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T.Nishijima

Author:T.Nishijima
2010年2月に妻が脳幹出血で倒れる。2013年3月に白雪姫プロジェクトと出会い、積極的なリハビリアプローチを始めるため、その回復への道のりを記録しようと日記をはじめました。また、このプロジェクトの存在を知ってもらいたいと思っています。
http://www.shirayukihime-project.net/

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夢の雫
今日の妻は、低体温だった。なんか変なんだけど、オデコは熱かったけど、体温は低い。学校が終わってから、16時前には病院についた。タイミングが悪い。処置の時間がすぐだし、17時からは夕食だ。まぁ、半年はこのペースで、端座位だけはがんばっていこう!しかし、今日はどうしようか?昨日、一昨日と夕方から仕事があり、行けなかった、今日はやりたいけど低体温だ。しかし、妻はわかっているようだ。気力というか、僕の思いを推し量る力というか、どちらともだけど「端座位、やったほうがいいと思っている。・・・やる?」ときくと了解の反応がある。

「すごいね。本当に、いつからこんなすごい人になったんだい?」と訊いても、もう目を閉じている。座らせたらもう目は閉じるのだ(笑)そういえば、友人の息子から昨日、写真をメールでもらった。2009年の12月に、超安いホルモン焼きの店でよっぱらっている僕たちが、楽しそうに飲んでいるところだった。こんな日もあったんだなと写真を見せたら、複雑な顔をしながら見ていた。無表情なのに、複雑だと何故わかるのか?よくわからないけど、そんな風に思った。

今、これを書きながら、久しぶりに「夢の雫」をYouTubeで見た。びっくりしたことに、6971回も色々な方々に見てもらったようです。きっと僕らのような人生を送っている人たちが、何かの縁で見てくれたのだろうと思います。白雪姫プロジェクトを通しての方も多かったのでしょうね。

今見ていて思ったのですが、本当に3年半かけて、ずいぶんと山を登れたと思います。標高で言えば3センチくらいの差で「どこが?」と、言われる程度ですが、人生の内容がちがうんです。この曲の映像が、まさか今、こう思うこととの対比になる日がくるとは思っていませんでした。

ただ、考えが浅いだけだけど、今日と言う日が本当にありがたいなと思います。
へんな夫婦だけど、ま、これもいいかな(笑)

まだ外出の準備が何も出来ていません。学生をやりながらは、ちょっと難しいかも。
僕たちの人生はこれからだから、本当にゆっくりとですが、、、焦らず、来年の春を目指して、年内に実行できればラッキーくらいの気持ちで、それでもグングンと進んでいきます。

白井貴子さん、上手だなぁ https://www.youtube.com/watch?v=LkroQujetQk



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未分類 | 01:27:09 | トラックバック(0) | コメント(3)
見えないけどあるもの
妻の高校時代の親友から、メールをいただいた。友達2人で妻のところに、9月に見舞いに来てくれるとのことだ。すごい。本当に、妻は人気者だ。

この妻の友人たちは、妻が倒れた2日後に九州から日帰りで会いに来てくれた。生きている清美に会いたい。お葬式には行けなくても、生きている時に会いたい、という気持ちで、すぐに飛んで来てくらた2人だ。あれから、3年半が経つ。これだけ回復している妻と会ってもらえるのが、心底楽しみだ。

今日、妻にその事を伝えた。「清美、すごいニュースがあるよ!」<目をパチパチ〜なーに?〜>それから発表したら、目が一瞬大きく開いた(笑)

妻は友達が多いほうではない。しかし、友達と言える人は全員が親身に思ってくれていると感じる。この高校時代の親友たちには、僕が九州へ行った時に、北九州で2軒しっかり飲んだ(笑)そこで、妻が高校を卒業していなかったことを知った。僕はいったい妻の何を知っていたのだろう?と、本当に仕事のことしか考えたことがなくて、生活という意味では妻に支えてもらっていただけだったと、頭を殴られた気持ちになった。まぁ、それはそれとして、妻は人気ものだ。こういう友達が3年ぶりに会いに来てくれる。子供が生まれた直後から住んでいた団地では、長屋付き合いのようにしていた近所の友達が2人いるが、その一人は、妻が倒れたということがキッカケとなり、びっくりしたことに長男の義母となった(笑)もう一人は、先日、お見舞いにきてくれた、みっちゃんだ。

年をとると、なんだか忙しい。身体もキツくなるし、足は遠のくものだ。先週の日曜日には、まやちん夫婦も来てくれた。とにかく、僕の知っている妻の友人は、全員が本気でお見舞いに来てくれるのだ。これは人気者と言うほかないだろう。

やはり、倒れる直前に僕自身が占ってしまった<澤水困>の卦を思う。
〜尻株木に困しむ。幽谷に入り三歳観ず。〜座る事も出来ないほど苦しみ、暗闇の中に落ちてゆき、三年は光さえ見る事ができない、、、というわけだ。64卦の中の3大難卦だ。 

しかし、卦全体としては、困は亨と言う。これ以上悪くなることはないと考え、ありのままの運命を受け入れ黙々と正しく生きろと言う。僕はこれを信じた。3年というのは、僕のあのときからのキーワードだった。それが、今年4年目に突入してから、本当に色々と変化が始まっているのだ。

なんだか、この妻の親友二人は、何か目に見えないものを運んで来てくれるような気がしてならない。目に見えないもの。それを信じる力を忘れてはならない。その想像力は創造力となるのだ。
雨の日の雲の上には、いつもと変わらぬ太陽がある。昼間にも星は天にある。路傍のたんぽぽには、しっかりとした根があるのだ。


       星とたんぽぽ  金子みすず

         青いお空のそこふかく、
         海の小石のそのように、
         夜がくるまでしずんでる、
         昼のお星はめにみえぬ。

           見えぬけれどもあるんだよ、
           見えぬものでもあるんだよ。

         ちってすがれたたんぽぽの、
         かわらのすきにだァまって、
         春のくるまでかくれてる、
         つよいその根はめにみえぬ。

            見えぬけれどもあるんだよ、
            見えぬものでもあるんだよ。

未分類 | 17:53:43 | トラックバック(0) | コメント(0)
僕の欲張りセット


ホントは、これからなんだよなぁ。スイッチセットをレンタルして、あっという間の3ヶ月。まだまだ指をコントロールするところまでは行かない。最近、意識的に手を握り返して来たり、今なら出来そうと言うような感じで、指を意識的に動かして見せたり、ホントはここからが、チャレンジなんだけど、スイッチを早すぎるタイミングで借りてしまって、明日、返却期限となりました。

やっぱりどこか焦っているのかな?妻は着実に一歩づつ進んでいる。僕は、欲張って、ジャンプしろと言っていたようだ。

ジャンプ?そんなこと、出来るわけないけど、ちゃんと一歩づつ登れば、山は登れるよと、黙々と進む妻。

そうだな。これは、明日返却して、しばらくしてからまたトライしよう。言葉は欲しい。スイッチは必ず出来る日がくる。でも、今は、先ず指を動かそう。首を動かそう。まばたきをしよう。もっともっと、動かそう。

コントロールはそのあとからでいいや。ひとまず、この欲張りセットは、また他の誰かさんに使っておいてもらおう。またね、欲張りセット。

未分類 | 19:20:11 | トラックバック(0) | コメント(3)
いろいろな人生 〜学生、じいさん、そして講師〜
学生をはじめたもんで、いきなり忙しくなってしまった。もう一年ちかくだらだら生活していたので、予想通りヘトヘトです。ま、想定内です(笑)学生のあと、レコーディングの打ち合わせが入っていたり、撮影が入っていたりで、今日は3日ぶりに病院へ行けた。「あれ?何で来ないの?なんか来る時間ちがうね」とでも言うような目で僕を迎えた妻に、「いやね、ほら、学生さんやるって言っていただろ?だからね」といいながら、端座位。熱は37.5℃だったからどうしようかな?って思いながら、妻にやるかどうか?聞いたところ、やると意思表示があったのでちょっと短めに20分座った。さすがにちょっと大変なのか、すぐ目を閉じてリラックスしながら頑張っていた。僕はここのところの学生の経験と、今年中に外出する計画をどうしようか?などと話つづけていたけど、妻は完璧に無視というか、目を閉じて静かに聞き入って(笑)くれたことにする。ベッドにずっと寝ているよりも、座って背中の接地面積をなくして、扇子で20分扇ぎつづけたら、あっというまに36.9℃である。へへん。今日はここまで。また明日会いにくるよといい、今日は疲れているから退散した。

何もまだ始まっていない学生3日目で、こんなヘトヘトでやっていけるのだろうか?学校はwebの学校です。以前、かっこちゃんと、みんなの詩をちゃんと発表できる場を作りたいという話をしていて、そのアイデアは僕なりにあるのですが、まだ少し道のりは長いのです。で、どうしてもwebは当たり前ですが必要で、それを外注するとすぐお金がかかるので、自分でやれるようになりたいなと思いました。しかし、たまの仕事との兼ね合いで、出席率が悪いとクビの可能性があるので、ヒヤヒヤですが、とにかく今はやりとげるつもりでスタートをしてみました。妻の作家活動をサポートするにも必要なことなのです。こんなことを本気でやる人はあまり普通ではないということは、僕だって自覚していますが、もともとどこかズレていて、何かおかしいということは、小さい時から感じていて、なんとなく心のどこかでわかっていたので、今年会社を辞めてから、会社人としての一般常識とかを気にしなくていい状態となり、自分に素直になってみると、こんなアプローチがとてもしっくりと腑に落ちるのです。自分のこの行動がとてもしっくりくるので、きっとこれは正しいのだろうと思うし、何か面白いことにつながるのだろうと思っています。

とはいうものの今まではいつも妻の病院がメインで、あとはたまに打ち合わせ、とか、ちょっとした仕事とかくらいでしたから、その他はただ飲んだくれていましたが、そこに学校が加わっただけですが、もうそんなに体力的余裕がないとは、どうなるのだろう?と不安になります。

やっと今、宿題を終えたところです。それで、お気に入りの焼酎を今2杯目です。・・・そういえば、今日、病院からの帰りの電車の中、ぼくより10才以上の白髪の方が孫の手を引いて、僕の前に立ったので、席を立とうとしたらたまたま隣が空きました。そうしたら、白髪のじいさんは「はい、**ちゃん、席あいたよー」って自分は座らない。まぁ、わからないわけではないけど、僕は方針が違うなと思いながら席を立つのをやめた(笑)僕としては、子供は立っとけだ。それも、テレビゲームの音が大きいままやらせている。幽霊もので、へんな効果音が連発して発声される。僕は内心叱ってあげようとおもった。この幼稚園くらいの女の子の人生にかかわると思ったからだ。ところが、そのおじいさん。「ほら、**ちゃん、怒られちゃうよ!音を小さくしなさい。」・・・だって。えー?俺が怒りそうだから、他人が怒るかもしれないから、少し音を小さくしなさいだって??なんだそれ?・・・あまりにガッカリして、止めた。だって、その女の子にとっては「おじいちゃんは許してくれているのに、どこかの誰かが意味はわからないけど怒ったから」・・・という理由だけが残ることになるからだ。それでは、結局、彼女のためにならない。混乱を起こさせるだけである。それではやり甲斐がない。

おじいさんは、僕の予想では戦後すぐの生まれといったところだ。団塊世代だろう。どこで、こうなっちゃったのかな?この人。この孫娘がこのままじゃ、きっと困る日がくるのにな。みんなその訳を考えなくなったのかな。僕はぜったにに孫に立たせて、僕は座る。ゲーム?音をだすのはもってのほかだ。話はちょっともどるけど、学校に中国の方がいて自己紹介のときに質問してみた。「日本に来てはじめて不思議に思ったことは何ですか?」と訊いたら、「朝サラリーマンが牛乳とパンをたべながら歩いて、そのまま電車に乗る事と、電車の中で女性がお化粧すること」だった。食事は座って、暖かいものを食べる。お化粧は第三者と会うための準備である。他人の前でやるものではない。・・・というのは、常識だったわけである。日本では、いつの間にか、知らない人は第三者にも入らないのだ。「関係ない」人なのだろう。孫がゲームをやって、周りの人が不快に感じたとしても、このおじいさんも「ほら知らない人が怒るかもしれないから音、小さくしなさい」というのだ。こうやって、ケジメというものがなくなるのだろうな。なんか空しい思いで、席をたった。「あ、すみません。うるさくて。」と、そのおじいさんは、僕に丁寧に、笑顔で謝ってくれた。全部がチグハグで、僕にとってはすべてが気持ちわるかった。優しさとは何なのだろう?

