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T.Nishijima

Author:T.Nishijima
2010年2月に妻が脳幹出血で倒れる。2013年3月に白雪姫プロジェクトと出会い、積極的なリハビリアプローチを始めるため、その回復への道のりを記録しようと日記をはじめました。また、このプロジェクトの存在を知ってもらいたいと思っています。
http://www.shirayukihime-project.net/

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ベッドサイドからの景色(4)
当時の僕は、いつも気持ちがグルグルと回って、あれやこれやと思っているのだが、よく考えてみると、いったい何を考えていたのかがわからない、そんな毎日だった。身体が戦闘態勢に入っていて、血圧ががつんと上がっていたのだ。猫は猿を見つけた時、身体の血管を締め付けて脳に血液を送り、敏感な行動をとれる体勢をとるそうです。これと同じ状態だったようです。いつも眠りがあさくて、すぐ起きてしまう。妻の事、仕事の事、子供の事、etc.、色々と考える。しかしテーマが数秒ごとにコロコロ変わって、結局僕は何を考えていたのかがわからない。しかし、とにかく妻のもとに通い続け、刺激を与え続けなくてはならいと思っていた。そんな時にやって来たのが転院の問題だった。

<闘いのスタート ~転院先探し~>
当時の妻は発熱が頻繁で、それに軽い肺炎は起こすのは当たり前のようだった。嚥下は出来ず、痰の吸引は30分に一度というような状態だった。なので、最初の入院先の病院になるべくいたいから、転院先は積極的に探したくなかった。一度、病院のソーシャルワーカーから紹介された療養病床を専門とした病院へ見学に行ったが、話にならなかった。月額40万かかる療養病院を紹介する神経がわからなかった。それでもソーシャルワーカーは「西嶋さんは運がいいほうで、いつも断られるところからも、OKがとれるのです。」と、僕にとっては的外れなことを言っていた。今から思えば、それだけ受け入れ先というのがないのだということを教えてくれていたのかもしれない。しかし、これが現実だとすれば、皆どうやって支払っているのだろう? この社会のシステムは、どこかが変だと感じた。

それから転院の話はソーシャルワーカーと顔をあわせても、こちらから挨拶するだけにして、しばらく時間をかせいだのだが、しばらくしてソーシャルワーカーから電話があり相談へ行った。僕としても出て行くつもりがないわけではない。しかし、現実的に僕の希望する看護基準やら経済的な問題も含めて条件のあう行き先がないのだ。それに、週に半分以上は高熱を出す状態で何故今転院しなくてはならないのか? そもそも無理な話ではないのか? 担当医はこの状態をどうして安定している状態だと判断するのか? 僕にはわからなかった。すぐに39度になったり、氷まくらで冷やして、ちょっと目を離すと、35度を切るときもあった。それは記録としては残らないときもある。看護師さんも変だと思い、数回計りなおすとまた体温が変動しているからだ。現場の方々はとても献身的で、本当に助かった。感謝しかない。しかし、看護基準7:1の最先端の救急病院ですら、こういう事は起こるのである。そんなやり取りの中、経済的なことを含めて考えるとここしかないと勧められた病院が1つあった。その療養型の病院は、看護基準が25:1だった。夜になったら、きっと30:1以下になるだろう。ぼくは、考えさせてくださいとまた話を引き延ばすことにした。

