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T.Nishijima

Author:T.Nishijima
2010年2月に妻が脳幹出血で倒れる。2013年3月に白雪姫プロジェクトと出会い、積極的なリハビリアプローチを始めるため、その回復への道のりを記録しようと日記をはじめました。また、このプロジェクトの存在を知ってもらいたいと思っています。
http://www.shirayukihime-project.net/

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再会
なんだか反応が悪い。今日は体温も大丈夫だし、顔つきはすっきりしているけど、なんだか反応はいまいちだ。「あのお花はみっちゃんだったんだね!」<・・・・>「久しぶりに会えて嬉しかっただろう?」<・・・・>「ふーん。よかったね!」<・・・・>、、、あれれ、これじゃまた壁打ちに後戻りだ。つまんないな。「みっちゃんに、清美も喜んでいたよとメールしておいたよ」<じーっと、クールな目で見てる>・・・はいはい。じゃぁ、今日は車椅子にのって外へ行こう。

いつものコーヒーも、あまり嬉しそうじゃなくて、数滴を3回くらい口にしてから、車椅子で外にでた。今日は、雨が降っているから、軒下でしばらく風に吹かれるのもいいだろうと思ったけど、やっぱり暑い。それに湿気がやる。それで、いつもの涼しいデイルームへと移動した。

最近の筆談の方法は、僕が言いたい事を、話しながら書く。果たして、何の意味があるのか?わからないけど、名前と○、×、だけだと流石にもう飽きただろうし、とにかく言葉にあわせて、手を動かして、それを目で認識してもらうという意味で、声を出しながら、文字を書いていく。「きれいな花をよかったね!みっちゃん、来てくれてうれしいね。みっちゃんの息子って、何ていう名前だったっけ?書けますか?」・・・と質問して、しばらく手を握って、動きを察知しようと目を閉じていたのだけど、グググググーと腕を引き寄せた!「じぇじぇ!、そりゃぁ、凄すぎるよ!はっきりと動きはわかったけど、文字どころではないよ(笑)」今日は、それだけでしたが、ハッキリとした意思表示だったと思う。瞬間的なことだけど、今までありえなかったことが、起きるようになったわけだから、これはこれで凄いことだと思う。

はい、それでは今日はベッドにもどって面白いのもってきたから、DVDを見ようね。・・・とDVDに焼いて持ってきた志村動物園を見せた。あれだけ、無表情だったのに、目が輝く!本当に、生理的な反応とはすごい。まぁ、動物の赤ちゃんだ。これは誰だって生理的に可愛いと思う。ウサギ、ツキノワグマの赤ちゃん、オオカミの赤ちゃん・・・藤岡弘。うまいキャスティングだ!・・・っと、処置が早めにまわってきたので、スッパリと中断だ。今日はこのあと、リハビリが入っているから、早めに処置をしてリハビリなのだ。

今日のリハビリは言語聴覚だけど、いつもの担当の方がお休みで、代わりの方がやってきてくれた。妻がこの病院に来て、最初に担当してくれていたHさんだ。彼女と妻はとても相性がよかった。ぼくも彼女のリハビリを見ているのが好きだった。妻ががんばっていたから、すごく楽しかった。たぶん2年ぶりくらいではないだろうか?これは嬉しい!彼女は最初は違う名前だったけど、そのうちHさんになって、しばらくしていなくなった。それで昨年母親になったのだそうだ。時間はあっという間に過ぎて行く。「僕たちも、じいさん、ばあさんになりましたよ」・・と、再会を喜んだ。きっと妻も会話を楽しみながら喜んでいたのだろうと思う。Hさんも復帰したばかりで、妻にあえて喜んでいた。首をマッサージしながら「あれ?西嶋さん、首しっかりしましたね。それに、いつもこの夕方の時間は眠っていることが多かったのに、体力もついたのではだいですか?」

待ってました!はい、そうなんです!実は、端座位を毎日やっていおりまして、あーで、こーで、それでね・・・・そこからは白雪姫プロジェクトの自慢話になったわけです。遷延性意識障害だって、あーだこーだ。宮田さんという方がいて、もうすごいんですよ。で、その方をリハビリしている人がいて、これがまた、あーで、こーで、そんでもって、本をソーシャルワーカーの方に差し上げているので、読んでみてください。・・・と、しゃべりすぎて、気がついたら時間がきちゃった。きっとあまりリハビリにならなかったかもな。でも、Hさんも端座位をはじめてまだ4ヶ月だと知ってびっくりしていた。これは、うれしい反応だ。それに、ほめてもらう事はうれしいものだ。

Hさんに会えて妻もとても喜んでいたと感じた。しかしなんなのだろう?無表情なのは変わらないのに、そうに違いないと、僕はそう思った。どこに根拠があるのか?何故そう思ったのか?よくわからないけど、そうだと思う。・・・またやってもらえるといいね、Hさんこりずにまた来てね。

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未分類 | 18:34:13 | トラックバック(0) | コメント(1)
うしろの正面だーれ?


部屋へ入るとベッドサイドの棚にとても奇麗な花があった。
「わー、奇麗だね。誰がきたの?」<パチリ>「うーん、わかんないよ。誰だろ?」<パチリ>
あぁ、早く言葉が欲しい。相変わらず、筆談はどうにもまだまだわからない。言葉でのあかさたなスキャンもまだうまくは出来ない。誰だろう?わからない。「まやちんが来たの?上と下の目で答えて」・・・と話しながらやると、上を見た。しかし、生理的に、話しながら僕の右手を追っただけかもしれない。でも、これがyesとの意味かもしれない。

まやにメールしてみた。「清美が、まやが来たって言ってるんだけど、来てくれたのかな?ありがとうね。ちがったら、誰かはわからないや」とメールしたら。来ていないという。「最近、誰か恋人でも出来たのかな?」と返信しておいた。まやは、花の事がわかっていないから、意味不明で、きっと、どうやって返信したらいいかわからなくなってようで「清美が朦朧としていて、私の幻でも見たのかも?」と返信があった。こういう行き違いは面白くて「浮気でもしてんのかな?」と返信しておいた。

看護師さんに聞いてみたら、今日は誰も来ていないという。では、昨日、ぼくは病院を出た後、夜にきたのかな?では、受付で記録を調べてもらえればわかるかな。でも、手間かけてしまうから、気が引けるけど、一応頼んでみようと行ってみた。「一番したの欄の、(はい)にチェックがついていれば、お答えできるのですが・・・」その欄というのは<ご家族から尋ねられたら、誰が来たかを知らせてもいいですか?>という欄がある。僕は今日はじめて気がついた。「あー、なるほどね。個人情報の問題ね。これ、本当にやっかいだよね。でも、ここまで細かく記入する人いないでしょ?」「たまにいますよ」・・・・と言いながら、調べてもらった。「あー、いらっしゃいました。。。。でもー、どうしましょう?」「ね。そうでしょ?」といいながら、手にもっている紙を、ぐーっと覗き込んだ「あっ」「いやいや、ほら。だって答えられないでしょ?、で、あなたは答えていないわけさ」「はい・・・」「いやいや、ごめんね。よくわからなかったけど、ありがとう」「はい・・・」「おつかれさまです」「はい・・・おつかれさまです」

なんだ、みっちゃんかぁ。妻は人気ある。みっちゃんは、20年ほど前に公団住宅に住んでいたときの、妻の長屋仲間だ。この病院まではとても遠いのに、わざわざ来てくれたんだなぁ。それも、わざわざ妻が好きそうな花をあつらえてだ。ありがたい、ありがたい。これで、お礼が言える。また明日から筆談をがんばろう!

未分類 | 18:23:04 | トラックバック(0) | コメント(0)
初心忘るべからず
動けるようになったから、病院に来た。今日は3日ぶりだから、特別に高価なアイスコーヒーにした。265円である。いつもの2.5倍以上の単価だ。さすがにひと味ちがう。100円と180円はそんなに差がないけど、265円となると歴然とした味の差がでる。いったいどの行程でこんなに味がちがうのかな?やっぱり素材自体=豆なのかな?