僕は孫が満員電車でテレビゲームを音を出してやった時には、有無も言わさずぶっ壊して一生できなくしてしまえばいいだけだと心に誓った。それが僕の優しさだ。もうそう決めた。テレビゲームなんかより、アフリカへ行ってこいと言いたい。そんなの見ているより、アリを見ていたほうが面白いに決まっている。ゾウやキリン、シマウマだったらもっとすごいだろう。これについて、妻はどういう見解か?「あなた。頭、大丈夫?それは、比較がまちがっているわよ」って言うかもしれないけど、明日訊いてみよう。

明日は、来月から講師を始める予定なので、その打ち合わせへ行く。「学生〜病院〜講師の打ち合わせ」だ。なんだか、ますますへんてこりんな人生になってきたなと思う。たまたまお声をかけてもらったのですが、講師もやってみることにしようと(笑)これはこれで、やりたい事が山ほどある。未来の音楽のために、まだまだやれることがある。学生のほうをちゃんと出来れば、来年の誕生日くらいには、妻の作家デビューをwebで出来ればかっこいいんだけど、、、、そんなわけでこの半年はお酒控えめでいこう。と3杯目をつぎにいく・・・つづく。

未分類 | 21:42:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
人生いろいろ


今日は、待望の孫の突撃だったのですが、お孫ちゃんがおねむで瞬間密着抱っこ程度しか出来ませんでした。残念でちたが、妻はやっぱり穴があくほど見つめていました(笑)よかったよかった。お嫁ちゃんが選んでくれた、イカした靴下3足セットをプレゼントしてもらいました。車椅子にのったところの写真がこれです。きっと妻も気に入っていると思います。

人生はいろいろで、次男は今朝からまた腰痛が悪化して歩けなくなったようです。介護ベッドを半年一人で運びつづけて、たぶん完璧に身体が壊れたのでしょうね。その上、ポイとやられたわけですが、なかなか苦難の道を歩かされているようです。しかし、いつもきっとクリアできる題材を渡されているので、それも修行ですから、きっと今が彼の分岐点でじっくり考えて次へ進むところにさしかかっているのでしょう。大変でしょうが、身体は自分で治すしかないので、僕はしっかりねと応援しながら眺めているしかないのです。

そう言えば、ぼくも22才くらいのこと、睡眠不足で腰をやられて、このままだと歩けなくなると言われて会社を辞めたことがありました。それからは、流れ作業とか、ハンダ付けとかやっていたなぁと思い出します。しかし、あの時期は借金が増えただけで、別に辛い事はありませんでした(笑)そのうち身体が治って、借金を返す為に日当がいい日雇いの仕事を初めて、それが面白くて2年くらいやっていましたね。あの仕事も楽しかった。そう考えると、本当に辛いと感じた時期がまったくない人生です。妻が倒れて初めて「辛い」と思ったのですが、毎日変化しつづける妻を見ていると「凄い奴だなぁ」という気持ちばかりで、けっこうすぐ「辛い」という感情はなくなりました。妻を応援しているうちに、忙しくて忘れちゃったのでしょう(笑)だから次男も今の困難をチャンスにしながら、くぐり抜けてくれるだろうと楽観的に考えています。多少の困難はあったほうが面白いくらいの気持ちでやっていってもらいたいものだと・・・もちろん、本人には言っていませんが(笑)

今日の妻は、息子や嫁さん、孫を見つめ続け、自分のDNAが繋がっていっているのをじっくり眺めていました。僕はそんな風に感じたので、息子たちにDNAの話しをしました。前に村上和雄さんが言っていたのを思い出しただけののですが、遺伝子暗号を読みとった人が威張っているけど、その暗号を描いた人はもっと偉いんだぞ!それは誰なの?っていう話しでした。2000億分の1グラムの中に、すべての生命に適応されている暗号が描かれていて、それは百科事典3600冊くらいのデータ量で、その上、そのデータ自体が生命として働いているという事実。ようするに、それは人間の遺伝子も、かっこちゃんの大好きなミジンコの遺伝子も同じ暗号で描かれていますから、それは人間以外の何者かが作り上げたのですね。それを僕らは自分たちの中に持っている訳です。村上さんはそれを、サムシンググレートと20年くらい前に名付けたと言っています。なんか面白いですよね(笑)そんなすごいのを持ち合わせているのが僕らですから、それを息子や孫が受け継いで行っている訳です。それは、顔形だけでなく、きっと考え方や、心のあり方なんかも、その遺伝伝達の中に含まれているのではないか?と思うのです。だとすれば、妻のように大変な状態で、あれだけ力強い詩を書く人の息子で、僕みたいにたいへん何も考えずに生きている楽天家だとしても、どちらにせよ、多少の困難はうまく切り抜けることが出来る“心の技”を持ち合わせているのではないか?・・・なーんて思うのです。まぁ、勝手な思いですが、僕が思うのは僕の勝手なので悪しからずというくらいの軽い話しです(笑)

そんな軽めのぼくは、明日から学校へ行ってみることにしました。僕は本当にまったく勉強というものをしないで生きてきました。これは、けしからん話しです。来月54才になりますが、これについてはとても反省しています。なので、ここのところ学生に憧れを抱いていました。そんなわけで、学生というか、習い事とでもいうか、、、しかし、学割が効くようになるので、とにかく学生を半年やる予定です。予定というのは、ぼくがサボったらすぐクビになる可能性があるからです(笑)で、その可能性もなくはないのです。たまに仕事もしたりしているので、そのバランスでファイアーされちゃう可能性はありますが、まずはやり始めてみます。

今日、妻に、明日から学生をやるから、病院にこれる時間が変わってくることを伝えました。それと来れない日も出て来てしまいますが、半年だから、ちょっと我慢してくれとお願いしました。「わかった」という感じでした。「ありがとうね」と言いながら、息子たちが帰ったあとベッドにもどって「るろうに剣心」のDVDを2話ぶんみました。途中、僕がくすぐると足が動くのが面白くて、すごい勢いで足をくすぐっていたら、鬼のような本当にものすごい目つきで睨まれて怒られました。片手でゴメンナサイと拝んでやめたら、すぐ許してくれて、目はすでに画面に向かっていました。

やはり、かなり回復しているということでしょうね。

未分類 | 23:07:45 | トラックバック(0) | コメント(1)
失敗は成功の基 〜 疎いの疎いの飛んでゆけー!〜 の巻
端座位を終えてから車椅子にのり、妻は僕の意味不明な筆談につきあってから、ヘトヘトになってベッドにもどろうと病室にもどったら、妻の親友のまやちん夫婦が来てくれた。ぐったりして僕には返事もしてくれない状態だったのだけど、まやには「来てくれてありがとうね。息子は元気なの?」・・・なんて、言っているムードで、目はぱっちり、口はもぐもぐ、首は振りまくりだった。。。。なんだ、まだたくさんパワーが残っているじゃん(笑)これも、きっと考えているわけでなく、何も考えずに「思っちゃう」ことの現象なのだろう。・・・それは、確かにその通りなんだけど、今日、僕はドンカンだった。疎かった。

まやが「清美、しばらく来れなくてごめんね」なんて言っている時に、僕は妻の左手を握っていたのだけど、左手にすごい力を感じた。「すごい力だな。今までとはまったく違うレベルの力を感じる。外から見ているだけではわからないけど、これが回復しているということなんだろうな」などと、話をしていた。まやちんは、ある病院で介護福祉師をしているのだけど、ある患者さんのベッドの両手のあたりに、ペットボトルが一つづつ置いてあって、それを患者さんが握ることが、握力トレーニングになるということで、そこに置いてあった・・・という話をした。その瞬間、、、僕はたまたま妻の左手を上に持ち上げていたのですが、左手の掌全体をつかって、握っては開くという運動を3回つづけてやってみせた。「うぉー!すげぇ~。なんだなんだ、そんなこと出来んのかよー!」びっくりしました。これは、初めての運動パターンです。本当に凄い事です!

まやちん夫婦が妻に会うのは、きっと半年ぶりくらいだったのかな?僕らにとっては、もう会話が100%普通に通じているのは当たり前の感覚になっているのだけれど、やはり、まやもご主人も、妻はそこまではっきりと言葉が理解できているとは思っていなかったのでしょう。

そういえば、僕自身も少し会話に違和感を感じていました。ご主人は、いつも丁寧な方なのですが「どう?清美さん、調子は。わかりますか?」・・・というようなムードもあり、当然それに反応する妻をみて「あぁ、すごく状態が良くなっているように感じますね」・・・というような、やり取りがあったのですが、僕は「そうですね。ずいぶんいいんですよ。」なんていいながら(だって言葉は全部わかっているんですよ)と口にしなかったけど思っていた。

きっと僕らの感覚は、5月1日に柴田先生が来たときに、決定的に変わったのだなということを、今になって気がついた。それ以前ももちろん、妻が言葉を理解していることは、僕はわかっているつもりだったけど、あれほどの感情、あれほどの言葉が、妻の中にあふれているとは知らなかった。それを目の当たりにした時から、僕らの生きる感覚はものすごく変化したのだろうと思います。だから、それ以前のままの思いで見舞いに来てくれたまやちん夫婦の感覚と、僕らの感覚はハッキリとずれていたんだろうと思う。そこにすぐ気がついたのが妻だった。だから、その時会話している言葉に直接的に反応しているところを見せて「ほら、会話は全部わかっているよ。ほら、手をこうやって動かすっていう話でしょ?」みたいなことだったんだなと、わかりました。最初からそれをまやちん夫婦にわかってもらいたかったんだろうと思う。最後までしきりにまやちんと会話をし、全力で、精一杯返事をしていた。

僕が年内にタイミングがあえば、きんこんの会に参加しようと思っているという話をした時には、今日一度もやっていなかった「い」「く」といいう口を横にしてから尖らせるフォームを3回連続で繰り返した。この時は、あぁ、やっぱり柴田先生や詩を書く仲間たちに会いたいのだろうななどと思っていたけど、僕はバカか? そうではなくって『今』話をしていることに、しっかりと反応するところを親友のまやちんに見せつけて、すべて理解しているよ!ということをアピールしたかったに違いない。もっと褒めてもらいたかったはずだ。きっとそうだったはずだ。。。あぁ、なんて疎いのだろうと思う。まったく、鈍感である。

「清美。昨日はごめんね。俺もさぁ、なんかちょっと違うよなぁって、思っていたんだけど」って明日、謝ろうかな・・・きっとあの目つきでにらまれる。「あなた何で気がつかないの?遅いでしょ?まやたちがいる現場でちゃんと仕切ってよ、もう。。。」「はい、今後、気をつけます」「もっと、しっかりしてね!」「はい」・・・(でも、ほら、僕のドンカンは良かったんじゃない?だって、わかってもらいたくて、あれだけがんばってアピール出来たんだからね。)・・・これは、心の中の声ですから妻には聞こえません。

しかし、しかし、色々と、考えれば考えるほど、ぼくらは幸せものだなぁと思う。この状態まで導いてくれたのは、いつもこうやって勇気づけてくれる友人たちがいるからで、出会いがあったからです。お世話になった病院の先生、看護師さんやスタッフ、いつも来てくれる友人たち。公園でひこうき雲を歌ってくれた、佐登子と純子さん。お優さん家族、柴田先生、かっこちゃん、宮ぷー、、、本当に、たくさんの方々が妻に刺激を与え続けてくれました。妻が、人間交差点なんていうイメージを自分で感じるのも面白い。本当になんて幸せ者なのだろうと思います。最近は、僕自身が昨年煩った、肺炎~肝炎~ぎっくり腰の連続と、まったく身体が使い物にならなくなったことまでも、すべてに感謝したいと思います。そのおかげで、今の妻との時間を手に入れる勇気をもらえたわけですから、すべてが本当にリンクして、ぼくらの人生をどこか面白そうなところに連れていってくれているような思いさえします。

さぁ明日は息子たちと、嫁と、孫がやってくる!孫を抱っこさせちゃうぞ!!
よっしゃ、明日こそがんばろう。疎いの疎いの飛んでゆけー! おー。

未分類 | 21:51:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
花束 〜「思い」は自動、「考え」は手動〜


やっぱり「思い」という力はすごいものがある。昨日病院を出る直前に、友達がお祝いに訪れてくれた。前回きたのは寒かったと言っていたから、半年ぶりくらいだろう。この僕の友人家族とは、家族ぐるみで毎年旅行をした。子供も同じ年だった。妻とその奥さんもとても仲がよかった。そんな友達がお花をもって来てくれた。

ウトウトしはじめていた妻の目が、びっくりするように見開かれて、首を動かし、口を動かした。感謝の「思い」をどうにかして伝えたいと「思った」のだ。それが、この動きに直結した。僕は左手をにぎっていたのだけど、凄い力で手首を返すような動きをしながら、内側へと腕全体を使って僕の手を引っ張った。この感動と「思い」は、表現したい心と直結して、それが左腕の「動き」に繋がったのでしょう。

