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T.Nishijima

Author:T.Nishijima
2010年2月に妻が脳幹出血で倒れる。2013年3月に白雪姫プロジェクトと出会い、積極的なリハビリアプローチを始めるため、その回復への道のりを記録しようと日記をはじめました。また、このプロジェクトの存在を知ってもらいたいと思っています。
http://www.shirayukihime-project.net/

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生きること
星も植物も動物も人間も、生命は生まれた瞬間からカウントダウンがはじまるという事実は、当たり前のことだけど、いつもそのことを意識して生きている人はいない。きっと、身近に生命の危機を感じたり、身近な方が他界したりすると、そのことに向き合うことになる。とても大切な瞬間だ。

誰だって、身内が他界すれば悲しい。身近な人であればあるほど、そうだろう。だけど、最近思うのだけど、本当に本質的に悲しいことなのだろうかと思う。生理的にはこの悲しみはどうしようもないのだけど、悲しいだけでないのだろうと、最近は思っています。

他界ということばはいい。他の世界へ旅立つという言葉、これはいい言葉だと思う。これが本当だとすると、あちらの世界では、誕生ということになる。そう考えると、やはり魂は循環しているのかもしれないとか考える。毎年咲く桜は、そのことをわかりやすく僕たちに伝えているのかもしれない。

妻のおばさんが他界した。妻が倒れてびっくりして、あれは最初の病院にいた頃だったから3年半前だと思う。もう高齢だから、きっと東京へくるのはこれが最後になるだろうと言って、妻を見舞ってくれた。そのあとも、色々とお世話になった。定期的に妻のことを伝えたり、電話をしていたので、体調のことは聞いていた。しかし、やはり悲しい。

妻におばさんの話しをした。<わかった。理解した。>というように、しっかりと僕の目を見つめ返して、口を大きくうごかした。こんなときに、言葉を読みとれればいいのにと思う。伝えたことがどっと流れ出している瞬間だ。でも、僕にはわからない。端座位をしながら、おばちゃんの話しをした。

アフリカのどこかの種族では、誰かが他界してもそれは死んだことにはならなくて、みんなが覚えているうちは<生きている>と考えるんだってさ。そして、みんなの記憶からその人が忘れられたとき、その人は<死んだ>ことになるんだ。これは、すごい考え方だね。たしかに、訃報をもらわなければ、僕らの中ではおばさんは生き続ける。悲しみは知る事でやってくる。でも、しっかりと知ったほうがいいと思うよ。・・・・

実際、人は人との関係性の中で生きているわけです。他界した方の影響をうけて、がんばったりすることもあります。そういう意味では、たしかにその方は存在しているとも言えます。そして、その影響力がなくなり、忘れられた時、悲しみを誰に与える事もなく、去っていくのです。

そんな話しをしながら、端座位を25分とった。今日はドクターXとワンスアポンアタイムを録画して持って来た。あまり見る気分でもないかな?と思いながら、見る?と聞くと、なんとなくどーしようかなって思っている様子だった。やめておこうか?というと、やっぱり見るということになった。今、ドクターXが終わり、ワンスアポンアタイムに突入した。
でも、今はテレビをみながらも、きっと気持ちはあっちへ行ったり、まだもどってきたりといったところだろう。
画面はついているし、目はしっかりあいているけど、今は画面をぜんぜん見ていない。
呼吸もすこし乱れている。そうだよね。今日の夜は長い夜になるだろう。
思いは幾重にも重なり巡ることだろう。
妻が最初に作った詩のなかに、長い夜の話しがあったな。

『強き夜 どれくらいの暗闇か 図りかねつつ朝を待つ』

今日はうとうとするまで、ベッドサイドにいることにしよう。
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