「ごめんね。ぎっくり腰だったんだよ」<ウン>「今日は特別に美味しいコーヒー買ってきたよ。でももう氷はとけちゃったよ」<ウンウン>「じゃぁ、シロップとミルクどちらかだけなら、どっちがいい?」<パチリ>「ハハ、それじゃわかんないよ。じゃぁ、ミルクを上、シロップを下、入れたい方を見て」<視線が下へ>「そーか、シロップなんだね。念のため、もう一度ね。今度はシロップを上、ミルクを下だ。さー、どっちだ?」<視線が0.5秒程度の間、上へ>「よっしゃ、シロップだね。OK!そうしよう!」

この視線の上下は、宮ぷーとかっこちゃんに教わったのだけど、これだけハッキリした回答が得られたのは、今回が始めてだ!このシロップ入りのアイスコーヒーの数滴を口にいれる贅沢。本当に特別なものなのだろう。これも一つの欲望の現れだけど、それが反応を引き出すのなら、もっとどん欲になれと思う。健常者がどん欲だと、卑しいと言われるが、障害を持っている人がどん欲だと、回復への意欲があると言う事になったりして。本当は同じ「欲」なんだろうけど、しかし「良い事」だから、あまり深く考えずにそれでよしだ。ここで無欲になられても、困る(笑)

ここ3日間を取り戻そうと、それから早速、端座位となるわけだけど、やっぱり腰がよろしくない。腰をかばおうとして、なんだかへんに力が入って、結局、腰が痛い。ダメだなぁ。全然「コツ」なんてどこかに飛んでいなくなっていたのだ。全部完全に力任せだったのだとすると、妻も大変だったはずだ。「コツ」で起き上がると、患者側も楽なのだ。それは僕自身も体験した。このデブの僕を、握力8kgのかっこちゃんは、ヒョイと起こすのだ。車椅子にもヒョイと移動させる。力無しのかっこちゃんの場合は「コツ」以外で、相手を移動させることが出来ない。だから、移動させられる側も、力学的に理にかなっているので、とても楽に移動できるのだ。でももう僕はその「コツ」はわからない。ダメだなこいつ。うぬぼれてんじゃねーよ!とピシャリとやられた感じである。誰って?それはお天道様である。

と、端座位を終えてベッドに横にもどしたところで、歯医者さんが来てくれた。先日、口の中を覗き込んでいた看護師さんが、妻の虫歯を発見してくれた。あー、最近、シュガー入りのアイスコーヒーなんて飲ませているから、やばいなぁ。もちろん、コーヒーのんだあとは、ちゃんと歯磨きをしている。しかし、この虫歯、しみて痛ければかわいそうだ。でも、わからない。そんなわけで今日、歯医者さんに来てもらい、確認してもらった。

「あー、虫歯ですね。でも、以前の虫歯で進行が止まっているから、このままでいいでしょう」ということで、ほっとした。口をあけるのは、とてもたいへんだ。治療となると、相当、大変なことになるだろう。どこかで、やらないといけないかもしれないけど、今は放置ということでスルーすることになった。歯磨きをしっかりやっていこう。

今日は、腰の状態もまだイマイチだ。あとはテレビで許してね、ということで、担当看護師さんに歯医者さんの見解を伝えてから退散した。あーぁ。あーっぁ。僕はかっこちゃんの弟子だと思っていたけど、これじゃ落第だな。初心忘るべからず。・・・世阿弥のお言葉だ。これはとても深い味わいのある言葉だけど、今使われている意味とは本当はちがう。まさに、この今の僕の状態が初心である。下手くそなこの状態を、そしてこの腰痛を忘れてはならない。このことが、いつか役に立つときがくるのであろう。それにしても人間は本当に同じミスを繰り返す動物だとつくづく思う。というか、僕が特にそうなのかもしれない。この事に気がついたのは遅いが、気がつかぬより良かろう。腰の痛みも僕の先生である。

未分類 | 15:55:37 | トラックバック(0) | コメント(2)
肝腎要とぎっくり腰
ぎっくり腰になった。
扇子ではつなぎ止めている金具のところを、要という。これが外れるとバラバラに崩れる。そんなところを要という。腰は身体の要である。にくづきに要と書くなどなるほどと思う。昨日リハビリをするときに、なんかおかしいと感じていた。かっこちゃんたちに、寝ているときの身体の移動方法や、身体を端座位に立てるときの方法などの「コツ」を教えてもらったのに、いつのまにか「力」まかせになってしまっていたのかもしれない。

かっこちゃんのように根本的に握力が8kgという、驚異的に力がない場合は、本物の「コツ」を体得しるし「コツ」を駆使しなくては、宮ぷーの身体はピクリともしないだろう。しかし、にわか仕込みの僕のようなのは「コツ」より「力」のほうが、簡単だったりするのだろう。

昨日、妻のリハビリをしているときに、ちょっと違和感があった。でも大丈夫だろうと、中腰を多用してしまったようだ。長距離の車の運転や毎日のほんの少しづつの負荷の連続が、こういう状態を招くのだ。腰をここまでダメにしたのは、昨年以来だ。ちょっと、過信していたようだ。こうならないと、そのことに気がつかない。

昨夜から僕は立ち上がるのが大変だ。靴下ははけない。暑いからいらないけど。たいして働いていもいないのにな。まったくがっかりである。それにしても、かっこちゃんの“力無し”と“体力”の反比例には驚きである。毎日、朝はみなさんご存知のメール配信、そこから仕事へ行き、仕事終わりで宮ぷーのとことに行って、ハードリハビリをリードして、20時に病院を出てから夕飯である。そこから、きっと翌日のメールの準備やら、気分によっては曼荼羅を書いたり、本のカバーを作ったりしている。ここのところは、アフリカへ思いを馳せているのだろう。それで土日は各地で講演である。

最初に講演を見に行った時に、身体は大丈夫だろうか?と心配した。あのスケジュールはどう考えても大変だと本当に心配になった。ところが思いはすでにアフリカである。きっと動物の食物連鎖のことや、生命の不思議に思いは広がっていることだろう。あの尽きぬ興味の塊が、生命を信じる力となり、その力は決してあきらめない粘り腰となる。超人とはこういう人のことをいうのだろう。握力8kgこそがかっこちゃんの「コツ」の要だ。弱みも強みとなる。

熱をだしたり、腰を痛めたり、まったく軟弱だと、母から叱られた(笑)文句を言えるように元気になったことは、めでたいことである(笑)今日は腰で体重を支えながら、身体を丸くして、寝ていることにしよう。妻は何故来ない?と待っているだろう。しかし、無理しても長引くだけであることもすでに経験済みだ。僕は超人にはむいていないようだ。人間はあきらめも肝腎のようだ。

未分類 | 14:03:39 | トラックバック(0) | コメント(1)
今日の"おまけ”
今日は朝から母と選挙にいってから、そのまま母を気功の先生のところに連れて行った。月に1回、漢方の先生がやってくるので、脈診などをしてもらい漢方を処方してもらうのだ。それから気功治療をうけてもらう。母はメニエルを患っていて、妻が倒れた時にはそのショックもあって、年に4回も救急車にお世話になった。その後も、年に3回くらいのペースで発作を起こし、救急車という状態で、僕は仕事&病院のはしごという日々だった。さすがにこれには参って、西洋医学の薬だけではどうしょうもないと思い、始めたのが漢方&気功治療だった。これが予想以上に上手く行き、漢方&気功治療を始めてからピタっと倒れなくなった。

面白いことに、僕が会社を辞めたら母はさらに元気になった。いつも僕が家にいるという安心感が、心を安定させた結果として良くなったようだ。病は気からというが、まさにその典型である。会社を辞めたことで、予想もしていなかった大きな“おまけ”を受け取れた(笑)