凄い事だ。微動だにしなかった頃が1年はつづいた。あれから、こんな事が起こるところまで、いつのまにたどり着いていたのだ。大したものだ。

「思い」と「考え」というのはちがう。
「思い」は、「思っちゃう」のだ。花束をみて、勝手に心がそう感じて「思っちゃう」のである。「考え」は、もっと積極的に脳に働きかけないとなかなか「考え」てくれない。面倒くさいのである。脳はほっぱらかすと、すぐサボるのだ。やらないといけないから「考える」。だいたい、ギリギリになって、明日の準備を始めた時に、はじめて足りないものに気がつく。1週間前に「考え」ていれば、簡単に用意できたものを、今気がついたってもう間に合わない、でも大変な思いをしながらギリギリなんとかなる。いや、なんとかする。

そう考えてみると、「思い」は自動、「考え」は手動、みたいな感じだ。しかし、勝手なもので、自動的に「思って」その勢いで、自動的に「考え」たりすることもある。これは、心と脳の繋がり方の問題ではないかと「思った」り、「考え」たりする(笑)

なんで、こんなまどろっこしいことを書き始めたかと言えば、妻のそのびっくりするほどの「力」だ。あれは「思い」が起こすのだ。でも、理論的に「考え」て、意識して腕を動かそうとしても、そうはいかないのだ。人は脳がすべてだと思っているが、そうではない。やっぱり「心」がとても大切なのだ。あの力強い妻の腕の動きは、今は「心」のパワーで表現されている。しかし、きっともう少しだ。この「思い」と「考え」がうまく手をつないでくれた時、きっと妻の「手」や「口」や「まばたき」は、コントロールを手にいれるだろう。もう少し、、、それが今年か、来年か、10年先かわからないけど、それも、これも、もう少しである。

未分類 | 09:36:54 | トラックバック(0) | コメント(4)
お誕生日のプレゼント


お誕生日おめでとう。今日で妻は53才になりました。

へんなものだけど、元気なときにはプレゼントなんて買ったことがない。ぼくのスケジュールがあれば、一緒に食事するというのが、誕生日プレゼントといえば、まぁ、プレゼントだった。妻が倒れてはじめて真剣にプレゼントを考えた。目が見えているかどうかわからない。意識があるかどうかわからない。でも、きっと意識はあるけど、表現ができない、Locked in 症候群という状態だろうと思っていたから、脳への刺激、感情への刺激として、フレグランスと音楽というのはとても意識していた。目はあいているけど、どうも焦点はあわない。だったら、やっぱり音楽をプレゼントしたいと思った。それが「夢の雫」という曲だった。翌年は「僕たちのルール」という曲を作った。目がしっかりしてきてからは、お花や、以前飼っていたインコをイメージできる小鳥の飾りとか。インコとはくちばしがちがうから、これはインコじゃないんだけど、キロたんという黄色のインコと、コロたんというブルーのインコ、2羽を一緒にというのは今回初めて。キロたん、コロたん、これが今年のプレゼントでした。

今、端座位を30分終えて、ぐったりしてしまったので、これを書きはじめながら、なんとなく僕らの人生を振返り、考えてみた。大ざっぱに言えば、ふたりの人生は3段階にわかれているように思う。

第一段階:それぞれで生きた25年・・・・出会う前までのそれぞれの人生だ。

第二段階:結婚してからの25年・・・・無謀な僕との二人三脚が、すぐに4人になって、てんてこ舞いのハチャメチャ人生~1999年からの乳がん、闘病、手術、~ 子供も大きくなり、これからはもうすこしゆったりとと思っていた矢先に脳幹出血で倒れた。

第三段階:妻が倒れてからのふたり・・・・突然のことで、目の前が真っ暗になったけど、3日の命と言われ、人工呼吸器を取り付けずに見送ろうと思っていたら、自発呼吸で生き残った。妻が生き残ったことがきっかけで、ある出会いがあり、長男は結婚することになった。きっと、生きる意味があったんだなと思った。子供たちは独立した人生に向かい、がんばって生きはじめた。ぼくは毎日病院に通いながら、どんどん人生をある方向へとシフトして行き、気がつくと、ぼくらなりのスタイルの、“ふたり” で過ごす時間を手にいれていた。いろいろな人たちと出会い、妻は人間交差点のような存在に変化していき、まだまだこれから、どんな人生になるのか? これからのストーリーが楽しみだ。つづく・・・という3段階の人生だと思った。

 
妻が倒れた日に、僕自身がたまたま占った易経の卦(澤水困)には、3年でこの苦しみから抜け出し光を見ることが出来ると書かれてあった。僕にとって3年は一つのキーワードだった。妻の倒れた2月。三年がすぎた時期に色々な事が重なり、退社を決意し実行した。非常にリスキーな決断だったが、あの決断がなければ、かっこちゃんと宮ぷーとの出会いからはじまったリハビリによる、妻の今の回復も、柴田先生を通して伝えてもらえる言葉も得ることはできなかっただろう。人生の喜びとはどこからやってくるのか?本当に人生はわからないものだとつくづく思う日々だ。“しあわせ” には人それぞれの形があり、妻も自分の人生の中で、いつの時期が " しあわせ“ だったかと問われれば、迷うことなく「今だ」と答えると明言している。そんな妻を誇らしく思うし、一緒になってくれたことを今更ながらに感謝する。

まったく身体が動かない妻が、声を出せない妻が、僕らを動かす。
僕は会社を辞めて、違う人生のステージに立った。妻は自分が倒れることで長男の縁結びをし、来月、孫は1才になる。次男はまだまだ苦難の人生だが、これを踏ん張り生抜く力を妻に見ているだろう。確かに妻の存在は、男ども3人にしっかりと影響を与えながら、その力強い炎を思いながら僕らは生きている。

冒頭に書いたけど、はじめて真剣に考えたプレゼントがこの曲だった。
3年前、妻の50才の誕生日にプレゼントした。
https://www.youtube.com/watch?v=LkroQujetQk

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2010・8・16 西嶋清美 50歳 誕生日プレゼントのための歌
「夢の雫」 作詞:西嶋貴丸 作編曲:塩入俊哉 歌:白井貴子

君のその瞳 何を見てるのかな?
僕はそばにいて 君を見てる
話したい事が たくさんあるでしょう
君の唇が ほら動いた
声は・・・ 今は出ないよ
それでも生きるって君は決めたね
遠くて険しい道だよ
辿り着くまで涙も乾かない道でしょう
二人手をとって今歩き出したよ
こぼれた涙は夢の雫


いつか二人で もう一度暮らそう
僕につかまり一緒に歩こう
いつか僕らの涙は虹色に輝くさ
君のその瞳 夢を見つめている
僕は手をとって君と歩く
君と歩く

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この詩は、奥沢病院から自宅への帰り道に生まれた。妻のベッドの背を起こして、声をかけてみるけど無反応な妻。目はどこを見ているのか?視線を感じない。僕は顔を前に突き出して、自分をアピールするのだけど、妻の視線はぼくの顔を通過して、その焦点は僕の顔には結ばない。「君のその瞳、何を見てるのかな?」と始まるフレーズは、そう言えばそんな病室のワンシーンだったなと思い出します。

なんというか、電車の中でつり革を空振りした時のような、そこにあるはずの物がなかった時の虚無感が歌い出しのというフレーズとなり、絶対に守り抜くと力んで思う気持ちと、毎日こぼれ続けた涙は、決して悲しみの涙ではなく、希望のへの「夢の雫」であると、自分に言い聞かせながら、そんな思いで奥沢病院から自由が丘までを歩いた。

あの日から3年が経ち、柴田先生と出会う事ができて、今年の妻は、なんと誕生日を前に今度は自分で「詩」を書いた。それが、とんでもなく力強い、激しいもので驚いた。倒れてから3年間の「こころの流れ」を描いた詩だ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「こころの流れ」
時間に “流れ” があるように 私のこころも“流れ”があって
古い私が洗われて 新しい私へと蘇る
不器用な私らしい “流れ” だけど
確かにこころは “流れ” をもって歴史を刻み
目にも止まらぬ速さで 呆然と立ちすくむしかない人々を
こころの底から洗い流して行く

なぜ人は喜びと哀しみに もてあそばれてしまうのだろう
私にはわずかに論ずる言葉さえないが 論じられたら言いたいことがある
人は遂にその生を終える瞬間まで流れ続けるこころがあって
悶々とした思いの中で ずっとこころは流れつづけているということを

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まだまだ荒削りではある。しかし、凄みというか、迫力があるものだと感心する。僕はこの詩を見た時に、グランドキャニオンをイメージした。地層が時間と雨の激流に洗われて、新しい景色を作り出す。地球創世を俯瞰から眺めているような壮大なイメージを感じた。

そうして今年は僕が妻に歌をプレゼントするのではなく、妻が僕に言葉のプレゼントをくれた。

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『息ひとつ メモるその手にレンギョウを』

『強き夜 どれくらいの暗闇か 図りかねつつ朝を待つ』

『良い人生 悪い人生問うなかれ ロウソクは燃え尽きるまで炎なり』

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どれも、すごい迫力だ。レンギョウの詩は、星野富弘さんのレンギョウを引用している。それは自分は傷だらけの身体のようなものですが、そこから優しさが染みてくるというものだ。しかし、妻の詩はそれにあわせて、呼吸の苦しさを心配している僕に、花そのもののもっている気高さ「しっかりと見て、この誇らしい私を」という気持ちを重ねている。

昼間に病院に言ったときに目が開かないときには、夜眠れなかったのか?としきりに心配する僕に、悶々と明けない夜もあるけど、自分の心はしっかりと強いよとメッセージをくれた。

そうしてトドメは、命の力強さをロウソクに喩え、命の炎は、しずかにひたすらに燃え続けるだけなんだよ。私はこのベッドの上で燃え続けているんだよと、メッセージをくれた。

すごい。

その上、柴田先生が来たときに、僕に宿題を出すことも忘れなかった。自分の詩を作品として、何らかの形にしろと言うのだ。ちゃっかりした女だな(笑)ぼくは、難しいことを言いやがると苦笑しながらも、がんばることになる。

53ちゃいおめでとさん。

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にぎやかな病室 その6(最終回)


昨日は3ヶ月に一回のカンファレンスだった。
前回にお願いしたことは、端座位と、コーヒーの相談をさせていただき、許可をいただくことができた。3月末にかっこちゃんの講演を聞いてからすぐ、車椅子で背中を離して座ることからスタートして、その後、許可を取らずに端座位をやり叱られて(笑)、許可をとって端座位をやり続けているわけだけど、この「座ること」の効果はとても大きくて、どんどん妻の顔つきが変化していった。お優さんたちが最初に来てくれた時は、まだ端座位を始める前で、背中に帯を回して車椅子で背中を起こしていた時期だった。それから、前回の柴田先生がいらっしゃった5月1日、そして今回の8月8日と、すごく顔つきが変わっていると言う事でした。僕もそう思うけど、毎日みているとそこまでの変化がわからない(笑)

しかし、確かにとても安定感のある状態になってきた。先日、かっこちゃんに、コーヒーを飲ませるところの映像を送った。「ほらこんなに飲めるんです!」と、威張りたくてちょっと口にコーヒーを入れすぎたヒヤヒヤしたんだけど、そのムービーを送った時に、そろそろゼリーのような状態もいいのでは?と返信をいただけていたので、今回のカンファレンスでは、ゼリーを食べさせていいものか?を相談してみた。もちろん、舐める程度のところからのスタートですが、快諾いただけた。

さらにさらにワン、ツーステップ!将来の外出許可についても相談にのっていただけるということだった!!条件としては、とにかく痰の吸引が出来る体制をしっかり整えること、ということでした。まだまだ、僕自身に知識が足りないので、これからちゃんと用意するべきものを整えながら、涼しくなった頃、年内にはと考えています。

前回カンファレンスといい、今回といい、院長先生が的確に判断してくださることが嬉しい。お互いに言うべきことは言い、許可できることは許可する。許可をするときには、責任をしっかりと互いにとりましょうという事。何かトライすることは、その分リスクを抱えることだから、そのリスクを理解して実行する責任が僕にはある。当たり前のことですが、これをしっかりと言い切って下さることが本当にありがたい。こういうところでも、僕たちは本当に守られていると感じます。

この「にぎやかな病室」シリーズではっきりわかったのですが、妻は神なんか信じていないということでした。僕は神様がいるかどうかはわからないけど、何かに守られているという感じはいつもあります。僕も妻も色々な方々の縁の中で、今ここに生きているという感じがします。せっかくいただいたこの命ですから、善い人生かとか悪い人生かとかは問わず、命のろうそくが燃え尽きるまで、ただただ炎のように生きたいというのが妻の気持ちなので、燃えかすになるまで見届けてやろうと思っています。

すごいニュースですが、そんなわけで <近い将来にきんこんの会に行くぞ!> と意気込んでいたのだが、その下準備がスルッと整ってしまった(笑)あれれ?これ、あとは僕次第でいつでも実行できるじゃん・・・って事になった。なんだ、僕の問題だ(笑)というわけです。つい最近、思いついた <きんこんの会> への夢ですが、あとは着実に用意することと、スケジュールがうまくあうかどうか?の問題だけです。残念ながら、次回9月の会には僕のスケジュールがあわずに行けないのですが、今年の9月はまだまだ暑すぎるだろうから、もう少し涼しくなった時に、ぜひ計画を実行に移したいと思います!あぁ、また人生が楽しくなりそうです!(笑)



さてさて、今日で「にぎやかな病室」は最終回です。

妻はお優さんがいるので、筆談がやりたいと言い出した。相変わらず、僕はまったくダメだけど、お優さんとアヤヤは出来るのだ。なんだろな。僕が思うに、巫女とかって、当たり前だけど、昔から女性ですよね。やはり、神や天と繋がるのは女性なのかなって思ったりします。もちろん柴田先生のような例外もありますが、先生の場合は30年以上修行をつんでそこにたどり着いたわけですから、仙人みたいなものです。お優さんやアヤヤは、もっとスピードが速いですね。やろうと決めたら出来るようになるくらいのスピード感が、選ばれし女性はもっているのではないか?と思います。

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お優さん:あ、手がピクピク動いている。ほら、ほら。

妻:この動きも自分ではうまくコントロールできないけど、動くだけでも嬉しいです。この動きだって、少しづつ大きくなっているので、使えるのでしょうね。

柴田先生:そういう動きがあって(筆談は)書けていると思います。

妻:そうでしょうね。でも、一人では難しいけれど、触られるとうまく運動が出てくるのが不思議でしょうがないけれど、どういう説明になりますか?