そろそろ転院をしなくてはならない。きっとこの時間経過を計算して、あの時期からアプローチが始まったのだろう。そう考えると病院サイドの立場にたては準等な判断だ。4月27日、ゴールデンウィーク前に話し合いが行われた。ソーシャルワーカーに促され、相談ルームにいくと、担当医、看護師長が揃っていた。僕は3人に囲まれて、早く転院してほしいと告げられた。これは、病院の問題ではなく、制度の問題であることはわかっている。先生は、僕たちの命の恩人である。僕は、今の妻の状況では、いきなり看護基準が20:1以下の療養病床へ行くのには危険を感じると訴えた。この状況で転院しなくてはいけないことは、おかしいと思うのだが、先生はどう思いますか?と問うと「おかしいと思います。しかし、法律としてそうなっていて、西嶋さんお奥さんの場合、他に行く選択肢はないし、これは医者の立場で変えられることではないのです」と告げられた。私は「あと1ヶ月でも2ヶ月でもいいから、置いてもらえないか?発熱だけでも、もう少し安定するまで置いていただけないか?あるいは、看護基準が7:1の病院を紹介してもらえないか?」と訊いたが、それは出来ないということだった。そこで「他のケースで救急病院へ転院した例はあるのか?」と尋ねると「ある」という答えだった。しかしそれは、患者さんのご家族が見つけてきたのでとても特殊なケースであると言われた。その瞬間、僕はこれに懸けるしかないと感じて即答した。「では、僕も自分で探します。」担当医からは、それは大変な弊害を伴うから、薦めないと、、、これは心からの親切心で言ってくれていることも、僕には伝わってきた。それだけ、医療現場でも矛盾があるのだろう。もうこれ以上、ここに迷惑をかけられないのだ。担当医から「連休があるので、探せないでしょう。5月の中旬まで待ちますが、それまでに転院先が決まらなければ、ソーシャルワーカーの指示で転院してもらいたい。」ということだった。ソーシャルワーカーの指示、それは看護基準25:1の療養病床をもつ病院へ行くことを意味していた。受け入れの可能性があり、僕の支払いできる病院は、この病院しかなかった。僕はその場で了解をした。先生が無理をしていることも感じている。命の恩人にこれ以上は迷惑をかけられないと思った。連休明けから会社を休み、病院さがしを始めることを決意した。どう考えても、今の妻が看護基準の低い病院へ行くことは、イコール死亡する確率が高くなるとしか思えなかった。もちろん、このことも相談したが、主治医からは「西嶋さん、人間は発熱で死亡することはありません」と教えられた。そうなのか、そうなんだろうけど、、、しかし、僕は納得できなかったし、それは大変危険だと僕の中の何かが知らせていた。

連休があけた。さぁ、始める時が来た。まずは、現実論として、受け入れてくれる可能性の高い療養病床を3箇所まわった。僕の支払い能力のこともあるので、まずは紹介された看護基準25:1の病院へ真っ先に行ってみた。ここは月額22万前後だ。他2箇所の暴飲は、月額38〜40万といったところだった。

僕がまいったのは、相談にいったどの病院からもまず言われるのは、「積極的医療行為はしない方針だから、肺炎が悪化して死亡しても、それは静かに看取るという覚悟がご主人さまにありますね?」と言われることだった。言い方は様々だが、病院サイドのリスク回避としてのっけから言われるのだ。言い方はとても丁寧だが、簡単にいえば、「死亡しても文句は言わないように。」ということである。最初の病院では、僕は「どういう意味ですか?」と聞き返してしまった。しかしその後は聞き返さないことにした。よくWebでの保険契約や、購入のときに、「同意する」をクリックしてから先に進みますが、あれと同じである。同意しないなら、先へは行けない。ようするに仮に費用が払えるところで、先方が受け入れ態勢があっても、同意しないと入れないので、これは黙って「はい」のボタンを押す以外はないのだ。

しかし僕にはどうしても違和感があった。
僕たちが「今、望んでいる」のは療養病床ではない。基本的に目的がちがうのだ。妻のケースには当てはまらない。もちろん僕は医者じゃない、熱じゃ死なないと言われながらも、どうしても、もっと安定してからでないと、危ないと感じた。これは危険信号だ。諦めてはいけないと強く感じる。ただ生き延びるだけのための場所しか、僕たちの行く場所はないのだろうか? 僕らに選択肢はないのだろうか?Webで調べると、脳幹出血から生還し、自分で歩いて、自分で食事している人もいる。リハビリの方法は本当にないのだろうか?妻は復活するから生き残ったはずだ。医療保健制度というものから「復活なんて考えるな、そんな気持ちを持つな」と言われているようだ。僕らは死を待つための場所を探しているわけではない。

