕自身に付け加えるとすれば<焦らない>ということだろう。いつまでも待つし、死ぬまで待つし、死んでからも次でうまくやってみよう。ってくらいの気持ちいるから、大丈夫だよ。そんな、焦りの無い、諦めない、やり続けるが必要なのだ。それが、僕たちのルールである。

「今日は端座位をたくさんしたから、疲れたね。いい感じだったよ!素敵だった!スイッチは大変だね。また次にしようね。どうせ出来るようになることは、もう決まっていることだからね。さて、今日はテレビでも見てみる?」・・・<パチリ>

OK!途中からだけど、夕方やっているテレビ朝日の「相棒」を見せた。すごいガン見!こいつ、本当にテレビ好きなんだな。

「明日は、打ち合わせが3件たて込んで、来れないよ。明後日くるよ!」・・・・<無視>
「清美、、、明日はね、どうしても来れないの、明後日ね!」・・・・<無視>

じゃ〜ね〜・・・、テレビ面白そうで、よかったね。。。。。。

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しみったれ理想論
今日もいつものように「い」「く」で出迎えてくれた。本当に嬉しい。この毎日の感動は、きっと誰にもわからないだろう。「当たり前」ができる喜び、「千分の1」の行動が出来た喜び、疲れちゃって何も出来ないけど<安らかな顔>を見れる「幸せ」・・・数えきれないけど、このタイプの「喜び」や「幸せ」を知っているのは、もしかしたら僕らだけかもしれない。「僕ら」の中には、もちろん妻や宮ぷーや、かっこちゃんや、守本さんご夫妻や、溝呂木さん親子や、柴田先生や、多数いらっしゃるでしょうが、本当にこのことは大切で、多くの方に知らせなくてはいけないことだと思っています。しかし、どこかで「僕らしかわかんないだろうな」という、しみったれた思いがその邪魔をします。

テーマが大きくなりすぎましたが、小さな幸せを書きます。(この表現もダメですね。幸せに、大きいも、小さいもありません!失格)・・・カッコは僕の心の声ですから、気にしないでください。(まぁ、気にしてほしくて、文字にしているんでしょ?)・・・えー、で、えーっと、、、、

今日は、アイスコーヒーのシロップから質問しました。「シロップいる?」・・・目をそらします。でもこれが本当に拒否かどうか?わかりません。「ミルクいる?」・・・これは、目をゆっくりパチリとします。そして、再度訊くと頷きます。すごいですね。本当にスゴイ!で、もう一度「シロップは?」というと、目をそらすのですがパチリとします。これは、たぶん生理的なパチリです。。。文字ですと表現しにくいのですが、現実もどちらかわからないのです。難しい判断ですが、感覚的には波動が伝わってきているので、「あぁ、いらないのだな。」ということは、肌ではわかっています。しかし、こうやって文章にしてみるとよくわかりますが、その理由は僕の感覚でしかありません。要するに、はっきりした理論はないのです。

「ありがとうね。じゃ、コーヒーにミルクはいれるね?シロップはわからないから、入れない事にするぜ」・・・と、話しながら、2滴ほどミルク入りコーヒーをスプーンで口に運びます。半分・・要するに1滴ほどを口い含み、味わっていもらい、「おいしい?」と質問すると、びっくり・・・首をかすかに横にふる。これは、すごいガッカリだ。「えー?、美味しくないの?マジ?美味しいでしょ?」・・・首の横フリである。これも、実は難しいのだ。本当に否定かどうかはわからない。というか、否定するはずはないのだけど、別の何かに対して、否定したかったのだろうと予想する。これが、僕らの現状だ。それを互いに認めて、次の1歩へいこう!その積み重ねしかないのだ。

人生には色々ある。もうそんなことは知っている。ホント?・・・「えーっと、知っている」・・・と少し、歯切れは悪くなる。たしかに、色々難しい。例えば病院システムを作ることで、多くの人が助かる。そのシステムを維持するために、ルールを作る。ルールを守れば、そのルールを効率的に教える教育が生まれる。ここに、弊害は生まれる。人間社会は常に矛盾とのおつきあいだ。すべてが、悪いとは思わない。しかし、善意で構築されているから、これが面倒なことがたくさんある。

しかし、これも全てを直す事は難しいだろうな。であれば、どうすればいい?
僕は、これがとても難しいし、大変だし、でも、とても大切な問題だと感じています。これは、現代の政治も、宗教も、医療も、教育も関係することですが、本当に「相手の立場に立った理解」を理解できればいいなと思います。