柴田先生:よくわからないんですけどね。あの、手全体が動いているので、たぶん、肩からの動きがあるんだと思うんです。

妻:小さな動きを拾って、大きくしているのですか?

柴田先生:変換しているわけではないのですが、、、力がうまく伝わるように、横に動いている時に、横に線が出るように。

・・・などと会話していると、妻は、アヤヤと筆談をしたいと言い出した・・・

「あやちゃん ありがとう」

どうしても、これを言いたかったのだろう。アヤヤは息子と同じ年だ。妻にとっては、娘が出来たようなものだろう。そうであれば、赤ちゃんは二人目の孫である(笑)

この後、アヤヤが柴田先生のこの魔法を使えるようになりたいという発言から、色々な動きの感じ方というのを妻を実験台にしながら練習が始まった(笑)柴田先生がちょっと説明して、動きの受け取り方を実験する。これがまた、お優さんとアヤヤはすぐに、習得してしまうのだ。もちろん僕はわからない。なんでだろーなんでだろー。赤ちゃんも会話に参加するように、声をあげ始めて、そろそろお開きの時間となった。

疲れているのに、ごめんなさいね。清美さんがトレーナーになってもっと鍛えて!それなら、清美さんが師匠ですね(笑)などと会話が入り乱れ最後はまた、にぎやかな病室となった。

妻:師匠だなんて不思議です。確かに私がいないと練習できないのなら、師匠と言えば師匠でしょうが不思議な感覚ですね。何も出来ない私が師匠と呼ばれるというのもまた、川柳くらいにはしたい。(一同爆笑)

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ここのところ、バラエティばかり見るくせに、ずいぶんと高尚なことを考えているものだと不思議に思いましたが、それは逆なのかもしれません。毎日、眠れない夜や、起きている時に、このような詩のことや、生命のこと、人生のこと、息子たちのこと、などなど、思いを巡らせているのです。その時間にくらべれば、志村どうぶつ園はほんの1時間です。貴重なバラエティの時間だったのでしょう。


気がつけば外はもう暗くなっていました。このメンバーで夜の時間帯の病院にいると、にぎやかな病室の笑い声は特に目立ちます(笑)さぁ、そろそろ退散しましょう。「師匠またね」と病院をあとにしました。気持ちに火がついた妻は、きっと詩を書いたり、色々物事を考えたりするのだろう。これから、どんな作品が生まれるのだろうか?僕もファンの一人として、その言葉のリリースを楽しみに生きていこうと思います。

2013年 8月8日の、にぎやかな病室・・・・おしまい。

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にぎやかな病室 その5
妻は倒れてから新たな境地にたどり着きました。病気に感謝をしているということを、5月1日には語っていました。それから、幸せとは何か?人生とは何か?を考えつづけているのでしょう。日本伝統芸能の「能」では動きが止まった時が一番熱い瞬間だそうです。それは、感情がたかまりフリーズしていることを現すようです。にぎやかな病室も、妻の言葉をみな聴き入るようにしんみりとなりましたが、この記録が一番「熱い」瞬間だったのでしょう。

今日も、8月8日の妻の言葉のつづきです。

妻は言葉を読みとってくれる柴田先生と出会うことが出来ました。きんこんの会に参加されているみなさんも、そうですが、それは全国から考えればほんの一握りの障がい者です。言葉がないと思われながら何年も生きている方が今も世界にはたくさんいます。柴田先生との出会いによって、これまでの3年を振返りその事について、妻なりに考えていたようです。

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たくさんの人が、不幸のままに死んでいったと見えるのが世の中の現実なのですが、本当にそれが不幸だったのかどうかは誰にもわからないということが私にはよくわかります。私がこうやって言葉を聞いてもらったのは私にとってはとてもうれしいことですが、言葉を聞き取れないままに亡くなっていく人が本当に不幸か?というとさえ、わからないのが人生ですね。どちらも大事なことなので、言葉はぜひ聞き取ってあげてほしいですが、聞き取ってもらえなかった人も、それも一つの人生という感覚がしきりにするので、そのことはやはり伝えておきたかったです。

先生たちはそのことに、だいぶわかっているという感じがするのですが、それは確か、優さんたちが大切なお子さんを亡くしているということと深く関係があるはずで、その状態を乗り越えている人にしかきっと分からないでしょうから、私は今の話しはたぶんわかってもらえると思ってしたのですが、そういうギリギリの現実を見据えたところからしか、やはり私たちのような状況は語り得ないのではないかと思います。先生もさすがに、声を聞いていると、この辺りはじっくりと声を研ぎすましている感じがあるのは、先生もその辺に深く考えをこらしたことが何度もあるのだと思いますが、その辺は本当に人生の、なかなかわからない難しい問題ですよね。先生をたくさんのお子さんと出会い、その中にはきっと言葉を聞きとげることなく亡くなったお子さんもいると思うのですが、その子がそれで幸せではなかったかというと、そうも言えないし、もちおん一旦聞けるようになった以上、聞く事に勢力を尽くすということなのでしょうが、、

柴田先生:そうですね、やはり聞き・・・(ここで、柴田先生は返事をしようとしていたのに、妻がそれを遮って言葉をつづけてしまい、それの通訳に柴田先生は自分の言葉をやめました)

聞き取れなかった子供たちもまた、幸せだったという感覚も大事なのでしょうね。先生の声を聞いていると、この辺は私の考えに心から納得しているのがわかるし、優さんたちも納得していると思うので、この辺は本当にすごい話しがされているのだなと思います。こう言うすごい話しが出来るような人生は、やはり素晴らしいと言わざるをえませんから、私はこの状態を、やはり神を信じたら神に感謝せざるをえないのですが、今はただひたすら夫にのみ感謝を捧げます。

夫を信じるということが私の信仰のようなものですが、色々な信ずるという言葉の対象があるのでしょうが、今私がこうして、もともと他人だった人間が、一人の人間に心を全力で注げるということに、人間の揺るぎないものを感じて、そこに一つの「芯」のようなものを感じます。先生たちもそのような「芯」に支えられているのでしょうね。そうでないと何のためにこういう事をやるのか?の根拠もなくなると思うのですが、先生たちはそのへんをどうお考えなのでしょうか?私にはよくわかりませんが、先生はたぶんあまりそういう話しを人にはしない方の人だと思うけれど、例えば今「あたなたは何を信じますか?」と訊かれたとしたら何を信じると答えますか?

柴田先生:このあいだ、あの、すごいクリスチャンの、あの、寝たきりの少年から「先生は何を信じているの?」って訊かれて、、、「君たちを信じています」と答えたら、、「そう来たか」とか言われちゃって(笑)

お優さん:清美さん、良平のことを思って下さったんでしょう?今。

妻:はい、もちろんです。

お優さん:すごい伝わってきた。本当にね。うん。“お母さん”の気持ちで答えてくださったんですよね?今、私が同じ“母親”として思っていることを、全部わかって伝えてくれたんでしょう?

妻:そうです。良平くんは柴田先生とは会っていないけれど、それが不幸だということではないというのを、きっとよくお考えになっていると思ったので、私はその辺に付いて色々と考えることがあったので、さっきの話しをしても大丈夫だと思いました。

お優さん:ありがとう。ありがとう。すごい嬉しかった。ありがとう。

妻:私は、子供たちは元気だし、子供たちはたいして心配かけることもなく、育っていったので、母の気持ちといっても、本当はわからないかもしれないけど、こういう状態になって、やはり、そういう事についても真剣に考えられるようになったので、優さんは何故ここまで私に尽くしてくれるのかを考えると、そこに亡くなられた息子さんを考えない訳にはいかないし、娘さんもここまで一生懸命になっておられるのは、弟さんでしょうか?・・・弟さんの存在を抜きには考えられないと思うので、そう言う意味で大きな存在として今も生き続けているのでしょうね。そのお子さんにも一度お会いしたかったような思いがします。そういう形で人は人を変えていくのだなというのも実感です。いつか今のことをまた、詩か俳句か短歌にしたいと思います。人が人を変えていくという、この重たい事実は、やはりこういう立場になった人間にしか分からないところがあるので、人が人を動かす時に、実は自分が全く動けないということだってあるのだということを、実感しているので、その辺がなんとなく言葉になりそうです。「動けない我が身が人を動かせり」・・・などという言葉でむすびつけていけば、きっと詩か短歌か俳句になりそうなので、動けない私が人を動かすというキーワードをうまく形に出来たらと思います。

さすがにすごい気持ちのやりとりになってきて、私は心から感動していますが。身震いひとつ出来なくなっているけれど、さすがにさっきから身震いしはじめていますが、分かりますか?

柴田先生:わかりますよ。
お優さん :わかりますよ。
(二人は同時。僕はわからない)

そうですよね。本当にすごいことを話せていて、私は本当に不思議な感覚に包まれています。優さんたちの家族の中にいる良平くんの存在は、私の家族の中にいる私の存在に繋がってくるので、私は今確実に息子たちを動かせていると思うし、息子たちも私の顔を見ながら今、懸命に心の中で様々なことを考えていて「本当に生きるとは何か?」などを、息子たちはようやく考えられるようになったので、 私の存在が大きな力をもっていることが分かるようになりました。私は何も出来ないのに、ここまで息子たちを動かせるのかと思うと、本当に神秘的な思いさえします。神秘的と言うとまた少し神がかって聞こえるかもしれませんが、動けない人間が人を動かせるというのは、神秘的以外の何者でもないと思うのです。

動けない私が・・・という詩もありました。どういう詩でしたか?

柴田先生:えとね。、、、動けないということは、、、なんか、動けないと考えるんだけど、動かない・・・なんか、自分の身体を縛っていたものが、ふっと解けた・・・という詩がありましたね。

そうでした、刺の生えた「花きりん」という詩でしたね。「花きりん」の詩の中に、動けないという詩があったと思うのですが、それですね。私が昔、星野富弘の詩をよんで、ふーんと思いながらも、すごいことを平気で言う人だと思っていましたが、本当にすごい言葉ばかりだったなと思います。これは夫にお願いですが、家のどこかにあの星野富弘の詩があると思うので、それを探してもってきてください。私、今ならあの詩のすべてがわかると思うので、あの頃は、ふーんというか、そんな人がいるんだという感じで、チャラチャラ読んだ感じがするんですが、今ならまさに私の心そのままだと思うし、あの時、読み飛ばしていたはずのものが、こんなに思い出せるなんて、人間の記憶もすごいですね。私の身体の中にちゃんと記憶されていたのだとよくわかります。星野さんとも会ってみたいです。あの人は今どこにすんでいるのですか?

柴田先生:群馬のほうにいて、、、年齢が、僕の一回り上・・・
~ この時、アヤヤがiPhoneで星野さんの詩のサイトをみつけて、いくつかの詩を読み上げてくれた ~
妻:それ、インターネットですか?
アヤヤ:そうです。レンギョウもありましたよ。・・・と読み上げる。
妻:花きりんを読んでくれますか?どんどん出て来ていますね、びっくり!