良かったことは、これだけではない。体調を崩し会社を辞めたわけだけど、辞めてなければ、きっと白雪姫プロジェクトとも出会わなかっただろう。出会っても、毎日病院でリハビリをするような時間はとれないわけだし、そもそも、せっかくの休みの日は、病院へいくだけでいっぱいいっぱいだから、かっこちゃんの講演を聞きに行く事もなかっただろう。自分の時間を持てることになったから、講演会にも行けたのだ。そこで、かっこちゃんと出会い、その1ヶ月後には宮ぷーに会いに行ってリハビリを見せてもらい、それから妻のリハビリを毎日するようになったわけですが、本当に何がきっかけで人生が変わるかわからないものだ。

そんなわけで、今日はいつもより2時間くらい遅くなった。本日のアイスコーヒーはミニストップ150円。これは紙パックで売っているアイスコーヒーと同じ味だ。だいたい一通りコンビにコーヒーを飲んでみたが、総合的に考えると今後はセブンに統一していいかなという感じだ。あとは、たまにスタバで贅沢するとかかな。と、今後の方針説明をしながらコーヒーを口へ運んでいたら、2口程度でもうコーヒーはいらないと顔を横にした。それで、久しぶりに「い」「く」と車椅子に乗りたいと主張した。

ここのところ、熱があることが多く、車椅子にのっても外にいける状態でもないので、端座位をなるべくたっぷりやって、それからはテレビタイムという日々だったから、車椅子に乗りたかったのだろう。今日は僕が遅刻したから、端座位をやめてすぐに車椅子タイムとした。一応、外に出て、ほらこんな感じと暑さを体感させてから、涼しい2階のデイルームへと向かい、筆談を30分ほどがんばった。なんか、つかめそうな気もするが、やはりまだまだ難しい。しかし、筆談はいつも積極的だ。とても興味があるのだ。これは伝えたいという気持ちが強いということだと思う。感じ取れる日を信じて、とにかく毎日やっていこう。壁打ちや素振りには慣れている。とにかく続けてみよう。そのうち、また予想もしない “おまけ” がやってくるかもしれないしね。

と、この文章を書いていたらピンポーンと誰かが家に来た。出てみると中学時代の友達。彼女には本当によく助けてもらった。母が倒れた時に、僕はだいたい会社から2時間近くかかるので、この友達に先に家に入り込んでもらい、救急車を呼んでもらったり、付き添ってもらったり、本当に助かった。今日は美味しいジャムが手に入ったと、うちの母にプレゼントしてくれた。

「ねぇ、スイカいる?」「買ったの?」「うん、すごく大きいいの」・・・と、15Kgくらいはありそうなスイカを持っていた。切り分けて1/4もらった。凄く甘い。今日も ”おまけ” がついてきた(笑)

未分類 | 18:14:15 | トラックバック(0) | コメント(0)
アンバランスな集合体
今日はケーマートのコーヒー。ここのカップを受け取った時に氷がはみ出すくらいに入っていて、これはもしやと思った。予想通り、暖かいコーヒーでアイスコーヒーを作るってわけだ。単価の中で独自性をとどの店も考えるわけですが、その努力はすごいな。100円ですよ。びっくりします。すごすぎます。最近の弁当も、飲み屋さんの飲み放題も、安いのはありがたいけど、ちょっと凄すぎる。僕はアベノミクスより、自分たちのこれからの生活の形をどうしていくのか?をもっと考えたほうがいいように思う。人口減少の中で、経済成長だけをうたうのは、どうもピンとこない。

そんな話しをしながら「シロップは?」<パチリ> 「ミルクも?」<パチリ>としたので、両方を入れて、飲ませようとしたら「そんな話し全然つまらない」というように、目を閉じちゃった。あーそうですか。でもね、明日は選挙でね、大切なんだよ。こんな日はきっと熱があるに違いないと計ってみると37.2℃。ほらね、僕の話しがつまらないんじゃないだ、熱があるんだ。と思いながら「コーヒー飲んだ後、端座位やりますか?」<パチリ>うーん。積極的でよろしい。

コーヒーあと端座位を35分。今日のBGMはピンク・マルティーニ&由紀さおり、これとてもいい。Evening Moon(夕月)からはじまって、パフなんかもあったり、ブルーライトヨコハマ、そして夜明けのスキャットと、面白い。情緒がある演奏だけど、とっても一人一人の楽器のアプローチに意思があり、キッパリした演奏で気持ちいい。それにしても名曲ぞろいはやっぱりいいものだ。曲がよくて、演奏がよくて、歌がいい。ようするにいい(笑)

こんな曲を聴きながら、35分、熱を少しさまそうと扇子で風を送り続けた。僕の予想では0.2℃くらいはすぐ下がる。できれば36度台にいければと、扇ぎ続けた。結果としては37℃ジャスト。まぁ、まぁ、よろしい。今日は熱もあるので、端座位では目をつぶって音楽を聴いていた。たまに口を動かす練習をしたりしていた。おつかれと、ベッドに戻し、テレビタイム。

「イッテQ」〜女芸人軍団が行く 天国&地獄ツアーinタイ〜
もちろん目はパッチリとあいた!どれだけバラエティ好きなんだよ(笑)
この迷いのない目。清々しいほどに一途な眼差し。その先には森三中と鬼奴。~マニアックな方は録画の準備をどうぞ~・・・とかテロップが入ったあと、タイの海辺で脂肪たっぷりの腹をゆすらせながら踊っている女性軍団の絵。我が国は平和である。戦争とは無縁だ。しかし、これが本当の平和だろうか?憲法改正についてはもっと真剣にみな考えたほうがいい。でも、妻は楽しめているようだから、今日のところは平和で楽しいということにしておこう。でも、本当はこのバラエティに隠れて見えて来ない困ったこともたくさんあるのにな。切り捨てられていることがたくさんあるのにな。

そう言えば、これはとても興味深く読ませてもらった。無断転載は禁止なので、興味のあるかたは読んでみてほしい。でも今日の18時までで見れなくなるようだ。
http://www.ghibli.jp/shuppan/np/009355/ 宮崎駿さんたちの憲法についての考えだ。ぼくらは集団的にある方向へ流れ出すと、それを止める力がない。一人だけで声を大きくだせないのだ。周りのムードに引っ張られる。後から聞いてみると、いや、僕も実はちがうと思っていた・・・なんてことは、よくある話しだ。

僕らはいつも矛盾の中で暮らしている。バラエティだけだと、それを気にしないようなことになるのではないかと不安になる。政治やドキュメンタリーだけじゃ味気ない。笑いはあったほうがいいと思う。やっぱり大切なのはバランスだと思う。そのバランスを僕らは考えていかなくてはならない。明日はちゃんと選挙に行こう。

未分類 | 15:54:51 | トラックバック(0) | コメント(1)
そんな目でみないでよ
今日のコーヒーはファミマ。いつもセブンだから、他のをと思い3軒目のファミマでやっとコーヒーのあるお店にたどり着いた(笑)ファミマは180円だ。うーむ。苦みが強いな。これはミルクもシロップも入れて飲ませようと思いながら病院に到着した。

何か言いたそうな目をしている。でもわからない。早くわかりたいなぁと思う。きっと妻も早くわかってほしいなぁと思っていることだろうな。「今日はファミマのコーヒーだけど、苦みが強いから両方とも入れるよ」<パチリ> どんどんゴクンするタイミングが良くなって来ている。コーヒーの量も最初はほんの1滴からスタートしたけど、今は3〜5滴程度と、それなりの量になってきている。口をよく動かして、味を堪能しているようだ。本当に、口から味を感じることが出来ることは、大変大きなステップだと思う。本当に一歩づつだけど、この歩みは大変に嬉しいことです。

