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T.Nishijima

Author:T.Nishijima
2010年2月に妻が脳幹出血で倒れる。2013年3月に白雪姫プロジェクトと出会い、積極的なリハビリアプローチを始めるため、その回復への道のりを記録しようと日記をはじめました。また、このプロジェクトの存在を知ってもらいたいと思っています。
http://www.shirayukihime-project.net/

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しあわせの法則
朝、病院につくと、妻は気合いの入った目をしていた。やっぱりな。今週の眠り姫週間は、今日という日に照準をあわせ、しっかりと妻なりにコンディションを調整していたのだろう。

「調子はどう?きんこんの会、行けるかい?」
<うん、うん>と二回首を縦にうごかし、頷いた。

12時30分には出発したいので、今日はいつもより早くお昼の経管栄養がはじまっている。12時に処置をして、置き替えをして、ちょっと早いけど、12:20分に出発することになった。今日の行き先は、田園都市線のたまプラーザ駅そばの、国学院大学だ。土曜日は混んでいることが多いけど、今日は予想より順調だ。現地へむかう途中の道が、近くなるにつれて、思い出が溢れ出していることがとなりにいて、はっきりと感じた。後部座席からフロントガラスの外の景色を見ている顔が、明らかにそう感じさせる表情へと変化していった。僕らは20数年前、たまプラーザの近くの団地に住んでいて、そのあとに鷺沼のマンションに移って、この近辺に20年ほど住んでいた。息子たちとよく遊びに行った、卓球&ビリヤード場の前を通過し、たまプラーザの駅へと向う。奴らが道ばたで泣きわめいて動かなくなるといった、お決まりの日々を、たまプラーザ東急の前で、何度経験したことだろうか(笑)そのうちの一人、次男は今日は運転をしてくれている。後部座席から、次男の運転する姿をみながら、フロントガラスの先に見えるそんな風景をオーバーラップさせる。最高のドライブとなった。

国学院に到着したのが13:40。予想より20分早い到着だ。410教室に到着すると、妻の親友のまやちんは先に到着していた。そのあとすぐに、一緒の団地に住んでいた、長屋仲間のみっちゃんが登場した。妻にとっては、最高の親友たちだ。それから、とどめは長男夫婦と孫である。そんなみんなに見守られながら、妻の初参加きんこんの会はスタートした。

この内容は、きんこんの会の記録が後日アップされるだろうから、詳細は割愛する。しかし、毎回おもうのだけど、この会は本当に素晴らしい。柴田先生と、この会を支えてくださっている様々なスタッフに心からのエールとともに感謝をいたします。

この会の特徴は、みなさんご存知だと思いますが、障がい者である当事者の発言の場であるということです。柴田先生は、一通訳として、進行内容にはいっさい言葉をはさみません。議事進行の司会者も、障がい者である当事者が行い、柴田先生はその指示により、あっちこっちに走り回りながら、息をあげながら、通訳だけに集中しています。

「あー、そうか!!」・・・僕は今日気づきました。きんこんの会は、僕自身は今日で5回目の参加ですが、こんな簡単なことに今まで気がつかなかった。障がい者というのは、いつも受け身で生きているしかないという、社会構造になっているのです。しかしここに来ると、能動的である自分を選択できる。この選択肢は、一般社会にはないのです。この柴田先生がいる、きんこんの会には、その選択肢があります。
簡単に言えば、、、

誰もが自分の人生の主人公になれるのです。

自分の人生の主人公は自分・・・あたりまえです。
しかし、とてもへんな話しですが、現代社会の中で生活している障がい者たちは<自分の人生>であるにもかかわらず<主人公>になれずに<わき役>で生きていかざるを得ないという状況に直面しています。何と言うことでしょう。僕はこの事にまったく今まで気がつかなかった。

千葉の施設での事件についても、ぼくらより深い洞察力をもち、ぼくらよりもっと深くその状況を考えているのが、障がいをもっている当事者たちでした。これについては、きんこんの会の今日の記録を読んでいただければ、わかると思いますので、ぜひ後日読んでみてください。

後半にさしかかって、司会者より指名があり、妻が少しだけ話しをする番がきた。これまでの話しの進行に聞き入っていた妻は、まず、障がい者である当事者の立場、考えについて、健康なときには考えたことがなかったが、自分が当事者となり、初めて様々なことを理解できるようになったという話しからはじめた。それと、倒れるまで、十分しあわせだったこと、そして今もしあわせであること。それと息子たちに、人生における教訓として、人(きっと、友人、つきあいのあるまわりの人)を大切にして生きて行きなさいということを話していた。

司会の方は、僕ら夫婦をみて、結婚というのがどういうことか、障がい者となった場合の夫婦関係とはどういったものかということも話しをしてほしいということだったので、それについても話しをはじめた。

他人である夫が、自分が元気だったころより、ずっと優しくなったということを、みなの前で暴露(笑)事実であるから仕方ない。妻は、倒れたことにより、捨てられることはないだろうとは思っていたけど、他人である自分に何故、今もこんなに優しくしてくれるか?不思議におもいながらも、僕が音楽制作のディレクターの仕事をしていたことや、僕が詩をかいて妻のことを歌った「夢の雫」という歌を白井貴子さんが歌っていることや、最近の旦那は何故か私のことが生き甲斐になっているらしいなどという、ちょっとした自慢話を披露していた(笑)

僕が妻のことを書いた詞は、ほかにもあって「ベッドサイド」という詩が妻が倒れた日の夜中にできたものだった。それは、因幡晃さんが作曲してくださり「まん丸の蒼い月」という35周年記念アルバムの中に収められています。

このように、妻もここでは、自分の人生の主人公として、発言を楽しんでいたようだ。
気持ちは言葉です。その”言葉”をもっているのに、そのことを理解できていない未熟な社会があります。当事者が声をあげているのに、それを無視してしまっている社会があるのです。自分自身の人生なのに、主人公になれずに傍へ退かされてしまうのです。

きんこんの会は、そんな当事者たちが自分の人生をとりもどす創造の入り口です。宇宙のはじまりのようなものです。最後のほうに話しをされた方は、新潟から来ていましたが、きんこんの会を新潟で「雪どけの会」というネーミングで立ち上げたいと話しをされていました。それは、やはり自分の人生の主人公は自分であるということを、とりもどすための会なのだろうと思いました。

僕らは幸せなことに、僕は僕の、妻は妻の人生を生きていると実感できました。ここ、きんこんの会にくると、それをはっきりと体感することができるのです。この実感こそ<しあわせの法則>だと気がついた、今日の「きんこんの会」でした。柴田先生、そしてこの会に参加していたみなさま、ありがとうございました。
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未分類 | 23:24:00 | トラックバック(0) | コメント(2)
コメント
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2014-01-27 月 21:35:30 | | [編集]
Re: タイトルなし
いいえ、その通りだと思っています。
それを僕のほうが気にしていましたから、それを察知されていたと思っています。
もちろん、そんなことは大したことではありません。何故かといえば、僕の問題だからです。妻は、どんなに思っていても、抵抗できませんから、僕がどれだけ自然にやるかだけの問題です。ここばかりは、僕が主人公で、妻は脇役に徹してもらいます。知らんぷり作戦ですね(笑)しかし、オムツもなかなか大変です。これもまた、僕はどんどん上手になると思います。スピーディーに、段取りよく、相手に負担をあまりかけずにに、ススイと出来るようになって「あれ?、いま何か言いましたか?」・・くらいな、達人を目指します(笑)
2014-01-27 月 23:45:21 | URL | T.Nishijima [編集]
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