入院していた病院の先生や、ソーシャルワーカーも、「今の制度に、“中間”がない」という表現をつかっていて「急性期」と「療養」しかないことは変だと感じていると言っていた。しかし、今はここからは出ていかなくてはならない。とにかく妻をしっかりと守れる病院をさがそうと固く決意した。

ところが、すぐに挫けた。笑ってしまうくらいに、簡単に挫折した。
いくつかの病院に電話で相談してみると「診断書をもって代理で診察を受けてもらい、先生と話すことが出来ます。そこでの判断となります。」・・・と言われる。しかし、実際に行ってみると、医者と会うことはできない。どうして?と怒りにも似た気持ちになり、とにかく代理受診だけでもさせてほしい。先生と話をさせてほしいとお願いしても断られる。これには病院側の良心もある。どうせ受け入れないと決まっている人と会い、代理受診を5分でも受ければ、初診料を含め4~5千円をとなる。相談に乗ることもできないし、会ったところで「NO」を伝えるだけなのは決まっている。なので、会ってお金をもらうことになるのは偲びないという意味で会わないのだ。代理で説明してくれたスタッフが丁寧に、そのようなことを伝えてくれた。とにかく今の病院は相談にものってくれない場所になっているのだ。これは、どこかがおかしくないのか? こうさせているのが、医療保健制度、診療点数制度ではないのか?

ある病院では電話をしてすぐに、「こちらは急性期病院なので、無理です。」と、受付で断られることもある。妻はお金にならない患者なのだ。これはかなり難しいぞと、疲れ果てて家に帰ってベッドに横になった。もうアイデアはなかった。根性だけではダメだということが判っただけだった。担当医が言っていたことはコレだなと思いながら、悔しいけど何もすることができないままベッドに横になった。

どのくらい眠っただろうか? なんとなく目をあけて、ぼーっとしていた。
その時、携帯電話が鳴った。もう3年ほど会っていない、仕事関係の友人からだった。音楽の仕事で知り合い、信頼できる人柄で長いつきあいだが、しかしまぁ、平たく言えばただの飲み友達だ。彼女は人を癒すこと、人のためになること、本物であること、、、など、音楽と医療をつなげるビジョンをもち、医療関係者の知り合いも多かった。ずいぶん会っていなかったが、メールで妻の転院について相談できる医師や病院があれば紹介してもらいたいと声をかけていた。

彼女はまっすぐにものを考え、一生懸命に探してくれていた。こんな時ほど、人情が身にしみることはない。味方になってくれる人がいることが、どれだけ心強いことか。その彼女が声をはずませて、「西嶋さん!奥沢病院というところの院長が、話を聞いてくれるって!私の懇意にしている、とてもいい先生からの紹介で、この人なら間違いないって!その先生が、受け入れてくれると言ってくれているみたいなの。会いにいきませんか?」ぐったりしていた体に、一気にアドレナリンが流れた。会いに行く日はすぐに決まった。

平行して別ルートで、ある大学病院へのアプローチをしていて可能性もあった。僕にとっては、いったいどちらがいいのか?人間ここらへんがダメなところで、これも結局、比較論というか、まぁ、人間の「欲」の問題だろう。いわゆる、「得」なのはどちらか?をつい考えてしまう。そんな低俗な心が自分の中に見え隠れする。みっともないものだ。

とにかく、こんな状況=現在の医療保健制度、妻の立場=お金にならない患者で、病院サイドが赤字をかかえてしまう可能性がある患者・・・についての話を家族とあって聞きましょうと言ってくれている人が現れたことだけでも、これは"奇跡”の始まりかもしれないと感じた。

頭のどこかで、大学病院のほうがいいのではないか?と考えながらも、何かある種の予感を感じながら奥沢病院の院長(松村先生)との打合わせの日を迎えた。
僕は何の事前知識もなく、紹介された病院へ行き、松村先生と会うこととなった。

