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T.Nishijima

Author:T.Nishijima
2010年2月に妻が脳幹出血で倒れる。2013年3月に白雪姫プロジェクトと出会い、積極的なリハビリアプローチを始めるため、その回復への道のりを記録しようと日記をはじめました。また、このプロジェクトの存在を知ってもらいたいと思っています。
http://www.shirayukihime-project.net/

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ベッドサイドからの景色(3)
そういえば3年前、50歳を過ぎてはじめてアトピーになりました。
我ながらびっくりしましたが、それはきっと精神的なショックをちゃんと正直に身体が受け止めてくれたからなのでしょう。それで、身体が表現してくれたのだと思いました。ようするに目に見える状態になったことで、「現状の体調を自覚を促し、身体と心を少し休めないとヤバイよ」と自分に赤信号を示したものだったのでしょう。全身に湿疹ができましたが、顔だけ出来なかったので、あまり周りには気づかれずにすみ、アトピーは半年ほどで治りましたが、それだけ精神的なショックが強かったのだろうと思います。そんなことを表している当時の日記です。

<2010年4月14日の日記>
今日は4/14(水)、風邪で会社を休んだ。ちょっと無理すれば行ける程度ではあったが、どうも行く気になれない。君が2/13(土)に倒れてから2ヶ月が経った。

最初の1週間は、いつ逝くか?という緊張感の中で過ごした。君が生き残ってからの1ヶ月は、長い闘いの始まりだと、気合を入れて仕事に出ていた。そして2ヶ月が経ち、ここのところ急に妙な喪失感が押し寄せて来た。なんと表現すればいいのか、、、 あえて例えれば、電車で立ったまま本を読んでいるときにページをめくってから、つり革に手をやって「空振り」したときの心境に似ている。そこにあると信じていたものがない、あの感じである。そのあるべきものを、いつも知らず知らず心が探しているのだろう。
なんともうまく表現できないこの感覚は、どうにも言葉にはできない。

そしてこんな時に病院からは早く転院しろと言われるのだ。
それは病院のせいではない、救急病院という責任を背負った立派な病院で、そこに助けてもらった。「ありがとうございます」と姿勢を正してお礼を言わなくてはならない。命の恩人である。本来はとっとと出て行かなくてはならんのでしょう。しかし、現実の法律や医療制度は、どうも我々のケースとは、うまく噛み合っていないようだ。どうも僕らは医療制度の狭間に落っこちてしまったようだ。こんなにも矛盾に満ちた状況に投げ出されている患者と家族がどれだけいるのだろう?喪失感と現実社会でのやり場のない悩み、きっとこういう気持ちの人はたくさんいるのだろうと今はじめて解る。人間とは経験しないとわからないし、そのくり返しが人生だ。

今頃こんなことに気がつく僕は未熟者だが、この現実を謙虚に受け止めてしっかり君を守り抜く決意だ。・・・なんてカッコつけてみるのだが、へなちょこな僕は疲れがドッと出て風邪にやられた。今までの僕なら「こんなことくらいで」と無理にでも会社へ出社していただろう。しかし、今は“自分自身と家族のことを考える時間”を、風邪が与えてくれたのだと、そう考えて今日は休むことにした。本来、風邪とはそういう役目をもったもののようだ。

この半年、気功を習い始めていいるが、先生の二郎さんが、どんな病気の病原菌も、必ず悪影響を体に与え、その痕跡を体内に残すものだが、風邪だけは痕跡を残さない。風邪は、休めの信号であり、うまく活用すると、体をより丈夫にしてくれるプレゼントのようなものだと言っていた。プレゼントをもらうコツはかぜ薬を飲まないことのようだ。そんな風に考えると、気も楽になり「ここはいっちょう、しっかりと休んでやるか」という気持ちになった。頭は痛い、関節は痛い、のどは痛い、、、しかし二郎さんが言うとおりに、薬は飲まないことにした。朝から納豆と大量のしょうがをすりこんで煮込み、それに長ネギの白いところをみじん切りにして振りかけて、風邪を乗り切ることにした。体調は芳しくないが、「やはり君のところへ行こう」そう決めて病院へ向かった。

いつものようにボォ~っとしながらも、瞳を上下に痙攣させたままの君が、笑いもせずに出迎えてくれた。「いつかきっと笑ってくれるのだろう。その時僕は、きっと泣いて喜ぶんだろうな(笑)」そんな空想を毎日思いながら、今日も「おはよう」を言う。そんな感動をきっと君は運んでくれるはずだ。そのために90%の人が亡くなる脳幹出血を乗り切って、わざわざ不自由な体の中にもどってきたのだろう?今ベッドの上にバカみたいにボォ~っとしているのは、子供たちと僕に、この経験をプレゼントしてくれるためなのだろうが「ちょっとやりすぎだよ」と笑いながら声をかける。涙がこぼれる。

毎日涙をこぼしながら、足のマッサージを始める。毎日泣くなんて、きっと赤ん坊のとき以来だろう。きっとこれは50年ぶりの経験だ(笑)足の裏を爪でこすりながら垢をとってやると、たまに足が動く。最初のころはおどろいて、先生に「すごいんですよ、動くんです」って話すのだが、「それは生体反応、いわゆる反射運動です」とキッパリ。「あぁ、、そうですか~、わかりました」と言いながら、僕は「しかし、それだけではないのですよ。西洋医学的にはそうでしょうが、東洋思想の観点から見ると、いわゆる“奇跡”がこれから起こるのです」と心の中で大声で叫んでいる。毎日、足ツボのマッサージを約30分、幹部へ“気”を通すことを10分、今日はその他に、顔のウブ毛を剃ってあげて、手足のアロエクリームでのマッサージ。クレヨンしんちゃんみたいな眉毛を少しカットして揃えてあげた。目が見えていたりしたら、気に入ったかどうか?訊くことが出来るのにな。

