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T.Nishijima

Author:T.Nishijima
2010年2月に妻が脳幹出血で倒れる。2013年3月に白雪姫プロジェクトと出会い、積極的なリハビリアプローチを始めるため、その回復への道のりを記録しようと日記をはじめました。また、このプロジェクトの存在を知ってもらいたいと思っています。
http://www.shirayukihime-project.net/

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ベッドサイドからの景色(19)

「ベッドサイドからの景色」と題して書き始めた、この3年の振返りはこれでおしまいです。
今、3冊の手帳を見ながらそう思いました。細かいことはまだまだたくさんありますが、大きく振返るとこれでいいと思いました。何日書き続けたのかな?と数えてみたら、ちょうど今日で20日間でした。振返りは1週間くらいで終わると思っていましたが、約3週間ここまでの3年を毎日考えていました。それで一つ気がついたのですが、全てが何かに向かっているように思いました。最終的には、僕も妻もこの世を去るわけですが、それまでにやるべき事を、一つ一つ経験しているように感じました。

この「ベッドサイドからの景色」の最初に、書きたかったのですが、うまく書ききれなかったことがあります。下記は、今年の2月13日、Facebookに書いたいたものです。

「既に起こった未来」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2010年の今日は小雪がちらつくとても寒い日だった。
僕は朝から気功教室で1時間の呼吸鍛錬をやっていた。
一種の瞑想状態にいるわけだけど、なぜかこの日は鳥の鳴き声が気になった。たぶんあれは、ヒヨ鳥じゃないかと思う、、、

静功(呼吸鍛錬)が終わってからも気になっていて、その鳴き声の回数を思い出してみた。もちろん数えていたわけではないのだけど、リズムで覚えていた。キーキーキーキーキーキー 休符 キーキー 休符 キー それは、8分音符と4分休符のリズミカルな鳴き声だった。

ちょうどあの頃、易経に興味をもちはじめ、気功の先生のところでの勉強会にも参加するようになっていた。先生に「呼吸のときにどうしても、鳥の声が気になってしまいました。この鳥の鳴き声で、易経を占うことはできますか?6回、2回、1回です。」と尋ねてみた。

「西嶋さん。それは澤水困(たくすいこん)という卦の代一爻(初六)という意味です。この卦は易経64卦の中でも、4大難卦といって、大変良くない卦です。西嶋さん。今日はきっとびっくりするくらいの悪い事がおこります。それが何かはわかりませんが、交通事故なども含めて、とにかく気をつけてください。」・・・と言われた。いい気持ちではなかったけど、自分で占ってしまったのだから仕方がない。

それから2時間後、息子から電話がかかってきた。「おかあさんが、倒れた。立川の災害医療センターに担ぎ込まれたからすぐ向かって。」まさか、これだったのか?想像以上の最悪なことだ。病院へ間、僕はいったい何を考えていたのか?記憶がない。まだ、息子たちも到着していなかった。ICUのベッドの上で、口や鼻から管を差し込まれた妻が目の前に、物のように横たわっていた。「変わり果てた」・・・という言葉が頭の中をループしていた。

そんな時、医者から人工呼吸器をとりつけるかどうか?の決断を今日してほしいといわれる。何故こんな状態で、そんなこと聞くのかな?と思ったら、外せなくなる可能性があるからだそうだ。植物人間となって人工呼吸器を外すと死亡する場合、外すことは殺人罪となるのだ。幸い、僕らは以前に話し合っていた。あれは、エリザベス・キューブラー・ロスの本を読んだときだった。もしも、どちらか植物人間になるようなことがあったら、無理な延命は避け、先にあっちに行って待っていようと話していた。もちろん、そんなことは有り得ないと思っていたけど。

僕は人工呼吸器のとりつけはしないという決断をした。

澤水困の初六には、こう書かれている。臀株木(しり、しゅぼく)に困(くる)しむ。幽谷に入りて、三歳まで観ず。・・・これは、切り株に座ることすらできないくらいに苦しい状態で、暗闇に落ちて3年は人の顔も光も見えない、、という意味である。
妻は、まさに、そのままの状態で、暗闇に落ちていった。

しかし面白いことに、澤水困の卦全体については次のようにも書かれている。困(こん)は亨る。貞(ただ)し、大人は吉にして咎なし。言うことあるも信ぜられず。・・・これは、困窮に陥っても忍耐をかさねれば、必ず通り抜けることができると言うのだ。

忍耐については、想像を絶する忍耐をしてきたことだろう。全身麻痺により、四肢は動かず、多く語るどころか声すら失った。
しかしやり抜いた。
ここのところ、妻の状態が良好だ。困は亨る、、、通ったのだ。

まばたきや口の動き、首のかすかな動きなどで、返事を返そうとする。この日が必ず来ると信じていた。そして、妻のモチベーションが上がって来たときには、しっかり妻に寄り添いたいと思っていた。しかし今度は僕が病気になり、元のハードな仕事ができなくなった。これも一つのサインだとうけとめて、24年勤めた会社を今月15日で退社することになった。こうして僕は、妻といる時間をもらえることになった。変化の時がやってきたのだ。

長男は昨年結婚、子供が生まれ、僕らをじーさん、ばーさんにしてくれた。次男も就職が決まり働きはじめた。困難の時期を3年と考えてやり抜く目標として生きてきた。一番最悪な時期は「亨る」、通り抜けることが出来たのだろう。

目に見えぬ兆しを感じとること、僕にはそれが出来なかった。今度こそ見過ごすわけにはいかない、回復の兆しがあるはずだ。その背中を押すことを、怠ってはならない。「極まれば変ず」・・・まずは、変じてみよう。ここから「変ずれば通ず」へ向かう一歩を家族全員で踏み出してみるのだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
※ 「横浜」をつくった男―易聖・高島嘉右衛門の生涯 (光文社文庫)
妻が倒れた日、僕が鳥の鳴き声がとても気になった理由があります。それは、この本を読んだあとだったからです。横浜に「高島町」という地名がありますが、これは、高島嘉右衛門の名前が由来です。易とは別にしても大変面白い本です。


<ベッドサイドからの景色>
僕にとって今回の振返りの意味は、「行く方角は、今、歩いている道でいい」と確認するためにあったように思います。タイトルを付けスタートしてみましたが、計画的に書きはじめた文章ではありません。2010年の手帳を眺めながら、あぁ、こんなことがあったな・・・あんなことあったな・・・と、それを思い出しては、行き当たりばったりで毎日書いてはアップしてみました。しかし、それを書きながら、自分で読み返しながら思うのですが、新しい出会いを重ねながら、色々な方々に支えていただきながら、行くべき方向へちゃんと向かっていっているようだと確認できたように思います。今後は、日々のわずかな変化や何気ない思いを書いていこうと思います。
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