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T.Nishijima

Author:T.Nishijima
2010年2月に妻が脳幹出血で倒れる。2013年3月に白雪姫プロジェクトと出会い、積極的なリハビリアプローチを始めるため、その回復への道のりを記録しようと日記をはじめました。また、このプロジェクトの存在を知ってもらいたいと思っています。
http://www.shirayukihime-project.net/

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ベッドサイドからの景色(13)
<転院、そして転院また転院>
2010年の一年は、妻の転院に追われる一年だった。奥沢病院に入院していた、この夏。そろそろ、療養型の病院へ入ることを考えていかないといけない時期だ思っていた。妻が倒れてから半年が経ち、おしっこを自力で排出が出来るようになった。発熱は続いているが、安定している日も多くなってきた。7月14日に面接にいった療養型病院はとてもいい病院でした。リハビリを積極的にやることを目的とした療養型病院で、設備はもちろん、多様なリハビリを行う専門家スタッフがそろっていていました。寝たままでお風呂にも入れるシステムもありました。これは、とても魅力的です。定期的に全身お湯につかれるなど、素晴らしい!すぐに申込書を書いて7月21日に提出しに行きました。しかし、こういう人気のある病院は、当然満室ですし、だいたい1年待ちという状態でした。またリハビリを中心としている病院でしたので、入院期間も半年~1年ということが条件づけられていまいした。しかしこれまで1~2ヶ月で転院を繰り返していたので、半年でも1年でも、同じ病院に入院できることは、僕としても精神的に落ち着けますので、まずはこの病院へ入ることを目標にしようと思いました。

この病院を見に行った時に「あれ?」っと思ったことがあります。最初の救急病院から転院を促された時、何故この病院がリストアップされていなかったのだろう?と不思議に思いました。場所的にもリストアップされてよいはずですし、金額的にも折り合いがつく病院でした。何も月40万の病院だけ紹介してくれなくても、こういう病院もあると、何故教えてくれなかったのだろう?と思いました。これは想像でしかありませんが、半年から1年、もしくはそれ以上、待ち時間があるということで、紹介するリストからは、はずされていたのでしょう。しかし「そりゃぁないんじゃない?」と思うのです。最初の病院のソーシャルワーカーからすれば、すぐに転院できる病院だけの紹介ということだったのでしょう。しかしそれは、僕ら、患者の家族にとっては、大切な情報をひとつ削られたのと一緒でした。教えてもらっても、あの5月の時期にここに入ることは出来ないとしても、療養病院でもこのような病院があるという情報は大切なことだったのにな、、と思いました。しかし、大切なのは「今」です。今、この病院にちゃんと巡りあえて、入院できるチャンスがやって来たのだから、これで良し!です。希望する急性期病院での入院を半年以上続ける事が出来て、次のステップとして理想の療養病院に巡りあい、入院へアプローチすることが出来るのです。その上、この理想的な療養病院を目指すために、奥沢病院が転院の繰り返しを駆使した体制でサポートしてくれるのです。こんな、幸せなことはありません。

入院している本人は、どうなのかわからないけど、病院に通いながら仕事をしていた僕にとっては、1ヶ月という期間はまさに、あっという間に過ぎていきました。あっという間に、真夏から秋になり、11月になった。2度目の奥沢病院での妻の持ち点はまたもやあっという間にゼロ点になっていました。そろそろ、次の転院の時期である。妻に「あー、またゼロ点の女になっちまったんだぜ。」などと、冗談を言ってみるのですが、妻には何の事だかわからなかったでしょう。いつものように、無表情にどこかを見ているだけでした。

11月4日(木)に病院へよったときのことだ。奥沢病院のソーシャルワーカーさんから「西嶋さん。療養病院のベッドが空きました。行くのなら今です。ベッドが埋まれば、また次がいつになるかはわかりません。」と話があった。僕はもちろん「お願いします。」と即答しました。なんと11月8日(月)に転院することになった。慌ただしい展開だが、これで、持ち点ゼロから脱出できることになった。

11月8日(月)朝、8:00に奥沢病院へ行き、荷物の整理をした。
チャーターした救急車型の車は、9時過ぎに来る予定だ。9時半に奥沢を出て、療養病院に11時前につく予定だ。2回目の転院からこの救急車の会社の常連となり、同じ担当者がついてくれるようになっていた。この担当者の娘さんが芸能関系でダンスをがんばっていることなど、車の中で話たりする関係になっていた。奥沢病院の外来は9時スタートだ。この日は松村先生が外来を受け持っていた日だったので、挨拶が出来ないなぁと思っていた。妻をストレッチャーにのせて、運ぼうとしていた時、松村先生は、外来をちょっと抜け出して、妻のところに来てくれた。そしてこう声をかけた。「清美さん、またねー!」こんな、優しい言葉って他にある?半年先、一年先、転院しなくてはならなくなったときには、ここ奥沢に戻っておいでと声をかけてくれたのだ。不覚にもぼくは涙で声が出なくなってしまい、お礼の言葉も言えず、先生と握手をして頭を下げただけで、泣きながら救急車へ乗った。たまらなかった。この「またねー!」は一生忘れられない言葉になるだろう。
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