このように僕の気持ちはこの2ヶ月で、空しさも大きくなってきたようだ。ある意味、今の環境に慣れてきたから、感情も安定してくるものと思っていたが、僕の「心」は逆の危険性のある状態へと向かっているようだ。心に大きな穴が空いている感じだ。このためにここに「書き記す」ことによって、自分の感情を確認し、吐き出しておかないとヤバイと思った。今日から目の前の君へ手紙を書くことにした。いつの日か復活したときに、必ず読んでもらおう。


<気功との出会い>
2009年の1月から、妙に首から右腕にかけての痛みがあり、50肩かなと思っていた。
どんどん痛みが激しくなっていき、いよいよ腕も上がらず、右を向くこともできなくなり、そのままの状態で夏を迎えた。もちろん、ここまでには整形外科に行って、首の牽引、痛み止めの薬、MRIでは頚椎ヘルニアの症状が映し出され、首の椎間板はすべてぺっちゃんこに潰れているのも分かった。そういえば、毎年身長が縮んでいる(笑)なるほど。。。と、納得しながら痛みをどうすればよいのやらと考えていた。

そう言えば、1年くらい前にぎっくり腰をやったときに、作詞家の渡辺なつみさんが騙されたと思って、気功に行ってみるといいと言っていたのを思い出し、教えてもらっていた気功の先生へ電話し予約した。2009年7月末、気功治療をしに行ったその日、わざわざ渡辺なつみさんは来てくれていた。30分程度で治療は終わり、なんだかピンと来ないまま5千円を支払った。気功の先生からなるべく早めにもう一度来るといいと言われた。それはそうでしょうと思いながら、そんなに頻繁に通うのにはお金がかかるから無理だなと思っていた。なつみさんとはずいぶん久しぶりだったので、お茶を飲みながら少し話をすることにした。診療がおわりすぐに部屋を出て、駅に向かい歩いて行った。雨がぱらつき始めた。僕の右側になつみさんが歩いていたため、ヒョイと右を向いて、「今日はわざわざありがとうね」と言ったとたんに気がついた。「あれ? 俺、今、右向いてるね?」 「うん、向いてるよ」・・・となつみさん。
そう、気功治療を受ける前まで、ほんの40分ほど前までは、首は左にしか向けず、右方向へはまったく向けない状態ではなかったのだ。治療を終えても半信半疑で、これで5千円かぁ・・・と首を左に傾けながら支払った私は、その3分後に右に向いた頭の中で「何でか解らないけど、もしかしたら治るかもしれない」と思い、今週なるべく早い時期にもう一度治療に行こうと決めていた。なつみさんは笑顔で「でしょ?」って一言。

二回目の治療で痛みがかなりなくなったのだが、先生は「西嶋さん。気功は治療されているだけでは結局元に戻ってしまうのです。そもそも気功というのは、“人間が持っている治癒力”を最大限に引き出すための能力開発法であって、自分でやるものなのです」と言われたのです。実際、たった2回で痛みがほとんど消えたこれを、自分で手に入れることが出来るのであれば、当然自分でやるべきだと、8月から気功教室に通い始めた。

何度、妻を誘ったことかわかりません。1度つれて行ったけど、結局妻はサウナの方がいいって言う。無理やりやらせておけばよかった。後悔先に立たずというわけだ。しかし、もしかしたら僕は妻を治すために気功を始めていたのかもしれない。そんな思いで、毎日ベッドサイドから妻へ気を送りつづけている。それは今も変わらない。一般的に奇跡といわれる状態までは、妻を回復させるつもりだ。医者はいい話はしないが、誰がなんと言おうと「奇跡」を「普通」のことと信じてやりぬくつもりだ。何より大切なのは、妻自身が己の力を信じて、気持ちをしっかりと持ってやりぬくことだ。その覚悟があるから、この世に残ったのだろう? 僕はしっかりサポートをする。必ず出来るだろうとは思っていた。

<白雪姫プロジェクト>
ところが、先週の日曜日、3月24日に白雪姫プロジェクトと出会い知ったこと。それは、しっかりとリハビリをやっていけば、当たり前なこととして回復の可能性があるというのだ。僕は奇跡をおこそうと考えていた。しかし、奇跡は確率が低いから、周りから奇跡だと思われるわけだ。なんと、奇跡ではないのだ。何方かと言えば、奇跡じゃないほうがいいのだ。当たり前なこととして、努力が出来る。それは、どれだけ希望に満ちた考え方であろうか。本当に出会えてよかったと思った。その晩すぐに山元加津子さんにメールをした。忙しい方だから、返信など期待していなかったが、すぐに返信をいただけて、またびっくりした。そして、そのやりとりの5日後には、このブログを立ち上げることとなった。僕自身にとって、この3年間をしっかりと振返り、未来に向う、そんなチャンスとの出会いでもあった。
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未分類 | 21:37:20 | トラックバック(0) | コメント(1)
コメント
初めまして
かっこちゃんのメルマガを通しておじゃましました。
歌が心にしみてきました。
直接何もできませんが、拝読させていただき、いつも 祈らせていただきますね。
応援しています。
2013-04-01 月 07:42:57 | URL | きょん [編集]
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