その後、足の裏をくすぐって遊んでいたら睨まれた(笑)「ごめんごめん、だって面白いんだもん。だってくすぐったいから足動かすんでしょ?」<ばーか>と言ったかどうかはわからない。でも、どんなことになっているのだろう?といつも思う。それから今日もユーミンを聴きながら端座位。15分くらいたった頃「ベルベットイースター」のイントロが流れてきたときに、左腕が大きく動いた。
https://www.facebook.com/photo.php?v=491623844248602¬if_t=like
びっくりした。

なんなのだろう?この動き方、なんだろう?何と言うか「繋がる瞬間」がどうもあるみたいだ。端座位をはじめてすぐ左手の親指を微かに動かしたり、妻は左手に意識をもっていっているようだった。それで僕も「はい左手をもっと動かしてみて」と言って、その意識に僕の意識を合わせるようなイメージを作ったりしながら、妻の首の角度を立てながら、首がガクンと前に落ちないようにおでこを押さえていたら、急にこうなった。びっくりしたなーもう。

今日は夕方にリハビリが入っているから、あまり疲れすぎないようにこのあとはテレビタイムとした。「ショムニ」の再放送がはじまった。しっかりと見ている。何でそんな真剣な顔でドラマを見るのだ?でも楽しいみたいだ。よかったよかった。とその時、処置のチームが巡回してきた。いつもより15分以上早いけど、これは妻のリハビリとの兼ね合いで、早めの処置となっているのだ。「あー残念でした」と、遠慮なくテレビをパチリと消した。<「何するのよ!」>とテレパシーのように、なんか“ムッとした感情”が伝わってきた。僕を睨んだ!「ほらほら、しょうがないだろ?そんなタイミングの時もある。これも人生だ。じゃ、明日ね」と慌ただしく部屋をでた。あーあ、睨まれちゃった、あーあ、あーあ、・・・あの目、苦手なんだよ。

未分類 | 18:55:37 | トラックバック(0) | コメント(0)
ボタンの掛け違え

久しぶりに熱を出して、なかなか風邪が治らなかった。その上、熱が出た日に次男とあったら、昨日から発熱したという。まいったなぁ。そんな訳で、熱はひいても、ちょっと妻のところへ行くのを遠慮していたので、今日はなんと6日ぶりの対面である。こんなに会わなかったのは、昨年僕が体調を崩して入院した時以来だ。

顔をあわすなり目で合図をしながら首をクンと動かして「どうしてたの?何かあったの?」って無言で言って来た。「あー、ごめんごめん。風邪ひいてね」・・・というスタート。「今日は、新しいお店でアイスコーヒーを買って来たよ。フランセのアイスコーヒーだ。これ酸味が強くて好きなタイプだと思うよ。」コーヒーをひさしぶりに堪能し、端座位を30分しっかりやった。アキラのバカ話をまた聴きながら、最後にユーミン「海を見ていた午後」でしめた。これはかなりいい展開だった。明るいバカ話の最後に、こういう曲に切り替わると、なんとも切ない効果が生まれる。世界観はちがうが、種類としては寅さんの世界の切なさに近い。

この曲、改めていいなと思う。エレピの夢のようなトレモロサウンドの中から、マイクそばで小さめな声でささやくように歌うユーミン、その声にとてもナチュラルな鉄板エコーがドカンとかけられていて、船の軌跡を表すようにミニムーグ出しゃばらない自然さでフレーズを描く。アキラのバカ話とロマンティシズムだ。いいコントラストだった。

そのあとは車椅子にのってデイルームに行き、筆談の特訓である。まぁ、そう焦らないでと言いたい。これについては、書くことはあまりない(笑)筆談より言いたいことは、このデイルームに流れている音楽についてである。子供合唱団が歌う童謡・唱歌のオンパレードである。「紅葉」「小さな秋」「森のくまさん」etc. 選曲が悪いとは思わない。子供の頃に聴いた曲は、心に響く。いいと思う。しかし原盤の選び方がよくないと思うのです。これは幼稚園児むけのCDだ。もしも僕が患者だったら正直に言えば、とてもいやだなと思う。言葉がしゃべれない、身体がうごかない。機能障害であるが、知能・知性が幼稚園児になったわけではない。子供がえりして、たのしいと思える懐の深い患者さんもいるだろうけど、ほとんどは違和感を感じているのではないだろうか?もしくは、もう慣れてしまったのかもしれない。でも、その「慣れ」は、ある意味での「あきらめ」であろう。

こういうところに誰も疑問を感じないのかな?年齢層的には、昭和の歌とか、演歌とかでもいいのではないかな?と思うけど、こういう子供の頃の郷愁を引き出す狙いで選ぶなら、安田祥子&由紀さおりの音源を選ぶとかすればいいのになと思う。

デイルームに入った瞬間に、妻はなんか寂しそうな顔をしたように感じた。「わかってるって。まぁ、これは好意であるから、それは大人としてね。ねっ!」「・・・」なんとも言えない目で僕を見返していた。そんな声をかけてから、デイルームの入り口で、廊下側に向いて、筆談の練習をすることにした。この階のデイルームが一番温度が涼しいのだ。

しばらくしてから、どうも「森のくまさん」を気にしながら筆談はどうもなぁとおもいはじめて、別の階に移る事にした。「これはとてもデリケートだから、難しいよね」・・・とつぶやきながら、別の階のデイルームに移ったら、ちがう合唱団だと思う声の子供たちの童謡シリーズがかかっていた。「春の小川」だった。・・・「いい曲だろ?」と妻に声をかけて、デイルームの前を通り越してベッドにもどって、テレビを見る事にした。

このあり方は、ある意味ぼくらサイドが麻痺しているという事なんだけど、それを伝えるには勇気がいる。ジル・ボルト・テーラーさんが言っていたように、ちがうんだろうと思う。「聞こえているけど、返事が出来ないだけなの。そんな耳元で大きな声だされると頭がどうにかなっちゃうよ!」・・・とジルさんは言っていた。聞き逃す可能性は大きいし、頭がついて来れないこともある。声が聞こえても、認識がついてこれないことはあるだろう。当時のジルさんの願いは「根気づよく、何度も何度も忍耐強く繰り返し言ってほしい」と言っていました。声の大きさではないのです。

このCD原盤の選択は、コストの問題とか、寄付されたものかもしれないけど、同じ問題が内包されているように感じたのでした。勘違いしていると思うのです。

妻はテレビを見ている、、、僕の頭の中は、この僕たち側の麻痺感覚について、僕と僕が話しあっている。「本当は病院へ話しをしなくてはいけないのではないか?」「でも難しい。」「勇気がいる」・・・「何故勇気がいるのだろう?」と思うと「嫌われたくないからだ」と答える。「そんなんじゃ、ダメじゃん。」「やっぱり言わなくてはいけない。」「いやいや、違う音源を購入してプレゼントすればいいんじゃない?」「全フロアーにかい?」「そ~やねぇ」「何故に関西風?」・・・などと頭の中は忙しい。

妻はワイドショーに夢中だ。女の子はいつまでも王室の話が大好きなんだな。

未分類 | 17:28:01 | トラックバック(0) | コメント(2)
映画の演出と鑑賞者の人間性についての考察
映画「ゆずり葉」を見ました。

煉瓦ホールに入っていくと、すぐ左側に白雪姫プロジェクトのコーナーがありました。
そして、そのすぐ前には、たけちゃんが出迎えてくれるようにいたのでした。
こうやって、外に行けることは素晴らしいなぁと思いながら、今度のカンファレンスで妻の事も相談してみたいものだと思いながら、たけちゃんと挨拶を交わし、座席へと向かいました。
総合司会は、体当たりのお優さんです。ビシッと着物を着こなして、滑舌の良い心地よい声で会はスタートしました。早速「ゆずり葉」の上映会となりました。