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はなきりん (アヤヤが奇麗な声で朗読してくれました)

動ける人が
動かないでいるのには
 忍耐が必要だ

私のように 動けなものが
 動けないでいるのに
  忍耐など 必要だろうか

そう気づいた時
私の体をギリギリに縛りつけていた
忍耐という棘のはえた縄が
「ブッ」と解けたような 気がした

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まさにその詩でしたね。その気持ちは実はまだ、そこまで行けていないので、今の私にはまだ忍耐が必要ですが、そういう心のあり方にはとても共感できるので、今の詩を聞くだけで、私の心はまた素晴らしい世界に行けたような気がするので、本当にすごいですね。ぜひまた、星野富弘の詩をどこからか捜し出すというか、インターネットでいいから・・・
アヤヤ:いっぱい出て来ていますよ。
妻:そうですか、インターネットでそんなに載っているなら、詩集は捜さなくてもいいけど
一同笑
アヤヤ:花の名前がたくさんあるのですね。題名が。
妻:花の絵と一緒に、花のことばがそえてあって・・・私たちの世代の人は、その詩集はきっと一度は手にとっていると思いますが、、、先生それは、もう30年も前のことですか?
柴田先生:たしか30年くらい・・・1980年代前半に売れたと思うので・・・

妻:そうでしたかね。私も結婚の前後だと思ったから、確かにもうそのくらい経ちましたね。でも、さすがにその人ももう60才を過ぎましたか?確か若い時の傷でしたね。どこかの学校の先生ではなかったですか?
柴田先生:群馬県の学校の先生で、クラブ活動の指導中かなんか、、新任の一年目の時で、、、
妻:そうですか。新任の一年目からこの状態になって、色々あって、そういう詩や絵を書くようになったんでしたね。その人はしゃべれるのでしょうが、詩や短歌は、しゃべれてもこの状態なら、ほとんど同じですよね。まさか、そんな話まで今日出来るとは思わなかったけど、やはり詩というのは不思議なものですね。今度もまた詩を作っておこうかなと思って、今、気持ちが燃えはじめたので、またぜひ今度も詩を聞いていただきたいと思います。これは、夫への質問ですが、さっきの詩は歌にはなりませんか?

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※「こころの流れ」
時間に“流れ”があるように 私のこころも“流れ”があって
古い私が洗われて 新しい私へと蘇る
不器用な私らしい“流れ”だけど
確かにこころは“流れ”をもって歴史を刻み
目にも止まらぬ速さで 呆然と立ちすくむしかない人々を
こころの底から洗い流して行く

なぜ人は喜びと哀しみに もてあそばれてしまうのだろう
私にはわずかに論ずる言葉さえないが 論じられたら言いたいことがある
人は遂にその生を終える瞬間まで流れ続けるこころがあって
悶々とした思いの中で ずっとこころは流れつづけているということを

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

僕:歌にはなりにくいかな。んー、だけど、あの、直しちゃうとあまり面白くないから、違うアイデアをちょっと考えてみる。
妻:わかりました。あなたは、その専門家なので、お任せするしかないけれど、・・・
お優さん:あー、今笑ったでしょう?
妻:そうです、笑いました。良い笑顔が出たのかしら?私たちの笑いはいつもこんな感じでしたから、良い笑いが出て嬉しかったです。
お優さん:うん。私も嬉しい。
妻:良い歌になったら本当に嬉しいけれど、歌でなくてもいいけれど「こころの流れ」という言葉を、何とかして人に伝えられたら嬉しいですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

歌にならないと言っても、笑っている妻。何か僕に期待しているのでしょう。

実は、やろうと思えば歌を作るという作業は簡単です。しかし、この詩をこのまま歌にすることは、この詩にとってベストなアプローチではないと感じました。なので素直に、歌にはならないと言っておきました(笑)
今回の詩は、とても特殊な詩です。初めて作った詩ということもあり、まだまだ荒削りな文章ですが、この詩の中には、障がい者の誇りとでもいうような、気高い魂がやどっています。そのことを考えると、簡単にメロディーをつけるわけにはいかないし、簡単に誰かの声を借りればいいというわけでもないような気がします。一つアプローチアイデアを考えてあるのですが、それをどうすれば出来るのか?しばらく研究してみたいと思っています。妻にはまだ内緒です(笑)

それにしても、詩を作ろうと燃えているなんて凄い。妻もきっと、燃え尽きるまで炎のように生きるのでしょう。僕は妻を作家としてマネージメントできるようになりたいと思いました。大げさですね。そういえば、妻が演歌歌手だったりタレントで夫がマネージャーとか、良く芸能界にいますね。別れるケースも多いけど(笑)

明日はこのシリーズ最終回です。
一番「熱い」瞬間は今回でしたので、明日はあとがき的な感じになると思います。

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にぎやかな病室 その4
初作品「こころの流れ」を書いた後、いくつか俳句を歌った妻。レンギョウの花の歌について話しはじめました。それにしても、妻が星野富弘さんの詩を知っていたのは何故だろう? 妻は高校2年の夏休み前に中退して、東京に出て来てスナックbarの店員を始めました。東京に出て来てから、演劇や映画に連れて行ってくれた、当時、映画関係で働いていた方がいたという話を、僕もよく聞いていましたから、たぶんその方から教えてもらったのではないかなと思います。今度その方とあったら、確かめてみよう。

さらに8月8日のつづき・・・「こころの流れ」のあとに、俳句を歌いはじめた。

『息ひとつ メモるその手にレンギョウを』

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妻:誰の詩だったか?同じような立場の人の詩でレンギョウの詩があります。
柴田先生:はい。あります。有名なのが、、、星野富弘のレンギョウの詩が、、、
妻:その人ですね。確か首から下が動かない人の詩で、ずいぶん前にベストセラーになりましたね。
柴田先生:そうですね。たしか30年前くらいですね。
お優さん:へぇ~。
僕:そんな事知ってんだ。
妻:私は傷はもっている、その傷からあなたの優しさがしみてくる・・・でしたか?
柴田先生:たしかそうですね。。。
妻:面白いですね。二人で予測をしあうところがありから、私も不十分な記憶だったけれど、言葉にうまくなりましたが、今みたいに助けあって言葉を作ることがよく分かりました。レンギョウのその詩がとても好きでしたが、まさか自分がその立場に立つとは思わなかったので、その詩を何度も繰り返し思い出していて、そのことを俳句にしました。(自分のこの詩は)素晴らしい俳句とは思いませんが、そこに込めた意味は私はとても気に入っているので、これも一つの作品としてきちんと記録してもらいたかったので、嬉しかったです。
レンギョウの話しがわかる人(柴田先生の事)がいるとは思わなかったので驚きましたが、私は傷をもっている・・・傷口がつくのかな?・・・やさしさが染みてくるというのが本当に良くわかるので、私のこの身体はどこかに傷があるわけではないけど、傷だらけの身体みたいなものなので、その傷から優しさが染みてくるというのは、本当に素敵な事ですね。その事を昔は「ふーん、そんなもんなんだ」と思って読んでいたけれど、まさか自分が「その優しさ」を感じる立場になるとは思いませんでした。先生は星野富弘のファンなのですか?
柴田先生:一応ファンです(笑)。昔は授業で使っていたことがあります。
妻:そうですか。そういう詩の話しにもつき合っていただいてありがったけれど、、、私の呼吸をメモするのは、まさに夫なので、これも夫に捧げる俳句ですから、それはぜひ記録に留めておきたいので、もう一つパソコンで書いておきます。
柴田先生:はい。(柴田先生が、パソコンで妻の言葉を拾いはじめる)

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『強き夜 どれくらいの暗闇か 図りかねつつ朝を待つ』

・・・これは、強い心を持ち続けている妻ですが、そんな妻でも夜がなかなか明けないということを現しているのだろうと僕は思います。それは、意味がかかっていて、夜は毎日の昼と夜、そして、彼女が今経験している、人生における夜の状態を言っているのでしょう。
本人の解説はとてもシンプルでした。<私は強い気持ちを持ち続けているという事です。どうしても明けない夜を歌にしました>・・・という事でした。そうして、すぐ続けて、すぐにもう一句歌いました。

『良い人生悪い人生問うなかれ ロウソクは燃え尽きるまで炎なり』

・・・これは、相当、激しい強さを持っている人だと、びっくりしました。僕にとってはいつか夢の雫にも書いた、今年、他界したおばちゃんの言葉、「人間は一人として病気で死ぬ人はいない、寿命で死ぬのだから、病気は病気、命は命」・・・という言葉に近い衝撃がありました。ぐちゃぐちゃ細かいこと言っているんじゃない。しっかり前を向いて生(行)きなさい!と言われているようにも思いました。

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妻:誰でもそういう言葉をもっていたということが、つくづくわかりますが、凡人はこうならないと出てこないけれど、天才は普通の状態でも出てくるから天才なのでしょうが、天才はそれだけ苦しみも深いのかもしれないと思うようになりました。本当の天才はなかなかいないから、言葉だけの人は多いけど、やはり昔からすごい天才的な詩人や俳人や歌人は、本当は心の中に苦しみをきっと抱えていたにちがいないと思うようになりました。そんな事までこの状態になってわかるので、やはり「良い人生、悪い人生、問うなかれ」というのも実感です。
どちらが良いとか、どちらが悪いとか、簡単に言えるものではないということが、とても良くわかります。とくにこうして、みなさんとお会いしてからは、こういう世界があるなんて知りもしなかったことだし、先生にしても、優さんご家族にしても、私たちのような状態になって初めて会える人たちなので、ここがもしも仮に地獄だとするならば「地獄に仏」とはこのことで、、、そのような軽い言い方で申し訳ないけれど、やはり不思議な人たちに出会えているのも、この状態になったからで、色々本当に人生は不思議だし、、、私は神など信じていないから説明はしきれないけれど、もし神や仏を信じている人ならまさに、この瞬間に神や仏の****(聞き取り不能)というのか、これこそ神や仏が与えた私への“恵”だという気持ちになるに違いないでしょうね。
私もそういう世界を信じていたなら、まさにこれが、その体験そのものだとわかりますが、さすがに私はそういうことは信じていないので、そういう事は言わないけれど、この体験が宗教的な世界に通じるものだと分かるようになりました。まさに私が普通に暮らしていた時の対局の世界のようなものなので、私も人生の両極端が見れたという感じさえします。先生たちのような不思議な世界の住人の人たちもいて、面白いです。本当に世の中は広いし深いし限りないということを日々実感しています。なるべく夫には迷惑をかけたくないと思いつつ、まさかこんな形であの日の出会いが形を変えてつづくとは思わなかったので、本当に不思議ですね。
まさかこんな風になることを見通して結婚する人などいないはずなので、本当に不思議でしかたないです。こうして長い結婚生活を振返ってみると、いったいいつが一番幸せだったか?と訊かれたら、私は即座に「今だ」と答えるに違いありませんから、やはり人生は不思議でしかたありません。こんな状態が一番幸せなどという逆説はやはり不思議で仕方ありません。こんな逆説もまた人生の真実だと思うと、この真実を知らずに死んでいくよりは、この真実に目覚めて、それをじっくり味わっている今は、やはり生きているという実感がしきりにしますから、この命もまた「炎」そのものだという感じがしてなりません。
炎には良いとか悪いとかなく、ただ燃えているという感じがあるので、それを短歌にも入れましたが、すごい感覚が私にも芽生えてきたものだとつくづく思います。そういう感覚が芽生えていることもまた伝えることが出来て本当によかったですし、そういう感覚を目覚めさせている人が実は世の中にたくさんいて、まだ誰もそれに気がついていないということが、本当に恐ろしいことですが、それもまた一つの世界のあり方なのでしょう。これもまた神や仏を信じている人なら、違う説明になるかもしれないけれど、私にはこのギリギリの事実がまさに現実そのものだと思います。

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録音の聞き取りは、今日はここまでです。
どこで、切って伝えればいいのか、とても難しいのですが、妻の詩や川柳についての考えの背景が見てきて、その凄みのようなもの、命の炎といったものに触れられたことは、本当に僕にとってはとても大切なことでした。去年、僕自身が体調を崩して、それから色々考えた結果として、今年は退社して妻と共にいる時間を増やすという決断をし、人生を思い切って方向転換した年でもあるわけですが、退社してたった半年で、このような妻の言葉を聞ける瞬間がくるとは夢のようです。
これからは、妻の思考の深さをさらに知ることが出来る言葉が続々と続きます。

そういえば、話は変わりますが、昨日、妻の髪の毛をバッサリとやりました。
柴田先生がいるときに、最後に、髪の毛をショートにバッサリやりたいという話をした瞬間に、すごいにらみ方をしました(笑)この瞬間は、全員が確認していて爆笑の渦となりました。僕にさえすぐに「何を言っちゃってんの?」というような言葉が聞こえてきたような、そんな目をしていました。妻は、今回は仕方ないけど、いつかまた背中まで髪の毛を伸ばしたいと言っていました。その日がくるように僕もがんばりたいと思いますが、今回は、バッサリ行かせてもらいました(笑)

妻の言葉はさらにまだまだ、柴田先生を通り溢れつづけます。・・・・つづく

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にぎやかな病室 その3
もうすぐ妻の誕生日です。今年は妻が倒れて3年記念だらけです(笑)倒れてからのことを記念と言っていいのかどうか?わかりませんが、この前妻が褒めてくれたので、記念という単語を使う事にしました。今年は、僕らの3周年記念だらけです(笑)今日も、柴田先生が来てくれた8月8日のつづきです。

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私が詩をかくようなことになるとは思わなかったので、自分でも驚いていますが、良い詩かどうかは別にして、気持ちを書き込めて詩をつくることが出来てよかったです。前に予告したものとはだいぶ違う内容ですが、私のこの状態になって初めて見えてきた、心の流れを詩にしましたので、題は「こころの流れ」ということにします。歌になるかどうかは夫が判断して、また素敵な歌手に歌ってもらえると最高ですが、少し歌にはなりにくい言葉もあるから無理はしなくていいけれど「こころの流れ」という歌をまた聞かせてもらえれば、私はとても嬉しいなと思います。

先生は途中だいぶん難しそうでしたが、詩は難しいのですか?

