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T.Nishijima

Author:T.Nishijima
2010年2月に妻が脳幹出血で倒れる。2013年3月に白雪姫プロジェクトと出会い、積極的なリハビリアプローチを始めるため、その回復への道のりを記録しようと日記をはじめました。また、このプロジェクトの存在を知ってもらいたいと思っています。
http://www.shirayukihime-project.net/

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ママ泣かないでね(GSM in KOUNOSU)


今日は、鴻巣でのきんこんの会(略して何故かGSM)に参加させていただきました。この会は、本当にすばらしいの一言です。タイトルは、みなさんの七夕の短冊に何を書く?というテーマの言葉の中のひとつです。あまりに素晴らしい言葉の連続で、選びきれなかったので、最年少の彼の短冊の言葉を今日のタイトルとしました。

他にも覚えている範囲でですが「心を大切に」「みんな一つの命」「よい光を!」「夢を広げよう」「僕も人間だ!」「愛する仲間たちよ・・・」「願いはありません」→改め「奇麗な声で歌いたい」などなど、この会に参加することで、本当に「深くて美しい言葉」=「心からの気持ち」を受け取ることが出来る。「みんな一つの命」は、いつもかっこちゃんが伝えてようとしている気持ちと同じことを言おうとしているのだろうと思うし、「願いはありません」は悲観的な言葉ではなくて、あるお嬢さんの作品を柴田先生が聞き取って、それを今日歌ったのですが、それで夢がかなっちゃったから、嬉しすぎて今年は、短冊にかく言葉がなくなっちゃった・・・という、喜びの言葉です。しかし、話をしているうちに、私もあの歌を歌ったお姉さんのように、奇麗な声で歌える日がくるといいなという願いになっていって「奇麗な声で歌いたい」という言葉が、会話の中でうまれて、今年はこの言葉を短冊に書きたいと言っていました(笑)なんて素直で素敵な言葉たちでしょう。

今日も本当に来てよかったです。昨日、妻に「明日は、埼玉できんこんの会があるから、それに行ってくるよ。だから、明日はこれないけど、明後日くるよ」と話したら、首を横に振られたので、じぇじぇっ!と思ったのですが「いやいや、ダメではありません。それは、きっとハイと言いたいのに、勝手に首が違う方向に動いたのでしょう」と妻に言葉を残し、サササと踵を返した。うーん。文章はむずかしい。これでは、理解していない冷たい人のようだ。でも、そうかもしれないし、ここではこれ以上、このことでスペースを取らないようにしよう。

で、今日も来てよかったという話の続き。
本当にすばらしい会です。何より当事者が主役とはっきりとしていて、相変わらず柴田先生は、ヘロヘロになりながらも、いつものポーカーフェイスでひたすら皆さんの言葉を通訳しつづけていました。

今日の参加者の中にHさんという男性がいました。ほとんどの方は、親子での参加ですが、彼らは夫婦でいらしていました。僕の涙腺はすでに他の子供たちの言葉でゆるんでいたのですが、Hさんの言葉で涙が溢れ出てしまいました。妻が言っていたことと同じ言葉が、そのままHさんから奥さまへ伝えられた瞬間だったからです。今、このような状態になり、大変だけどとても幸せだということ。そして、奥さまへの感謝。柴田先生が妻の元にいらしてくれた5月1日の、妻の言葉が重なるように蘇り、涙が止まらなくなりました。

あれからずっと毎日思っていたのですが、今日の皆さんの言葉、それとHさんの言葉が決定打でしたが、当事者のみなさんの心の美しさには必ず「利他性」が感じられます。人間という個性として色々なタイプはありますが、全員共通する美しさは「利他性」をもっているということです。

普通の人間(凡夫)は、利己的に生きているのが普通だと思います。そう思っている僕も、サラリーマン時代は特にそうだっただろうと思います。売上げをあげることは、他者より自分(自社)にお金を集めるための仕事をどうやってするかですから、特に男性社会はそのように成立しているのではないかと思います。

しかし、中途障害者であっても、生まれてからすぐであっても、障害をもつみなさんの言葉を聞いたとき、それは妻の言葉も含めるわけですが「利他性」へと心が純化しているのではないかと思うのです。