年をとると涙腺がゆるむといいますが、どうもそれは事実のようです。
こういう映画を見る時に、どうも僕はいつもある防御本能が働きます。それは、涙を流さなくて済むように、先読みをしたり、設定の裏に隠されているトリックを見つけておくというようなことを、ついついしてしまうわけです。そうすると「ほらね、この展開になるわけだよね」と先回りして、涙とは無縁でいられるわけです。やな性格です、文章にするととても感じが悪い(笑)

涙は関係ないですが、ブルース・ウィルスの「シックスセンス」のときも、途中で設定のトリックを見つけた時には、かなり妻に自慢したものです。妻はもちろん、最後までわからなくて、びっくりしていたわけです。「へへん」と自慢しましたが、しかしそれは、妻は素直で、僕はひねくれものというだけなわけです(笑)どこも「へへん」ではありませんと、あの映画(1999年)から10年以上経って思い知るわけです。

このところ、この方法は全然効果がなくなってきています。いつからだろう?設定とか、ストーリーの行方は予想できていて、そのままに進行するけど涙は止まりません。その上、余計な設定が頭の中にいつも現れます。妻が元気だった頃の思い出です。これは誠にやっかいで、これからを生きる僕らには、あまり必要がないのですけど、ついその当時のことを思い出すようなことがあります。過去にひきずられると涙もろくなる。それに、目の前に繰り広げられる「泣ける設定」の連続。もう、右も左も、後ろも前も、みんな鼻をすすり始めます。

鼻を「ズッ」とすすって「ぅう」とか、鼻と喉の奥から声にならぬ声を出しながら、全員号泣である。日野市民会館の煉瓦ホールはいっきに涙、涙、涙のちょっとへんなムードの空間となった(笑)僕はこの日、風邪っぽかったのですが、みんなと一緒に暗闇の中で号泣してから、鼻水が止まらなくなり、おまけにくしゃみが止まらなくなり映画終わりで帰宅した。

友人を10名誘ったのに、この日に限ってみな仕事でだめだった。しかし、もしも友達10名がみんなで泣いていたら、相当に気持ち悪い風景だっただろうと思いながら外に出た。
そうだ、そう言えば、たけちゃんはどうだったのだろう?きっと泣いちゃっただろうな。だって、人一倍素直だものね。ぼくは涙を拭い、鼻水を垂らし、くしゃみを連発しながら、性格が悪いからバチがあたるのだと戒めながら帰宅した。

未分類 | 08:28:44 | トラックバック(0) | コメント(0)
妻の笑顔とバカちんアキラ
昨夜、中学時代の同級生の父親の通夜があった。僕は父の他界を機に30年ぶりに実家にもどったきた。きっと、そうでなければ情報もなく、通夜には行っていなかっただろう。僕の父は今年七回忌だったが、みなそんな年齢がやってきたということだ。行ってみると当然、知っている顔が揃っていた。こういう時の常だが、そのままプチ同窓会となった。通夜、葬式は、生きている者達を集めて、再会させてくれる。

妻が倒れた2010年の2月13日は、このメンバーが集まり八王子で飲み会がある日だった。僕は仕事で参加できなくなったけど、妻だけが参加することになっていた。妻は福岡・北九州の出身だが、以前この集まりに連れていったところ、僕の友達がバカちんばっかりなので、信じられないほど楽しかったようで一人でも行きたいと、参加する予定だった。その日の、昼間にサウナに行ってから一杯やりにくことになっていたのだけど、当時通っていたスポーツクラブのそばで、いきなり倒れてしまったのだ。あの日以来、僕はその飲み会には参加しなくなっていた。どうも、行く気持ちにならなかったが、昨日はお通夜の後にその仲間たちと飲みに立川の街へ出たというわけだ。

アキラという男がいる。こいつは特別なバカちんである。妻のお気に入りだった。「私、アキラさん大好き!」としきりに言っていたので、この特別なバカちんの声を聴かせてあげようと、iPhoneをそっとテーブルに置いてアキラのバカ話しを10分ほど録音しておいた。

今日もいつものようにセブンのコーヒーを飲んでから、端座位をとった。「清美、今日は面白い企画があるんだよ。いつも音楽ばかりだけど、今日はちょっとちがうんだよ」とバカちんアキラの会話を聴きながら端座位を楽しんだ。これは一つの才能であると思うが、あまりにバカらしい話で、面白すぎて僕も声を上げて笑ってしまった。その瞬間、ついに妻の笑顔が見えたように感じた!なんとも言えない目で、僕を覗き込んだ。「お通夜に行くっていったのに、もう、何やってんのよ」と呆れながら笑ってくれた。「そーなんだよ、面白すぎるだろ?」ときくと、はっきりとため息を付きながら「うん」と頷いた。きっとあのため息は、笑いと呼吸のタイミングで、「っ、ふぅ~」となったのだろうと思う(笑)居酒屋のガチャガチャした雰囲気の中で、アキラのバカ話し、たった10分だったけど、この企画は大当たりだった。

せっかくだから、その他に、ビデオコメントも撮ったのだけど、この天然バカちんは、カメラを向けると大して面白くない。「アキラ、清美にコメントちょうだい」「清美ちゃーん、はやく目をさまして、一緒にのもうねー」「アキラ、もうとっくに目はさめているんだよ」「あっ、そうなの?清美ちゃーん、じゃぁ、今度一緒に酒飲みにいこうねー」「アキラ、お前面白くないな」・・・という映像は、端座位終了後に見せたが、目が完全にすわっているアキラを、妻はとても楽しそうに眺めていた。きっと「やっぱり私、アキラさん大好き!」って思っているはずだ(笑)

おかげさまで、3年ぶりの妻の笑顔を見る事ができた。次回から、また飲み会に参加しようと思った。
アキラ、ありがとう!

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”母親の愛”は勝つ
次男がなかなかの経験をし、妻のもとへ久しぶりに挨拶に来た。引越からたった一週間で、激変の人生を体験した次男坊は、一昨日、円満解雇となった。昨日から暇になったので、早速、息子はお母さんに会いに来たわけです。たしか、前に来たのは半年前、就職が決まったから頑張るよと報告に来たとき以来だと思う。

腰痛もちの彼は、身体の事情も話した上で営業ということで入社した。土日は介護用品取扱の免許を自費でとりながら、平日は当然業務・・・その業務は営業ではなく、見習いはひたすら介護ベッドを運ぶのだ。腰にはコルセット巻き付け介護ベッドを一人で運び、設置するという業務に明け暮れていたわけだ。そうしたら、腰痛持ちはやっぱりだめで、解雇となった。すごい話だ。どれだけ使えないやつだと思われたのだろう(笑)とにかく良かったことは、身体を壊さなかったことだ。これが、本格的なヘルニアになっていたら、一生の問題だ。身体を壊す前に、この会社を辞められた事は、彼にとってはラッキーだった。とにかく、めでたしめでたしということだと落ち込んでいた息子と、心配そうに見つめる妻に話をした。いい人生経験が出来て、本当によかったよかった(笑)

先週、そんなことになるかも・・・という話を息子から聞いて、久しぶりに易経を占ってみた。もちろん、次男のことをである。そうしたら、ちゃんと最悪な結果が出た。山地剥の上爻である。・・・剥がれ落ちて、壊れきるまで、その勢いは止まらない。しっかりと剥がれ落ちるまで、じっと耐え忍ぶしかない。そして、過ぎ去ってから慎重に周りを見渡すと、今まで手をつけていない果実が一つだけあるはずだという。それが何か?は自分で判断するしかない。まぁ、人生いつでもなんとでもなるだろう。だから面白いし、楽しいのだと思う。