現代の<勝ち組になって、利益をあげればいい>といった理論とは、まったく違う、日本人が培ってきたからこそわかる感覚をもっと活かせる方法はないのか?と思います。かっこちゃんが、自由になりたくて靴下を左右ちがうのを選んでいますが、僕は、僕なりにその意味がよくわかります。近々妻の靴下をコーディネイトしてみようかなって思います(笑)

未分類 | 23:57:17 | トラックバック(0) | コメント(3)
テレビっ子ばあちゃん


今日の出だしは、ちょっと元気なさげな「い」「く」からはじまった。外は暑い、どうしても気温が高い日には熱が出やすい。しかし、たぶん37℃くらいだろうなと思いながら、左手を握ると、今までに感じた事のないレベルの握力を感じる!それも、断続的に30秒ほどやってみせてくれた。

「これは、100%スイッチは出来るようになるな。焦らず行こう!」と声をかけながら、焦ってスイッチをセットする。いつもは、コーヒーからはじめるのだが、今のうちにちょっとスイッチをやってみよう!と思い、セッティングしたのだ。・・・が、もう「その時」は過ぎてゆき、スイッチを意識コントロール下で押すことは出来ない。そんなものなのだ。でもいい。ほんの1mmづつでも前進している。いや、もっとだ。体力を温存しておいて、僕が来た時に、僕が実感できるほどのパフォーマンスを披露してくれたのだ!大サービスだな。いつも、他人にしかサービスしないくせに、僕を喜ばすコツを知っているな。こいついいやつだ・・・とつい思ってしまうのだが、それが手のひら作戦なのかもしれない。気をつけよう。

それから、コーヒーをなめてから、端座位20分。あの恥ずかしい方式で、ステレオの意味がないと思いながら、坂本冬美「また君に恋してる」・・・これ、倒れる前に好きだったよね。CD欲しいって言っていたよね? 次は、この前、柴田先生には言っていなかったけど、高橋真梨子さん、好きだったよね?ベスト聞く?・・と、「for you…」「ごめんね」「グランパ」・・・ほら、これ梅ちゃんがミックスしているんだよね。リバーブの使い方、上手いよねぇ、梅ちゃん、元気かなぁ。。。などと話をしながら、端座位終了。

ここで、看護師さんが歯磨きをしに来てくれたから、最後にコーヒー2滴口に入れてから、歯磨きをした。普通なら、ここで車椅子なんだけど、今日は外には出られない。暑すぎる。

「ねぇねぇ、面白いの録画してきたけど、DVD見る?」うんうんと、はっきりと頷く!すごいな、頷くのね。それも、面白いテレビが好きなのね。これで裏切るわけにはいかない。妻も、僕のチョイスをそろそろ認めてくれているようだ。今回は、カレッジセールのスゴ旅(熊本編)、そして志村動物園だ!これは両方とも自信がある。ベッドで見やすい体制を作り、いざ、くまもん、スタート!

おぉ、調子がいい。興味のポイントが合ってきたな。かなり真剣に見入っている。しかし、このテレビを見せているときが一番暇だ。志村動物園まで見せようかな?もう一度スイッチかな?どーしようかなぁ・・・・

あっっ、志村どうぶつ園、はじまっちゃった。。。。。

未分類 | 15:29:55 | トラックバック(0) | コメント(2)
六月の五月晴れ
いつものお出迎え「い」「く」を元気よく連発してくれた。一日のうちの最高のスタートだ。今日は口がよく動く。アイスコーヒーにはいつもシロップをいれるから、訊くまでもなく入れようと思ったけど、何となく気がかりで、やっぱりちゃんとお伺いを立てることにした。「シロップいれますか?」と質問すると、首を横にふった。あー、訊いておいてよかった。このように「思いが伝わる」ことは、とても意味のあることだし、本人の希望が叶えられることにつながるなら、なおさらだ。続いて「ミルクはいれますか?」と訊いてみると首を縦に、うんうん、と頷いた。すごい。「そうだよね。昔から清美はこのスタイルだったよね。最近趣味が変わったのかな?って思っていたよ」と声をかけながら、スプーンで2滴ほどを口に入れてみた。口をうごかし、味を確認するように、確実に味わっているようだった。「美味しい?」「お」「い」「お」「い」と繰り返してくれた。これはたぶん、「おいしー、おいしー」という事だろう。すごい!今日はスタートから感動的だ。

ベッドで端座位をとり、首を自分で確保するその首の角度が徐々に正面に近くなってきている。もちろん、真正面というわけにはいかないが、以前は上を向いていないと首が確保できなかったのが、やや正面になってきているのだ!ある角度を超えるとガクンと前に倒れるのだけど、前は恐かったけど、今くらいだと、まぁいいか。・・と思える。かつての“ガックン”は“カクン”というレベルまでになった。素晴らしい!