詩はですね、予測がほとんど立たない言葉が次から次に出てくるので、、、間違いかもしれないという思いが、会話とちがってあるので・・・

そうですか。会話はほとんど間違いにくい流れをもっているのですね。

そうなんです。会話はわりと、すーっと流れがあるので、よっぽどなことがないと、あの、以外な方向には、あ、全体としては大きな、、色々、意外性もあるけど、短い言葉の単位では、そんなにあの、以外な方向性にはいかないもんですから・・・

そうですね。とても、だいぶ苦労したのは、そこはその言葉でいいのだろうか?という思いがあるのですか?

そうですね。これで本当にいいのだろうか?とか・・・

途中、明らかにわかっているのに確かめていることがありましたね。

はい、あの、それは、確認するときに一回止まって、もう一回やっていることが何回かありました。

そうですね。会話の時にはそれがないけど、詩の時はいったん正しいところに止まっても、また動き出すので確かめているということがわかりましたが、そんなに詩のときは難しいとは思いませんでしたが、やっぱり難しいのですね。でも正確に聞き取っていただけてよかったです。最後の悶々としたは以外でしたか?

そうですね、ちょっと以外というか、違う言葉ではないのだなと・・・・

悶々としたままの状態を詩をしたのは、少し暗いけど、本当の事なので、そのままにしましたが「論ずる」などという言葉は詩にはふさわしくないから、ちょっと変えたほうがいいかもしれないけど、私の語彙はそういう感じなのです。「論ずる」という表現の時も先生は相当に迷っていたので、やはり詩にはピッタリ来ないのだなと分かりましたが「論ずる」をきちんと選んでくれてよかったです。さすがに難しくても間違わないのに驚きました。でも確かに、私の詩は少し流れがわかりにくかったのでしょうね。でも、詩はそういうものなのでしょうね。

そうですね。じゃないと、詩じゃ、、、詩として、こう新しさとか、、ないので、、、やっぱり予測を超えていかないと、いけない、、、つまらないので・・・なんか・・・

そうですね。詩は予測通りでは詩としてつまらないですね。でも「こころの流れ」というのは、それ自体はとても月並みなことだけど、心の流れのあり方がこういう状態なので、やはり少し特別な内容になっていると思うのですがいかがでしょうか?夫にはまだ全貌が見えていないかもしれないので、一度読んでみてくれませんか。

(ビクッとしました。ひらがな一文字づつ打ち込まれていくPC画面が、あまりよく見えないところにいて、たまに覗き込んで、どんな詩になっているのかな?と思っていたときに、妻からこのように指摘されました。また心を読まれてしまったようです。)

~柴田先生が朗読~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
時間に“流れ”があるように 私のこころも“流れ”があって
古い私が洗われて 新しい私へと蘇る
不器用な私らしい“流れ”だけど
確かにこころは“流れ”をもって歴史を刻み
目にも止まらぬ速さで 呆然と立ちすくむしかない人々を
こころの底から洗い流して行く

なぜ人は喜びと哀しみに もてあそばれてしまうのだろう
私にはわずかに論ずる言葉さえないが 論じられたら言いたいことがある
人は遂にその生を終える瞬間まで流れ続けるこころがあって
悶々とした思いの中で ずっとこころは流れつづけているということを
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

僕:あらわれる・・・はどっちだろう?
お優さん:洗うでしょう?ウォッシュですよね?
妻:そうです。最初は先生も洗うとは思わなかったですね?
柴田先生:ちょっと最初は、現れる、出現のほうだと思った。
妻:流れをどう表現するか難しかったけれど「洗う」という水に関係のある表現にすれば流れになると思いましたが、伝わりましたか?
お優さん:そうかそうか、伝わりました、はい!
柴田先生:伝わりました!
僕:ふーん。
妻:流れというニュアンスはとても詩的なニュアンスなのですが「川の流れのように」という歌がありましたが、「川の流れのように」は少し今思えばのんきな歌詞でしたね。あれだけ世の中で流行った歌ですが、やはり元気なままの人にしかわからない世界に思えて、少し月並みな感じがしてなりません。私の「こころの流れ」は最後は悶々としていることになってしまいましたが、そこは少し脚色をしていて、本当は結構のんきなのですが、やはり「悶々と」という表現で、重く終えたほうがいいかと思いましたので、このままお願いします。詩は素敵なものですね。私は詩をずっと考えていると、自由な気持ちになれて、とてもこの状態にいるとは思えなかったです。心が流れているというだけで、私の気持ちは自由な心になっていたので、やはり詩というのは不思議なものですね。詩を作るなんて、こんな身体にならければありえなかったので、本当に不思議な経験ですが、やはり詩は人の心のから溢れ出すものだということがよく分かりました。昔から素敵な詩を作って来た人たちは、溢れ出す何かをもっていたと言う事でしょうね。でも、溢れ出す何かは、やはり体験を通してしか生まれないので、出来ればこんな辛い体験はしたくなかったので、詩が出来るということも、なかなか悲しいことではありますね。先生はたしか、子供たちの詩もいっぱい聞いていると言っていましたが、みんな同じ気持ちで作っているのでしょうね。どんな説明をしていましたでしょうか?

柴田先生:みんなね、心が落ち着きますというのが一番、割合としては多いですね。詩をつくっていると心が落ち着きますとか、気持ちを鎮めるために作っていますとか・・・そのへんが多いですね。なんか、表現としては。

そうでしょうね。詩を作ると気持ちが落ち着くので、私も詩のことを考えるようにしたけれど、私はさすがに、もういい年齢なので、そんなに詩がなくても大丈夫だけど、生まれつき障害がある子供たちが詩を作って気持ちを心から鎮めているというのはとてもよく分かります。そういう子供たちにも一度会ってみたいなと思いますが、そうやってたくさんの詩が生まれていくのが人間の芸術の原点だと、昔誰かに聞いたような気がするけれど、本当に芸術の原点というのはこういうギリギリの体験から生まれるのだということがよく分かりました。

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                まだまだ、つづく。




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にぎやかな病室 その2
今日の端座位30分。段取りを間違えて、iPodをカバンから出し忘れたまま座らせてしまった。あらら、音楽も聞けないし、少し熱もある。目からはつまらない光線が出ている。そこで良い事を思いついた。星野富弘の詩をiPhoneで絵を見せながら読み上げてた。これはヒットだった。目が輝いた!「そうこれこれ!レンギョウはこれよ!」と。では今日は、前回のつづきです。8月8日の記録・・・柴田先生は入ってくるなりもう妻と話し始めていました。あらら、もう始まったの?妻も話したい事がたくさんあって、堰を切ったように話し始めました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
詞はできていますよ。楽しみにしておいてください。しかし、歌詞かどうかはよく見てもらわないとわからないけど、歌になるかどうかはわからないけど、うちの夫はそのへんはは詳しいので、すぐに歌になるかどうかはわかると思います。先生は、歌まで作るのですか?先生は今日もどこかに行ってきましたか?(ハイ)その声は、またどこかで誰かと会ってきたような声に聞こえるので、誰かと会って来たのですね。誰と会って来ましたか?(4~5才の子供とと会ってきました)そうですか、そんな小さな子でもお話をするのですか?(もうしますよ、だいたい)そんなに早くからこんなに話せると嬉しいでしょうが、そのお子さんは障害があるのですか?(障害があってしゃべれてなくて)そうでしょうね、そうでなければ先生とあうはずがないですが。ところで、先生のこんなやり方でその子も話しをしたのですか?(このやり方で話しをしました)そうですか。まるで、余裕ですが、うちの夫は相変わらず困っているので、あまり見せるとまた落ち込んでしまいそうです(一同笑)みなさんほんとうにすごい技をお持ちなので驚くばかりですが、なかなか夫婦では難しいですね。私もあまり身体が軽くは動かないので、夫とだとうまくいかないけど、優さんや先生だと、軽やかに身体も気持ちも動くので簡単になるのかもしれませんが、みなさんのような楽天的な雰囲気はとても気持ちが楽になりますが、今日もやっぱり笑いながら入ってきましたね。私の病室に笑いながら入ってくるのは、みなさんぐらいのものです。(一同笑)本当に不思議な人たちですね。

でも、最近はうちの家族もだいぶ明るくなったというか、私が普通にわかっているということがわかったので、安心して話せるようになったことで、とても楽になったみたいです。最初は本当にわかっているのかどうか心配で、みんな恐る恐る話しかけてみて、私の反応がないと、やっぱり無理かというような淋しそうな顔をするのですが、私はその顔を見るのがとてもとても面白くて、また心配しているというのを見ては、いつか私が全部わかっていたと言ってあげようと楽しみにしていたので、今はもうその楽しみはなくなってしまいましたが、みんな当たり前に話しかけてくれるようになって、あの頃はいったい何だったのか?という感じになりました。

みなさんのような人がはやく世の中に溢れるようになれば、この病院中の人がみんな明るく話せるようになるのですが、なかなか難しいです。でも、私たちのような存在も、きちんとした思いや言葉があるということについて、まだまだよくわかっていないということも、わかってきたのは、私の言葉についても賛否両論のようで、なかなか受け入れがたい人がいるようなのですが、だいぶみなさんわかってくれるようにはなってくれましたが、私の顔を見て、反応があると思う人と、思わない人がいるのが、可笑しくてしかたありません。

専門家と言っても、そういう専門家ではないので、私の顔から表情を読み取れる人と読み取れない人がはっきり分かれるのが、可笑しいくらいですが、やはりセンスのいい人は、やっぱりあれは笑顔だったとか、嬉しい顔だとか納得していくのですが、読みとれない人は「やっぱり気のせいか」とか言って、つぶやいて行ってしまうので、可笑しいですね。でも、またそういう風にして少しづつ理解者が増えていくのが嬉しいですが、まだまだだなと思うのは、やはり私だけが特別ということになっていて、病院中の人がそうかもしれないとは、誰も思わないようですね。本当はみなさん、きっとそうだろうと私は、この身体になって思えるようになったのは、私も相当重篤な状態だと思っているので、もっと軽い人もたくさんいるようなので、本当はもっともっとみなさん気持ちが言えるはずなのに、本当に残酷と言えば残酷なことですが、少しづつしか世の中は変わらないということも、わかりきっていることなので、少しづつ地道にいくしかないでしょうね。そうやって、少しづつでも広がって行く事が大切なので、ぜひ、ゆっくりとでいいから、じっくりと取り組んでいただければと思います。みなさんは、相当に気が長いようなので、私も安心していますが、相当気が長くないとこんなことはやっていられないと思いますが、みなさんのような人たちがこんなにたくさんいることは、元気の時にはわからなかったことなので、本当に驚いています。

ところで、今日の私の顔は、少し笑顔が出にくい感じがするのは、今日は少し疲れているからですが、何故疲れたかというと、やはり夏の暑さがどうしても身体にしみるからですが、元気な時は冷房があると身体は冷えるぐらいにしか思っていなかったけれど、やはり冷房は冷房、夏は夏という感じがするのですが、それは不思議な感じがしますが、みなさんはその事についてはあまり感じないでしょうね。先生はどう思いますか?

柴田先生:ぼくもね、よく・・・前から不思議だなと思っていたのは、、、気温だけ言って、、、冷房の設置で考えれば、夏もこれだけ冷房が効いていればもう夏ではないと思ったんだけど、この間あの、ある人が、、ある自閉症の人が、やっぱり夏は暑いんだとか言っていて、あぁ、そんなものなのかって思って、、自分はわかんない、鈍感なので、、、、、

そうですか、私は今の人の気持ちがよくわかるのは、冷房の温度と身体で感じるのはまた別で、冷房の温度がいくら低くても冬とは違っていて、夏はやっぱり夏の暑さがあるので不思議ですね。先生は、あまりそういうのは敏感ではないのですか?