自分の過去を思い返しても、いつもこんな連続だったし、もちろん心が折れるときもあったが、折れっぱなしなわけにもいかず、結局それは心を燃やしてくれることになり、楽しみながらくぐり抜けてこれたと思う。自分の身体を壊したことも、妻とリハビリのタイミングが来たと思い、会社も辞めた。それは、白雪姫プロジェクトと出会うためだったと思うし、その出会いは妻をどんどん良くしてくれている。そして、3年たったらシュシュシュッ!と筆談も出来るようになる予定で僕の人生は進んでいる。しかし、少し働かなくちゃいけなくなったようだ(笑)この引越で、もうおしまいとお息子を手伝ったが、まだ少しの間、手伝わないとならなくなった。まぁ、なんとかなるだろう。僕の人生は、予定とおりに行ったためしがない。行った先々で、いつも予定外のことが起こるけど、それは、何故か面白い結果にいつも繋がる。きっと、今回もそうなるだろうと楽観的に考えている。楽しみである(笑)

あぁ、そんな話ではなくて、妻の母親としての愛情の話だ。セブンのコーヒーをもって息子と一緒に部屋へ入っていき、妻の視野の中にまずは僕が入るように入場して、いつものように挨拶をしながら「今日はゲストが来ているよ」と声をかけた。「ん?」という感じで、目を僕の左側にもっていくと、クビになりたての息子がそこに立っていた。「おかあさん、久しぶり、来たよ。」とニカッと笑って挨拶した。妻の口元はモグモグ何やら言いたそうに動いた。そりゃ、言いたいだろうなぁ。それから息子が妻の右側にうつり、僕は左側から手をとり、「清美、お前、モテモテだな」と話しながら、コーヒーを口にもっていく。息子はコーヒーを飲めるようになってからは、初めてとなるから、コーヒーを飲む前に、ゴクンとしている妻に、へーと喜んでいた。妻は、そんな次男をそんなに見つめたら穴があいちゃうよというくらいに、見つめていた。母親の愛情光線が目から放たれていて、これ以上見つめていたら、きっと煙があがると思った。

この愛情の感じ方、伝え方、受け取り方、、きっとこれこそが、柴田先生がやられているコミュニケーションの素なのだろうと思いながら、そんな妻を僕は見ていた。端座位をとり、ちょうどそこにきた、歯科衛生士の担当に、端座位のまま歯を磨いてもらい、かなりハードな端座位となったので、そのまま今日は車椅子はお預けにして、ベッドで筆談練習、そしてテレビタイムとなった。しかし、妻は息子を見つめっぱなしだ。そうだね。心配だね。でも、大丈夫だよ。そうなっているからね。・・・それにしても、僕のは方は全く見ない・・・これも、問題だな(笑)

いつも、けじめけじめで、挨拶をしてくれる妻。帰り際に、またねと僕。流される僕。同じように息子が「お母さん、また来るね」と声をかける「わかった、がんばりなさい」と声をかけるようにクビをしっかり使って頷く妻。ほーらね。クビを動かしたり、唇と動かすのは大変だけど、頑張れば1日に1〜2回やれる。そのことを理解している妻は、今日はそのパワーを息子のために温存し、そこに集中して使ったのだろう。妻の中で、母親の愛が勝った瞬間をみたようだった。「いい母親をもってよかったな」と息子に言いながら、心の中で「俺にはしてくれなかったけどね」とつぶやいた。

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多忙と胃瘻とデリケート
12時半に病院へ来た。いつも、この時間なら経管栄養は終了している時間なのに、まだまだたくさん残っている。なんでだろう?と思っていたら、今日は午前中に胃瘻のアタッチメントの交換手術をする日だった。それで、時間を送らせて初めているのだ。なるほどなるほど。

胃瘻という存在自体を知らなかった時には、え?お腹に穴あけて、胃に直接栄養を入れるの?それってすごい直接的で、西洋医学っぽい判断から生まれた方法論だなと思った。そして、その手術はやっぱり少し恐いなと思ったものです。これを薦めてくれたのは、奥沢病院の院長先生だった。それまでは、鼻から管を通していた。当然、とても大きな違和感と負担があるはずだから、胃瘻にすると患者の負担がへるという説明を受けた。定期的に鼻からの管の出し入れによる負担も、常なる違和感もなくなるし、当然、介護する側にも便利であるということで、奥沢病院へ移ったときに、すぐに胃瘻手術を受けた。

その胃瘻のアタッチメント部分は定期的に交換するために、手術という手続の書類に毎回サインをしているけど、もうとても安心感のあることだとわかっているので「あぁ、そう言えば、今日が交換手術日だったな」という感じである。当初は、とにかくちょっとした手術でも立ち会っていたのだけど、きっと当時「特別」と思っていたことが「普通」に変わったということだろう。

そんなわけで、交換手術は安全簡単なことなのだろうけど、当然、患者本人は緊張するし、刺激があるから、少し、お休みの時間を置いてから、食事ということになったのだろう。とてもやさしい判断である。液状の食事が点滴のように落ちるわけだけど、いつもよりゆっくりしたスピードで食事をしている。素晴らしい!食事が終わったのは、14時前。いつもより2時間遅く終わった。

妻に、どうする端座位やる?と訊いてみたけど「やりたくないな」という顔をしていた。そうだよね。胃瘻の交換手術だったから、緊張したんでしょ?「うん」というように<パチリ>と答えた。そうだよね。疲れたね。じゃぁ、今日はテレビにする「うん」<パチリ>・・・これは、いつでもパチリである(笑)

そう言えば、今日の夕飯はどうなるのかな?いつもなら17時にはスタートする。看護師さんに「夕飯も遅く始めてもらえるのですか?」と確認すると、夕飯は通常時間でのスタート予定となっていた。いやいや、そりゃ、お腹がすくより辛いのではないかな?と思う。だって、お腹がすいていないのに食事するのって、ちょっと苦しくないですか?って思った。「あのぉ、夕飯の時間、1時間でいいですから、遅らせてもらえませんか?」と勇気を出してお願いしてみた。しかし、現場で勝手に決められることではないのだ。

そうだよね。こう言う事なんだよなぁ。多忙な病院の日常では、命に関わらないことで、一人一人のデリケートなまでのケアーは、求められない。一人一人の快適度合いまで考えるのは大変だし、そこまでは求めてはいけないだろう。それはよくわかる。でも、お腹いっぱいのときに、食事をさせるのはどうなんだろう。もしも、自分だったらどうする?ただ、それだけのことなんです。それも、口もきけない、拒否も出来ないのです。胃瘻は流し込めばきっと入る。でも、きっとお腹はいっぱいだよ。せつなくなってしまって、やっぱりお願いしてしまった。ご飯のタイミングまで注文だす、めんどくさい家族だ。本当にすみません。

確認ししてもらい、食事時間を遅らせてもらえることになった。あーよかった。本当によかった。ほっとして、病院を出た。妻は刑事ドラマを楽しそうに見ていた。よかったね。また明日ね。

未分類 | 19:43:30 | トラックバック(0) | コメント(4)
七夕の願い事

コーヒーのゴクンが、いい感じだ。少しづつ飲む料が増えているような気がする。コーヒーを飲みたいという気持ちがちゃんと伝わってくるから、そのムードに応じて、一回の量を変えるのだけど・・・飲む量といっても一回につき2滴〜5滴くらいの範囲である(笑)それに今日は飲む回数も多かったように思う。いちいち、数えているわけではないので、はっきりはしないけど、今日は多めに飲んだなという印象があった。ゴクン、いい音だ。次のステップはどう判断できるものなのだろうか?次回のカンファレンスで聞いてみよう。ゼリーをゴクンと出来る日がくるといいな。口から飲む、口から食べる。すべての栄養を取りきれなくても、口を使うことが出来るようになるといいなと思う。