梅雨入りしてから、天気がカラッとして気持ちがいい(笑)ところで、五月晴れという言葉がある。これは本来、陰暦、ようするに旧暦の生活の中で生まれて来た言葉だ。現代でいえば6月の梅雨の時期に晴れる晴れ間の意味だそうだ。であればまさに今日は五月晴れである(笑)外は爽やかだ。風も適度にあって気持ちがいい。さてと、約束通り車椅子にのりましょう。約1時間、風に吹かれてまったりとしました。今日はこれで終了。スイッチ練習はまた明日。

未分類 | 18:09:26 | トラックバック(0) | コメント(0)
一緒に聴こうね!
今日はマクドナルドが混んでいて、アイスコーヒーはやめた。バスを降りて病院への道のりにある自販機は100円だ。病院より20円安い。ここで買おう!アセロラはまだ買ったことないな。酸っぱいかなぁ?でも、アセロラにしてみよう!

今日は渋谷までライブを見に行くので、早めに病院についたが、この時間は食後のお休み。大切なお昼寝の時間だ。ジルボルトテイラーさんの奇跡の脳を読み、益々、大切だと確認!

そう、確かに僕らは目があいて欲しいし、そのために、「おーい」などと大きな声を出す。これは、たぶん、ダメダメな行為だ。きっと耳元でやられると「ウルサイよ」と言いたくても言えないのだ。言えないのだから、そいつは嫌いになる。たぶん。

僕はジルの本で勉強したから、そんなヤボなことはしない。足のマッサージや、手足の爪のカットなどをしながら、女王さまのお目覚めを待つ。これはこれで、幸せな時間だ。かつて、中国や日本の歴史の中の、人にひたすら心から尽くす文化を、どうもDNAに持っているのだなと思いながら、それはこんな感じなのかな?などと思いながら、爪を切りながら時間を過ごす。

日本は藩主や天皇には心から尽くし、それを仁とか義とか言っていたのかな?いやいや、女性の扱いに対しては、こんなに手厚いのはきっとオフィシャルには日本にはない。きっと女性に対しては欧米ではないか?・・・などと、回答の出ない、いや、でなくても良い問題を考えながら、結果幸せな時間を過ごす。

妻が気持ち良ければ、それでいーのだ。
そーだ。それで、いーのだ。

・・・で、タイトルは何だ?と、今、気がつく。そーだ、このタイトルは、、、これは、端座位をとって毎日15-20分やるのだが、柴田先生公認コメントの「つまらない」と妻に言われてから、努力しているのだと言うことを書こうと思ったのだ。

音楽は両耳から、バランスよく聴くのが良いんです!絶対にそう思います。だから、ずぅーっと、そうして来ました。でもね、この欠点は、僕が大変につまらないと言うことです。

そう、、、物凄く、とっても、絶対に、信じられない位に、つまーらなーい、、、、のです。すごいんです。つまらなくて。

なので、今日はポリシーを曲げて、あの忌まわしい電車の中の、若くて音楽なんて2の次の聴いてもいないような、あの恋人どうしのような、いつも僕は心の中で「おい、ヘッドホンやイアホンは、そりゃ、一人で両耳でやるもんだよ。」と心でつぶやいていたわけですが、、、でも、僕たちの周りには、寝たきりの声が出ないお年寄りが3人だけだし、エイ、ヤー!っと、恥ずかしながら、イアホンを一つづつ耳にいれて、ユーミンを聴きました。

はい、あと15分ね!
「朝日の中で、微笑んでー」・・・いやぁ、素晴らしい曲だね。意味深だけど、とてもいい。「宇宙の片隅で、めぐり逢えた喜びは、うたかたでも身をやつすの、朝日の中で抱きしめて、形のない愛を包み込んで」あー、これやばいな。涙じわー。これじゃ、気持ちよくなるよな。僕はジーン。

きっと他人から見るとかなり変。
妻はウットリ、目を白くする。そーだよなー、でも、これ自分で聴くとわかるけど、聴いていなけりゃわからないからね。

「知ってる?すっごいんだよ。信じられない位につまらないんだよ。」と言ってみたけど空しかった。

今日のまとめ
ヤッパリ、どんなに恥ずかしくても、イアホンは一つづつ、君と僕で、同じ音楽を聴くのがイイね!そうすれば、例えば「中央フリーウェイ」なら、トントカドン、ツカツカドン〜〜、と君の背中を太鼓にすることもできる。

※「朝日の中で微笑んで」「中央フリーウェイ」「天気雨」「避暑地の出来事」「グッドラック&グッドバイ」トータル20分

※そういえば、アセロラドリンクは酸っぱそうな顔して、ちゃんと飲み込んだ。へんな顔だった。

未分類 | 00:44:05 | トラックバック(0) | コメント(0)

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