柴田先生:あまり敏感じゃない(笑)

私もそういうのはどうでもよかった方なのですが、こうやって入院してみると、冷房の気温が低いのに、何故夏を感じるのか不思議でしかたないのですが、それは本当に身体で感じるので仕方なくて、やはり夏は夏の暑さがあるので返って嬉しいですが、その分、きっと身体は疲れていると思いますが、でも気持ちは全然疲れていないので大丈夫ですが、この間のように笑顔が出ないと思います。今日も優さんは私の顔を見ていっぱい表情が見えるそうですが、先生はまだあまり表情に新たな変化を見ていないのがわかりますが、そう言う事まで昔は感じもしなかったけれど、そういう相手の気持ちの動きにもとても敏感になってしまって、本当はもっと鈍感のほうがいいのですが、いろんな人の気持ちが細やかにわかってしまって、困ることが増えてきました。色々な心の醜さまで見えるのが、あまり気持ちよくなくて、やはりあの昔のあの、自分のことだけ考えていた時のほうが楽だったと思います。みなさんは、気持ちを聞き取るようになって、人間の醜さのようなものは見えてこないのでしょうか?

お優さん:見えない・・・
柴田先生:あまり僕には言ってこない
お優さん:私も見えない・・・素敵、清美さん。泣いてる?

そうです、泣いています。さすが優さんですね。先生は気づいていませんでしたね。

柴田先生:はい

醜さに気づかないのでしょうか?それとも先生たちのような人には人はあまり醜さを出さないのでしょうか?そのへんが面白いところですが。私もあえて優さんや先生たちに醜さを出そうとは思わないから、やはりそのへんはうまく出来ているものですね。みなさんには人間の醜さが見えないようにうまくできているので、そのほうがいいですよね。先生など「人の醜さは見た事がない」などと平気で言いそうな感じの人なので、醜いのは見たくないのだから、みんなそれを察知して出さないのかもしれませんね。そのくらい、みんな相手に敏感になってしまうのが、いいのだか悪いのだか本当にわからなくなります。

私は恥ずかしくてあまり言いたくないけれど、やはり夫の心がこんなにきれいだったというのは、こんな病気にならないと気がつかなかったことで、やはり面白いものですね。夫は仕事の鬼のようなところがあったので、ゆっくりと自分の気持ちを家で広げるようなことはなくて、ほとんど家は仕事の合間に顔を見せるという感じだったので、だいたいイライラしているのは仕事のイライラだし、嬉しいのは仕事の喜びだし、仕事が絡むことがいつも感情を満たしていたけど、今は私のことしか考えていないようなので、こういう事がなければ夫の心がこんなに見えることはなかったのですが、本当に最近は心がよく見えるようになりました。夫を前にするとやはり照れくさいけれど、さすがにこういう機会しか言えないので、やっぱり言っておこうと思いました。夫のような人は他にもいるのかもしれないけれど、やはり本当に「世界一の夫婦になったわね」といつも思います。

体当たりの赤ちゃん:「あっ!」

世界一の夫婦・・・というところで、赤ちゃんが声を出すのは偶然なのでしょうか先生?

柴田先生:それがね〜(笑)・・・(赤ちゃん笑い声)・・・ほら笑ってるし

お優さん:うーん。やっぱりね。赤ちゃんでも理解していますよね。

そうですよね。私はこの状態になって人間の言葉はいったいいつ頃からはじまるのかと考えるようになって、発言が出来る前の状態に私はいるので、赤ちゃんも本当は発言をしたいのだけど出来ない時期が長いのではないかと思って、今の声を聞くと、やっぱり何か大事なところは伝わっているなと思いました。世界一という言葉の意味がそのまま分からなくても世界一という言葉(赤ちゃん:ふーんふーん)が大事だという意味がわかったのでしょうね。「世界一」でとても反応したので、「世界一」がきっとそのお子さんにとっては、自分の周りの一番かもしれないけど、その「世界」という意味ならよくわかるのかもしれませんね。そういう事も、暇だから色々考えるようになって(赤ちゃん:ふーん)人間はやっぱりまだまだわからないことが多いのではないかと思います。

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・・・と、ここで処置の時間になりました・・・・なんか、すごい話しをする女になりました。今の妻は考えることが生きることですから、暇な時間=起きている時間は、考える時間となっているのでしょう。妻はもっとバカちんなタイプで、お人好しなところが取り柄でしたが、ずいぶん色々なことを考える人になったようです。健康なときより頭は確実に良くなっています。僕を煽てるところなんざ、ずいぶんと頭が良くなった証拠です(笑)男はほめてもらうとすぐ「もっと頑張ろう!」と思うのです。これは本当のことですから、うまく使うといいです。人間の能力、その底力は計り知れないものがあります。不思議です。  

                        つづく 

未分類 | 23:53:22 | トラックバック(0) | コメント(0)
にぎやかな病室 その1
レンギョウ

<“しあわせ”っていうものは、自分の考え方ひとつで、いつでも身近にあるものです>
・・・・などという耳障りの良いことをよく耳にします。ある意味それはその通りですし、でも心のどこかでは、胡散臭い切り口だなと思うこともある。だいたい「しあわせ」を定義づけしないで、イメージだけで捉えると、何でも言えちゃうという危なさがある。でも、なんでもない毎日の幸せって本当にあるんだよなぁって心底思うこともある。でも、これがまた難しい。

今日は特別な一日でした。お優さん率いる、激突・・、いやちがった、体当たりの赤ちゃん、アヤヤ、そしてお優さんという突撃トライアングルに、ご主人が少し遅れて到着して最強カルテット。そこに柴田先生が到着して、夢のような奇跡のクインテットとなり、にぎやかな病室となった。

看護師さんたちも不思議そうな顔をしている。障がい者を前に、みんな明るく笑ったり、妻をふくめて会話をしているのだから確かに“へん”と感じる方が正常である。きっと「なんか、へんな集団」「あぶないから、あまり近づかないほうがいいかな」なんて、きっと言葉にはしていないけど、それぞれが心の中でそんな風に思っているのだろうと予想しながら、そのムードを楽しんでいる自分がまた可笑しくてついニタニタ笑ってしまう。明らかにこれは変態であると自覚したが、このにやけた笑いは止まらない。きっと妻も同じ思いではないかな?

もちろん今日も、びっくりする事だらけだった。何と表現すればいいのだろう?柴田先生と居ると、びっくりする事が起こるのが当たり前なのだ(笑)そう言った意味では、当たり前だから、びっくりすることになならないのだけど。。。パラドクスである。笑ったり、泣いたり、僕の心も忙しい日となった。

今日のメインイベントは、前回5月1日に妻が自分から宣言した「詩」がはたして出来ているのか?というのが注目の的だった。だいたい、僕の知っている妻は、自分の気持ちをあまり表に出さないタイプだった。周りの意見を飲み込みながら、みんながうまく行くように、自分の意見を表にださずに、まわりに気をつかいながら生きて行くタイプだった。そんな人が詩を書くという。本当かな?と思っていた。「詩」を生み出すというのは、自分の気持ちを掘り下げていって、潜在意識までダイビングして行き、そこから吹き出すように出てくる衝動を文字にする行為である。赤ちゃんの泣き声のようなものなのだ。僕の知っている妻は詩を書くなんてタイプじゃないのだ。

昨日「清美、すごいニュースがあるんだぜ!明日、柴田先生が来るよ。詩は出来ているのかい?」と話しかけたときに「出来てるよ」とでも言うように<パチリ>としっかりとした合図をくれた。どうも、本当に出来ているようだとは思っていたけど、その文字が目の前に現れると、それは予想もしていない切り口でびっくりした。柴田先生がコンピュータを操りながら、一文字づつ、あかさたなスキャンで妻の詩を拾い上げて行く。

詩を書きます。
(・・・という書きだしでスタートしました。実際は、全てひらがな、句読点ほとんどなし)
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時間に“流れ”があるように 私のこころも“流れ”があって
古い私が洗われて 新しい私へと蘇る
不器用な私らしい“流れ”だけど
確かにこころは“流れ”をもって歴史を刻み
目にも止まらぬ速さで 呆然と立ちすくむしかない人々を
こころの底から洗い流して行く

なぜ人は喜びと哀しみに もてあそばれてしまうのだろう
私にはわずかに論ずる言葉さえないが 論じられたら言いたいことがある
人は遂にその生を終える瞬間まで流れ続けるこころがあって
悶々とした思いの中で ずっとこころは流れつづけているということを
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この詩のタイトルは「こころの流れ」ということでした。
それは、この後の会話の中でわかったことです。

妻が自分の心にずいぶん深くダイビングしたようで、
その底に地下水の川のような水脈を見つけたようです。
この「流れ」という言葉に、水を感じさせて、心の移ろいが、
時間の急流でもまれながら変化していった様を著したようです。

止まったまま動かない身体の中で、心は激流にもまれていき
古い心の角質を洗い流し、心は生まれ変わって、
新しい心=今の自分へと成長してゆくのです。
悶々としたという苦しい表現の中に、希望を映し出しているわけです。

まだまだ、磨かれていない原石のような詩ですが、
その心に秘めた輝きを見たような気がしました。
いつのまにか、凄みのある詩を書けるような女性へと変貌を遂げた妻に
おいていかれないように、努力していかねばならぬと気持ちが引き締まりました。

この後に、短歌を歌いはじめました。

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息ひとつ メモるその手にレンギョウを

(本人解説)
辛い呼吸は私を苦しめますが、その呼吸を懸命にメモる夫の優しさに
レンギョウを思い出しました。レンギョウの詩をつくった星野さんと、
まさか同じ立場になるなどとは思わなかったので不思議な感覚です。
ご覧なさい私を!という気分です。誇らしい私です。以上です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

強き夜 どれくらいの暗闇か 図りかねつつ朝を待つ

(本人解説)
私は強い気持ちを持ち続けているという事です。どうしても明けない夜を歌にしました。

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良い人生悪い人生問うなかれ ロウソクは燃え尽きるまで炎なり

(僕の解説)
すごい女と一緒になったものだ。

未分類 | 00:31:49 | トラックバック(0) | コメント(2)
入力情報とその反応(正直者のケースについて)
一昨日の眠り姫ほどではないけど、昨日も今日も、いまひとつスッキリしていない。でも、顔をあわせた表情に、吹き出しを付けるとすると「あら、来たの?」と言った、なんともつれない感じである。本当の気持ちは、もっと違うかもしれないけど、無表情に近いので、吹き出しをつけるとすると、そんなイメージになる。「そうだよ、来たのさ」と答えるわけである。

アイスコーヒーにミルクとシュガーシロップを入れる意思表示はしっかりとしてくれた。数口飲んでから、あまり飲みたくないのかな?と感じて「もういらない?」<・・・>、「あと一口いかが?」<うー>・・・なんだ、飲みたかったのか。という感じである。僕より、本人のほうが、きっと思いが伝わらないことは、とても辛いだろうな。慣れたと言っても、それは「諦める」という意味での慣れだろう。言葉を伝達する方法を手に入れたいと心から思うのだ。

と、その時、お嫁ちゃんから孫の動画のメールが届いた。お風呂で水遊びをしている孫である。来月1才になる。テーブルをつかみ立ち上がり、ヨタヨタ歩くようになったそうな。・・・そんな事を話しながら妻に動画を見せるわけですが、あっという間に眠そうな状態は消えて、すごい目を見開いて興味津々!すごい目で食い入るように見ている!孫の威力はすごい。うらやましい(笑)・・・そう言えば、昨日、次男と一緒に来たけど、そのときも息子にはモグモグ・・・吹き出しをつけると「腰大丈夫なの?人生色々あるわ。男なんだから、しっかりとがんばりなさい!」と言ったムードで、この時も、目はパッチリとしていた。ゴッドファーザーのマーロン・ブランドのような迫力だ。

なんだろうね。この、息子っていう自分から生まれた人間と、そのまた子供と、各種動物の赤ちゃんについては、脳みそ直撃の刺激なんだろうなぁ。正直すぎる反応が、そのままその眼差しに現れている。

息子、孫、志村どうぶつ園=目は爛々!・・・・あれれ?なんか足りなくないですか?いやいや、僕はもう大人ですから大丈夫なんです。そんな気を遣ってもらわなくても。僕はいいんです。はい。目を閉じていても、眠っていても大丈夫。一昨日お優さんが言ってました「生きていればいい」って方針ですから。・・・でも、目は爛々としていると、いいなって(笑)・・・大丈夫なんだけど、、、ちょっとはね。