コーヒー ~ 歯磨き ~ 端座位30分、そして車椅子で筆談を20分ほど。車椅子に乗る段階で、もうずいぶんと疲れているはずだけど、筆談をはじめると、真剣な顔になる。すごい興味があるのだ。妻はきっと本気でサインを出してくれているはずだ。なかなか受け取れない。しかし、ここでごめんねなどと言うと、お互いに遠慮しはじめるとよくない。だから、僕が出来るようになるまで、つきあえよなと言ってある。でも、なんか「あのさ、いつも名前と○、×、ばかりじゃん。もっとちがうこと出来ないの?こればかりじゃつまんないよ」と言ってるかもなーと思って、テキトーな事を書いてみる。でも、それはそれで「ちゃんとサインを受け取ってよ」と睨まれる。本当にムズカシイ。どうも僕は特別に才能がないのかもしれない。それもまた才能だよなどと、負け惜しみをいいながら、しかしね、君はそんな人と一緒になってしまったわけだから、出来るようになるまで、つきあってもらう他に君の道はない。諦めたまえ。と言ってやった。

それでも、20分もすると、さすがに目を閉じてしまった。「今日も失格ね。お先に失礼!」と目を閉じたのだろう。ふん。そんなこともあろうと、今まで見せなかったのさ。昨日のみんなの写真やムービーを見たくはないのかい?「え?」・・・パッチリと目があいた。へへへ。かつて毎年一緒に旅行やキャンプにいって遊んだ友人夫婦も合流して、息子の部屋にあつまった昨日の写真やムービーだ。孫との2ショットや、孫が片手をグーにして「ダー」とやっているムービーなどを見せたら、当たり前のように、目はパッチリとなった(笑)

息子の部屋で、妻のもとに柴田先生がきてくれたときの記録映像をみせていたら、僕はまた涙が出て来てしまった。息子たちは、泣くのがかっこわるいと思ったのだろう。途中から、チラチラ画面を見ながら、意識的に子供を抱いたり、友人夫婦に話しかけたり、映像に集中するのをためらっていた。まぁ、そうだろうな。今度、ゆっくりそれぞれ見てね。今日はそんなんでいいさ。

しかし、柴田先生のやられている活動や、障害をもっている人たちの心の美しさについては、ちゃんと伝えられたと思う。あの映像だけをただ見せても、いきなりだとびっくりしてしまうから、よかった。それまでの道のりなどを、はしょって説明したけど、わかったかな?まぁ、説明しないよりは、よかっただろう。スケジュールがあえば「きんこんの会」にはみんな来た方がいいと言って部屋を出た。

今日は七夕だ。そうだ「きんこんの会に参加したい」ってイメージ短冊に書き込みしよう。妻が参加出来る日がくるといいな。かなり楽しい現場になるのではないかな? 若者の中で、ダントツのおばさん一人。どんな話が飛び出すだろう?ぜひ実現したいな。

未分類 | 22:12:26 | トラックバック(0) | コメント(0)
下が上の下に・・で、お祝いの巻
駅の立ち食いで、かき揚げそばを食べた。かき揚げ付きで350円。で、今日はタリーズ。アイスコーヒー(トール)が340円。なんか、バランスが悪いけど、商品原価だけの問題では販売価格は決定できないのは当たり前だなと思いながら、コーヒーを抱えて病院へ向かった。

「今日は、初のタリーズだよ。まぁ、うまいよ」と声をかける。本当にコーヒーが好きなんだな。昨日のピーチティーは失敗だったと思う。今日はコーヒーの香りがするなり「ゴクンッ」としていた。今日も、シロップもミルクも入れると言う。でも、せっかくなら「まず、シロップだけで、一口のんで、それからミルクを入れて飲むのはどう?2度楽しめるよ」と言うと「それは、いい考えね」という感じで<パチリ>とまばたきをした。ゆっくりコーヒーを味わってから、端座位を今日は長めにやろう。

昨日は、どうも調子が悪いようで、端座位はやめた。なんか、やりたくないという感じだったのだ。端座位、そして車椅子だと、それなりにハードなのだろう。暑いしね。だから、昨日は車椅子だけにした。で、今日は端座位に集中してもらう予定だ。

ところが、今日は七夕のイベントがデイルームであるという。うーん。どうしよう。デイルームに1時間近くいると、今日は僕の時間がなくなってしまう。今日は、久しぶりに息子たちと孫に会いに行く予定なのだ。先週の日曜日に、下の息子が、上の息子のアパートの、下の階の部屋に引越をした。下が上の下である。これは、反対だと混乱しそうだけど、たまたま上の下が下の息子である(笑)それで、引越祝をしにいくのだ。今、この文章は、息子のところへ向かう電車の中で書いている(笑)

妻にも、その説明をした。今日は、奴らの所へ行くから、病院を早くでるよ。で、端座位を優先したいから、七夕イベントはパスさせてもらおう。いつも、病院のスタッフが積極的に、みんなの為にイベントを組んでくれているのは知っているけど、訓練を優先させてもらうことにしよう。と妻に説明をして、端座位に取り組んで、いつもよりも長めに40分、座ってもらった。

かっこちゃんに習った、ぐるーんぐるーん、はやっぱり恐いようだ。方をもって、身体をかたむけて右から後ろ、そして左へと、ぐるーんぐるーん、ってやってみてから「恐いの?」って聞くと「恐いっていってるじゃん、バカ」という感じで、睨みながら<パチリ>とする。目つきが悪い。それじゃ、もてないぜ。と言い返しながら、少しぐるーんと軽めにしておいた。

イベント中に、スタッフを呼んで、車椅子にのせるのも悪いので、今日は、長めに端座位をして、それからベッドにもどして、筆談練習。でも、ベッドの上での筆談は、どうも体勢が難しい。やっぱり、筆談練習は車椅子にのってからのほうがいいように思う。そんなことを、している間にそろそろ今日は時間がきた。あとはテレビを見ていてね。と声をかけ、体勢をテレビ用にして、耳にイアホンを入れて、スペシャルでやっている日本テレビの歌番組を見せて出て来た。出がけに「息子たちへの伝言があるか?」と聞くと、ありそうだったけど、僕にはわからない。でも「よし、わかった」とウソをついて、病院を後にした。明日は、また息子のこと、孫のこと、を写真つきで報告することになる。たまに一人芝居をやっているように思う時があるけど、一応、相手はいるのだ。

未分類 | 16:46:52 | トラックバック(0) | コメント(0)
山桃とおかあさん


妻のいる病院で、毎日あうおかあさんがいます。とても上品で、物腰がやわらかく優しい方で、ご主人が入院されているので、ほとんど毎日、顔をあわせます。ご主人は元警察官で、剣道が強かったそうです。強靭な身体と精神の持ち主だったそうですが、2回目の脳出血で遷延性意識障害という状況のようです。

白雪姫プロジェクトの、おはなしノートを差し上げたのをきっかけに、最近は会話する機会が増えました。つい先日、いつもの病院前の小さな公園で妻とゆったりしていたときに、ちょうどおかあさんがやってきて、この山桃の話になりました。小さい頃、疎開先でよくこの山桃をつんではおやつ代わりに食べたということで、とても懐かしいと話をしていました。へぇ、食べられるのか・・・と思いながら、おかあさんが立ち去ったのを見計らい、こっそり実をかじってみたら、少しすっぱくて爽やかな甘みがあって、なかなか美味しかった。今年はたくさんの実をつけて、木の下にはたくさんの実が落ちていた。これだけの実つくのだから、当然、印象が残るはずなのに去年の山桃の実の記憶がない。なぜだろうと、毎日眺めているうちにいつのまにやら実が全部落ちてしまい、これが最後のひとつとなった。

リハビリ担当者が、他の患者さんを車椅子にのせて散歩に出ていたのですが、この山桃の木の反対側を通り過ぎる時に「山桃は毎年でなくて、2年ごとに実をつけるそうですよ」と話をしているのが聞こえてきた。そーか。それでは印象が残るはずがない。去年は実がつかなかったのだ。でも待てよ。それでは、一昨年は実がついていたのではないか?震災のあった年である。あの頃は会社と病院の毎日だったので、きっと僕の心に余裕がなかったのだろう。今のように、周りの景色を見ながら歩くということがなかった。あの頃は、毎日がいっぱいいっぱい、という日々だった。