僕は煩悩の人で、そういう意味で煩人、、いやいやそんな字はない、凡人ですが、彼ら彼女たちは間違いなく、いつも他人を思い、他人の気持ちを見つめながら、そっと寄り添って生きています。このことを、いったいどれくらいの人が知っているでしょうか?それを実感している方々が、柴田先生やかっこちゃんや、今日の会を立ち上げたほりさんたちなのでしょう。

この方々は、それを当たり前に感じていらっしゃるのだろうと思います。こういった方々は他の方に対して、とても思いやりのある生き方をしています。この会から広げるべき事柄は、一言で言う事は難しいですが、この思いやりの心を広げるということだろうと思います。まずは参加するだけで、全員が心で受け取ることができるので、このことをもっと、しっかりと伝えて行きたいと思いました。

出産前診断の話が今日もテーマとして上がっていましたが、そこで語られることはとても大切なことで「人を排除してはいけない」ということです。排他的な精神は、とどまる事がないという危機感であるわけで、それは戦争にも繋がるということです。普通、凡人(凡夫)は「自分」と「その他」を区別して、自分を有利に、相手よりいい状態に、などと普通に差別しながら、自分は得をしたいというようなことをします。選挙を見ているとわかりやすいパターンが現れますが、様々なところでこのパターンは応用されています。

しかし「みなが一つの命を生きる」ということに、利己性、排他性はまったくありません。短冊に書く言葉の中で「絵がうまくなりたい」とか「奇麗な声で歌いたい」とかについて、自分のことだけを書くのが恥ずかしいと話していた事があります。それは、そこまではたまたま、全員のこと=利他性を語っているのに、自分だけのことをテーマにした言葉を言うのは少しはずかしいです、でもこの短冊には自分のことも書いてもいいと思って思い切って言いますと、勇気をもって話をしていました。この会に参加するみなさんは、本当に可愛らしくてたまりません。

生まれながらに障害を持つ女の子が、自分は最初から障害があると思われて生きて来たので、それは周りもわっているけど、見た目が普通なのに障害がある方は、周りの理解を得ることが大変かもしれないと気遣ったり、言葉を理解できるある男の子は、僕は愛想がよくて可愛がられるけど、言葉が伝えられない自分の仲間たちは、本当はみんな言葉がわかっているし、気持ちもたくさん溢れているのに、それを読み取ってもらえない障害者には、先生たちでさえそんな彼らには、自分より冷たい態度になると、とても悲しんでいました。

このような事実を、僕らはしっかりと受け止めて、次に何が出来るか?どう正しく伝えていけるか?を考え始めなくてはならないと思いました。彼らの利他性精神を正面から受け止めて、しっかりと向き合うことは、世界平和に通じる道であると思います。人間の根本煩悩である「自分」と「その他」を分けるという行為をもっとしっかりと考えてみる必要があると思います。自分とその他は、分ける事は当たり前です。ただ、そのことを一度意識する必要があると思います。自覚することで、排他性を今一度自問してみる。彼らはとっくに、そのことをやり遂げています。実は、変わらないといけないのは、僕らの方である事は間違いがないことだと感じました。

柴田先生は、そんな純粋な心と直接ふれあうわけで、すぐ先生の心も読み取られているわけですが、あれじゃぁ、排他的な精神が1mmでもあれば、みなそっぽを向いてしまいます。ようするに、一滴の不純物もない、健全な大人って存在するわけです。きっと柴田先生の奥さまも、かっこちゃんも、ほりさんも、お優さんも、アヤヤも、あの人も、この人も・・・・きんこんの会にはそんな人たちがたくさん集まります。

たまに僕のような、不純物も混ざったりしますが、それでも「きんこんの会」の純度は保たれながら、凡夫の心も純化していってくれるようです。一歩外にでると、すぐ不純バランスが増えるようにも思いますが、なるべくこの純度を保ちながら生きていけるように、努力していきたいと思います。


そう言えば・・・・そんなことを感じてる僕の純度はだいたい何%なのだろう?もしも、柴田先生がみんなに心を読まれているように、いつも妻に見透かされていたのかと思うと、ぞっとする。先日DVDで「だんくぼ」を見せたけど、檀ミツの胸に気を取られていたあの瞬間も僕は妻の手をとっていたように思う。

やばい。

明日は、気持ちを整えてから、手を握ることにしよう。
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