未分類 | 23:48:39 | トラックバック(0) | コメント(0)
優しさの芽生え


びっくりするほどよく眠っている。お昼のこの時間にこんなに爆睡しているのは初めてのことだ。これでは起こすわけにはいかぬ。そんなわけで暫くはベッドサイドで本を読んでいたけど、つまらないから足の爪を切ったりしてから、足のマッサージをした。身体をさわってもまだまだグッスリだ。熱でもあるのかな?と計ってみても今日はバッチリ平熱だ。いつもなら絶対「い」「く」を連発している体調のはずである。でも今日はお休みモードだ。しょうがいないよね、これも初めての経験です。つまらないから顔を剃ってみる。薄っすら目があいた。「やぁ」と声をかける。〈パチリ〉としてまた夢の中へとまどろむ。つまらないから、眠ってるけどコーヒーを少し飲ませる。モグモグしてゴクン。よーし、もういっぱい。モグモグ、ごっくん、スヤスヤスヤ。君は気持ちいいだろうけど、ぼくはつまらない。

こんな具合で3時間ちょい過ごしたが、結局グッスリだった。何か昨日、眠れなかったのかな?せっかく志村動物園をDVDRに焼いて来たのにな。こんな事、初めてだ。眠り姫はバラエティーも見ないでお休みだ。そろそろお優さんの師跡30周年を記念した踊りの会「優芽の会」を観に行こうと病院をあとにした。

三鷹にある武蔵野芸能劇場についたときは、必殺・・・いやちがった、体当たりの彩子さんが三味線と唄という場面だった。なんと彼女は僕の長男と同じ年だ。あの若さで三味線は家元である。かっこいい!声がホントに綺麗で、三味線の家元で、日本舞踊の先生で、劇団で役者を演っていて、カナくんの母親である。もちろん母親が一番偉い。これは学校では教えていないけど、本当のことだ。

きっとカナくんも舞台を踏むんだろうな。だって、おばあちゃんがそう言っていた(笑)。お母さんより偉いのは、おばあちゃんだ!それにカナくんの舞台は可愛いに決まっている。僕は絶対見に行きたいと思った。

そのあとは、ゲストの演目を挟み、我らのお優さんのトリの演目である。柳優さんというお名前通りに、しなやかに、優雅に踊り終え、最後の挨拶へと向かう。

お優さんの言葉から知りました。師匠になって本当は32周年なのですが、息子さんが20才で他界したのが、その年だったそうです。しかし、それからあのお優さんの活動は、みなさんも知っている方も多いでしょうが、ご存知の通りです!その中で、師匠をし、劇団をやりながら、突撃・・・いや違った・・体当たりだった(笑)、白雪姫をやりながら、そんな中で、今こそこの30周年(本当は32年だけどね)の会を立ち上げたのでした。

本当にとてもよかった。後半しかいけなかったけど、思いのつまったその会は、本当に愛に満ちていたと思います。ここには書かないけど、いや、書いちゃうけど、旦那さんの愛が包み込んでいるんです。あら、書いちゃった(笑)

お優さんお言葉(イメージ)
「生きているだけでいいんです。特別なことなんてなくても、普通に生きる事の“ありがたさ“ “今ここにいる奇跡” ただ、ここに皆さんと会えている事、生きているだけで、誰かの為になる。誰かの為に今、ここにいる。とにかく、生きましょう!」

イメージとカッコしたのは、今は酔っぱらっていて、あまり正確に思い出せないからです。でも、こんな感じでした。しかし、今、思い出してみてホッとしました。

そうそう。生きてりゃいいのさ。今日は、はじめて目を開けてくれなかったけど、それでいいさ。だって、口がヒクヒクしていたし。呼吸をしているのはわかったし。眠っていてもコーヒーはゴクンとしたよね(笑)3時間も寝顔を見ていたけど、倒れてすぐは10時間は見ていたよね。そう言えば、今は寝顔を見る事は「つまらない」って思えるようになったんだな。生きているだけでいい.本当にそう思う。

帰りがけにお花をもらった。きっとたくさんおお花をもらって、それを、僕らにお優さんの愛のひとかけらとして、届けようとしてくれたのだろう。もちろん、僕もいただいた。帰りがけ駅から自宅への道で、久しぶりに佐藤先生の家の前を通るルートを選んだ。僕の中学一年生の時の担任の先生だった。優しかった。

中学の時に、油絵を書くのに、遊びに行ったな。2階のアトリエは、日当りがよくて、広くて、花の絵ばかりがあったっけな。このお優さんの花束を抱えて、佐藤先生の家の前を通ろう!・・・先生、元気ですか?これ、いい香りでしょ?・・・と言いながら、花束をかざしながら、家の前を通った。ぐっときた。色々な思いがある。

お優さんの今日の一日は、すごかったでしょう。その一端をこの花たちは知っている。僕はその香りを先生に届けてみた。今は僕ん家の玄関にあるけどね(笑)

生きているだけでいい。本当にそう思う。
今日は目をあけなかったけど、それでいいや(笑)

お優さんありがとう。

未分類 | 22:42:33 | トラックバック(0) | コメント(0)
夏祭り


鉢巻をしているのは妻である。
へー。こんなイベントを毎年やっていたんだ。この夏祭りイベントのことは去年も一昨年も知らなかった。今日はベッドへ行ってみると妻の姿がなかった。夏祭りに遊びに出かけてしまったようだ。いつものように、つまらなそうな、こわそうな顔で太鼓と踊りをデイルームで楽しんでいた。看護師さんや、リハビリの方々が今日は浴衣姿だ。夏は毎日この姿でリハビリすればいいのにね。その方が、病院も楽しいのにな。先生が、浴衣だともっといいけど、その姿は見られなかった(笑)

病院スタッフ全員で、少しでも夏の楽しいひと時をと病院でお祭りをしてくれるなんて、何とも嬉しい企画だ。リハビリのお兄さんトリオは、マツケンサンバをサタデーナイトフィーバーのジョントラボルタみたいなポーズでアクションを決めて踊る。お祭り会場では、お食事券をもらって綿飴を楽しんだ。リハビリの方がついての安全に気をつけながらの味わいは、妻には物足りなかったようで、まだ味わっているのに、口の中を拭かれてしまい、ちょっと怒っていた。二口目を食べる?と言っても機嫌を悪くしてプンプンプン「もーいらない!」と首を連続して横にふった。僕は、なんだ首そんなに動くんじゃんって思った(笑)「清美、せっかくだからもう一口たべようよ」とゆっくりと説得してから、二口目の綿飴を楽しんでもらったけど、恐い顔をしていた。まぁいい。いつも顔は恐いから、機嫌が良くても、悪くても、外からわかりゃしない(笑)ぼくはそんな事を思いながら、妻の替わりに笑顔で「ありがとうございます!」とお礼を言っていた。

くじ引きコーナーで妻の手をとって、くるりとハンドルを回したら緑色の玉が出て来た。「大当たり〜!おめでとうございます!」と扇子が当たった。これが写真の頭の上に乗っかっている扇子である。扇子は、蚊取り線香と、蚊遣り豚が、ランダムに並ぶ、楽しいデザインだ。最近、端座位のときにずっと扇子で扇いでいたけど、明日からはこの蚊遣り豚デザインの扇子で扇いであげることにしよう。

ひとしきりお祭りを楽しんでから、今日も筆談をした。「昨日は来れなくてごめんね。腰に針をうちに行ったら、時間がなくなっちゃったんだよ。そのままインフィニティアート無限のライブを池上のお寺に見にいっちゃったの。おもしろかったよ。」みたいな、ことをこちらから伝えるための筆談である。意味あるのか?と思うけど、妻はしっかりと文字を見つめている。筆談にはとても興味をもっていることは確実だ。「明日は、お優さんの踊りの会があるんだよ。花柳柳優っていうんだって。柳が二つつながるんだよ。」・・・などなど、一方的に話しをして終了した。

その後は、テレビを見ながら、手を握りながら、力の入り方を確かめていたのだが、やはり少しづつ新しい力の入り方が出て来ている。上腕の筋肉が使える瞬間が出て来ている。また、握力もわずかながら、継続的な力を感じる時がある。左足はたまに、蹴り上げるような動かし方をしてみせる。今日は全体的に動きがいい。ずっと見つめ続けないとわからない動きばかりであるが、僕にはよくわかる。妻は「こんなこと出来るようになった」と見せてくれているのだ。この細かい、気がつこうと思わないと気づけないほどの動きは、過去にはゼロだったものである。ゼロと1との差は無限にあるけど、1にたどり着けばそこからは、継続と努力で動きを大きくしていくことが出来るだろう。3年半かけて、ここまでたどり着けたんだなぁと、じんわりとその「力」に感動した。

テレビを見ながら、ぼーっとこんな事をを考えていた時、看護師さんとケアーの人たちが5人ほどで乱入してきた。「失礼します!ちょっとだけ、イアホンを外してもいいですか?」「???、いーですよ。???」「はっぴばっすで、つーゆー。はっぴばっすで、つーゆー。はっぴばっすで、でぃーあ西嶋さーん。はっぴばっすで、つ〜ゆ〜。」パチパチパチ・・・、あー、なるほど。そう言えば毎月、イベントの時にその月の誕生日の人を祝っていたっけな。今日はお祭りで、ドタバタしているから、段取りがこうなったのだ。ベッドを囲んでの祝福の歌と、誕生日カードをうけとった。妻も、首をうごかして「ありがとう」という気持ちを表しながら、左足を蹴り上げるように動かした。身体中で歓びを表したのだ。ほらね、色々出来るようになってるんです。

鉢巻をした妻の写真を息子にメールした。「おかあさんが鉢巻している姿、生まれてはじめてみたよ(笑)」と返信があった。

未分類 | 21:37:39 | トラックバック(0) | コメント(3)
スギちゃんの勝ち
今日は「い」「く」とやっていたのに、端座位30分でぐったりしてしまった。もう目がまったく開かない。歯磨きしても、目を閉じっぱなし。車椅子に乗る気ゼロ。しょうがないね、こう言う時は、志村どうぶつ園しかない。先日、途中打ち切りだったこともあるのだろうが、この威力は確実である。ローラとヒヒのみみきちの場面から、続きをスタートさせたのだけど、あっというまに目がパッチリだ。看護師さんが「西嶋さん、ビデオみているの?」と尋ねてきた。どうも、意思をもって見ていると思っていないようだ。もうテレビドラマだって、バラエティだって、意思をもって見ていることは確実だけど、そこは「遷延性意識障害」というラベルがペタリと貼付けられているので、この反応のほうが当たり前だろう。ぼくは「志村どうぶつ園は確実に目をパッチリしますよ。あとは、SMAP関連は人気です」と答えた。「へー」・・・と、不思議そうだった(笑)医学の常識の中にいると、目の前の現実がここにあるのに、それを不思議そうに眺めるといった感じかな。自分の目をもっと信じて生きていけるといいのになぁと思いながら、曖昧な会話は終了した。

まぁいい。妻の目はますます、輝き始めている。スギちゃん。<赤ちゃんカンガルーと5ヶ月間・・・涙の最終回>だ。そりゃ、一番熱い場面だもんね。動物の赤ちゃんと人情シリーズだ。お人好しのスギちゃんが、赤ちゃんカンガルーを育てて来て、慣れて来て一番かわいいところを引き離すわけだ。別れの場面を盛り上げる為に、出会いを企画するという、なんともせつない話しであるが、ここだけを切り取るとグッと来てしまうのだ。妻の目は、するどく真剣な瞳で、その中にどこか悲しみを感じる。泣いちゃうんじゃないの?と思いながら、その顔を面白がって見ている僕。「じゃあね。ロカ」・・・泣いちゃったのはスギちゃんだった。それにしてもテレビ好きな妻。真剣な目のままだったから何が画面に映っているのかな?と思ったら、何も映っていなかった。DVDRは終了していた。ありゃりゃ・・・「どうするの?車椅子?他になにか見るの?」<パチリ>・・・何か、他に見たいようだ。じゃぁ、今日はビデオ鑑賞日にしましょう。もう100枚くらいが、机の中にある。過去に見せて、そのときは目を閉じていまっていたバラエティなどもある。たしかこれはそうだったように思う・・・と、女子アナ対決を見せた。面白いのかな?それとも、自分では選べないから、しょうがないと諦めているのかな?でも、その真剣な瞳は輝きつづけている。

こんなことばかりしているとバカになる。区切りのいいところで、シャットダウン!少しぐらい、筆談をしましょうよ。車椅子にのらないくてもいいです。ちょっとやりにくいけど、筆談やろうよ。・・・と、やりはじめたら、目はしっかりと閉じられていました。バラエティ見すぎたね。つかれちゃったね。。。。おしまい。

未分類 | 17:48:40 | トラックバック(0) | コメント(1)

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