今日は、ジメジメした空気の強い風に吹かれながら、目をとじていた。いつものツマラナイ攻撃であるが、この瞬間もとても大切なひと時である。木の下に落ちている山桃の実をひとつ拾い上げ、妻の鼻もとに近づけてみる。うっすらと目を開いた。へぇ、こんな微妙な匂いも感じるのかな。それはそうだな。ベッドサイドからの景色(8)の<整体とメッセージ>に書いてあるように、コーヒーの香りで首を動かしたほどの人である。香りも当然、しっかりとわかっている。

今日はピーチティーとかいうやつを自販機で買ってきたのだけど、あまり好きじゃなかったようだ。なんか、あまり嬉しそうじゃなかった。その上、最後の一口は、首を横に動かして拒否した。首を動かすのはパワーはとても必要だけど、イヤなことには、自然と反応するのだ。これが不思議だ。考えて、その考えにあわせて、指令をだして、首を動かすのはとても大変で、調子がいい日に、1日1回という回数限定でやってくれる技であるが、生理的にイヤなときには、何度でもできる。これは、考えて行動するというのとは、また少し違う回路で信号が送られるようだ。
こんな風に、手も足も、口も、首も、動けばいいのにと思いながら、今日も筆談10分間。今日も○と×の練習だ。相変わらずわからないけど、とにかく毎日やっていきます。僕が出来るようになったら、おかあさんに教えてあげることにしよう。

未分類 | 22:03:35 | トラックバック(0) | コメント(0)
地球のリズム
最近、かなりの確率でしっかりと返事をする。
セブンのアイス珈琲にしてからは、ミルクもシロップも毎日入れるようになった。
マクドナルドのときは、シロップだけの時、ミルクだけの時、両方入れる時、と味に変化をつけていたけど、セブンの珈琲は、苦みが強いから、両方入れるようになったようだ。・・・と言う事は、味もわかっているということではないのか?味覚には、甘み、苦み、など色々あるから、全部がわかるかどうかは、わからないけど、甘みと苦みは、わかっているということなのだろう。

この「返事」=コミュニケーションの成立・・・これによって、僕はものすごく救われるわけですが、これが出来ると思ったのは2年ほど前だったと思う。もう少しで、Yes or No は出来るようになると信じて、もう少し、もう少し、という日々がつづき、それから、なんだやっぱり分からない、出来ないな・・・となり、それからまた1年以上が経って、やっとこの頃、返事をだいたいしてくれるようになった。

返事のほとんどは、右目のまばたき、である。ただ、Yes or No はわからない、これは、受け取り側の僕の感覚にまかされている。まばたき意味としては、こちらから質問した内容は理解したよという意味に近いのだろうと思う。それは、だいたい「Yes」という意味だ。まばたきに迷いがあるときがある。目つきがちょっと困っているような時は「No」だったりする。まばたきをしないで、目をそらしているときもそうだ。調子のよいときは、首を横にふる。でも、これはずいぶんと大変なようで、ここぞという時にはやるけど、他ではやらない。

首を動かしたり、口で「い」とか「う」とか意識的に形をつくったりするのは、とても大変なようで、1日に1回、最初に僕の顔をみて挨拶をする時だけにしているようだ。それで、帰る時の送り出しの挨拶サービスは、首のうなずきだ。

あれだけ、どこも身体が動かない中でも、自分の実力を把握していて「出来ること」を、ちゃんと効果的に、計画的に表現しているのだ。すごいことだと思う。

これらのことを、今朝、思い返していると、やはり目に見えぬスピードで確実に進歩、回復しているのだということだと思いました。そう言えば、開きっぱなしの右目も、最近眠るときは両目が閉じていることが多くなってきた。これも、自然と本当に時間をかけて、気がついたらそうなっているというスピードだ。すべてが、このくらいのペースなのだ。

手に力をかすかに、感じたある日、それは1年くらい前だったように思うけど、その力のレベルは少しづつ強くなっているように思う。「強い」の力は、言葉で表すほどの差ではない。しかし、確実にその度合いは強くなっている。これらのペースもそのくらいのスピードである。

目にみえない動き、回復への道のりは、このくらいのスピードだ。出来始めた事を慌ててはいけないということだろう。僕はすぐ、セッカチに期待して次を急ごうとする。そして、出来ないからガッカリする。でも、そもそもそれはペースが違うのだ。季節が変化していくようなペースで、そして地球が呼吸しているようなリズムを感じるように、妻の回復のリズムをつかみ取っていく忍耐が必要なのだ。

未分類 | 09:12:24 | トラックバック(0) | コメント(0)
ひとり言、ブツブツ


今日のかっこちゃんのメルマガで紹介されていた、遷延性意識障害とその介護の現状 http://youtu.be/Y8kX5DytXdE 重い意識障害の男性が意思表示、介護の現実 http://youtu.be/yDu6i1wtsFc 僕はこの映像をみて、みんな筆談が上手で、本当にすごいなと思います。僕は毎日筆談を試みているが、そのきっかけさえまだ見つけられない。しかし、3年でシュシュシュッ!を夢見て、やり続ける約束を妻としたので、これはもう後には引けないと、やり続けます。

筆談や指差しなどの方法を、それぞれの家族が手に入れて行く事は、本当に本人も家族も希望の光を手にするというほどの喜びでありますが、かっこちゃんも書かれていたように、まさかその希望を、わざわざ砕くような中傷が、存在することを知り、愕然としました。

柴田先生は、本の中で、自分も当初は、みなさんの中に言葉があるなどとは思っていなくて、研究を続けている中で、その事実と向き合う事になっていったと書かれています。なので、疑う人のスタンスも分かると、どこまでも冷静にこの事実を受け止めていらっしゃいます。しかし、ウソか本当か?に時間を費やすより、やっぱり僕であれば、妻の声を聞き取ってほしいと思いますし、妻しか知り得ない情報を、柴田先生がなぜスラスラ通訳してくれるのか?を目の当たりにした僕としては、すぐにそれが真実だとわかります。

柴田先生のやられている方法も、きっと人間にもともとそなわっている力なのに、それを人間の進化(退化?)の中で、捨ててしまった能力なのではないかと思います。柴田先生は障害者とのコミュニケーションを30年も向き合って、研究をやりつづけているわけですが、結果その能力を再開発してしまったのではないか?とおもいました。それは現代人にとっては「超」能力です。それは一般から見れば「超能力」なわけです。

言葉がなかった時代、あるいは単語がまだ少なかった時代に、肌をふれあい、互いの「愛」「怒り」「いたわり」などを、伝えていたようなことがあるのではないでしょうか?・・・など、そんな素人の想像をここで書いても、意味はないのかもしれませんが、本当に僕らの希望を、希望の光として「筆談」という方法があるということを、伝え、実践していければいいと思います。

きんこんの会に2回参加して、本当にこのところ、子供たちの美しい心にノックアウトされていて、今は僕にはできないけど、とにかく筆談をがんばろうと思っています。それで、毎日、妻の手をとり、サインをうけとろうとしているのですが、なかなか出来なくて、飽きた時に最近遊びでやっていることがあります。手をとり、だまって話しかけてみるのですが、声に出して話していても目を閉じているのに、この沈黙の会話トライアルは、妻はなんかの感情を察知して、目をあけることが多いように感じます。

ぼくの気のせいなのかもしれませんが、どうも、そうでもないように感じます。まぁ、こんな程度のことを言っていても、始まらないので、とにかく筆談をがんばろうと思います。

さて、今日も、がんばろう。

未分類 | 09:59:39 | トラックバック(0) | コメント(2)

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