ここでも「気」の話になるのだが、会うなりすごい「気」が流れ込んできた。院長先生は人をつつみこむような、引き込むようなものを持っている方だった。初対面でもすぐにそれは伝わって来た。いわゆる「人気」にも通じる、人をひきつける魅力をもっている人だった。話し始めてすぐに僕は、「出会ったな」・・・と思った。僕たちを助けてくれる人との出会いは、3年ぶりの友人からの電話が繋いでくれた。

いろいろ失礼な質問もさせていただきながら、話せば話すほど、「この人だ!」という思いが強くなるそんな出会いでした。僕と会ってくれた日の松村先生は、脳幹出血を起こしてから10年診察を続けている患者さんの家への往診から帰ってきた直後だった。こんなタイミングで先生と会えたことも、すべてが繋がっているように感じた。

この方の場合は、3年程してから徐々にコミュニケーションがとれるようになり、現在では自分の口で食事をとり、パソコン(たしか左の親指が動いて、それを利用しているとのことだったように記憶している)でメールを打てるところまで回復していらっしゃるということでした。最初の2年は意識があるかどうかすら分からない状態だったそうだ。長く険しい道のりですが、このようなケースもあると励ましてくれました。松村先生と会ったときの病院のベッドは満員。ベッドの調整がつき次第、お世話になることをその場で決めた。

この打合わせのあと、すぐに妻に報告へ行った。妻に自慢したかった。褒めてもらいたかった。すごいだろ?僕らの希望通りの病院に転院できるんだよ!いや、それどころじゃない!リハビリをスタートできるのだ!これがどれだけの差かわかるかい? 「肺炎で死亡したとしてもしょうがない」と、最初に言われる病院と「リハビリをしていこう!」と言ってくれる病院とどちらがいいか? 誰でも簡単に答えは出るよね(笑)

どれだけ話したか覚えていないが、ずいぶんと妻に向かって自慢した。奇跡のシナリオはここから始まる。まず1ページを開いたんだ!
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未分類 | 22:31:16 | トラックバック(0) | コメント(1)
コメント
急性期と療養の間
こんばんは。初めまして。
私の父は事故で頭を打ち、遷延性意識障害となりました。
急性期病院から移る時、私も療養型以外に行くところはないものかと
あちらこちらの病院に電話をかけましたが、すべて断られました。
入院していた急性期病院の相談員さんから紹介された療養型病院を
いくつか見学に行きました。
どこに行っても患者さんが大切にされているような感じがありませんでした。
ある病院の看護師長は「うちには外科はないので、外科関係のことは看られません。現在入院している病院の医師から大丈夫だという太鼓判を押してもらわなければ、うちは受け入れが出来ません」と言われました。病人でなく健康な人でも、未来の健康状態の太鼓判を押せる医師は存在しないでしょうに・・・。「どういう意味でしょうか?」と聞いても
「とにかく大丈夫じゃないと受け入れられません」と師長は言いました。きっと断りたかったのだと今なら思えますが、当時は当惑するばかりでした。
その頃の父は意識が回復し、マブタの動きで返事をするようになっていました。けれど、担当医からはマブタの動きは生理的反射に過ぎないと否定され、次の病院への「カルテにも意識回復の見込みなし」と書かれてしまいました。(これは後から知りました)
担当医が認めなくても、一部の看護師さん達は父のマバタキの返事をわかってくれていましたが、看護師さんは医療の決定権を持たないのでそれは医師には伝わりませんでした。
父は結局、自宅から1時間半かかる療養型病床に転院し、そこで病棟の規則、意識障害患者への偏見と差別と戦っています。そこの看護師長からは「あんたのお父さんは、意識なんかないわよ。何もわからない人よ」と言われたり、一部の看護師からは「絶対に良くならない」と言われ、私が反論すると「あら、これが事実よ」といわれ・・・。
その病院からも今また転院を即され、どうしたものかと困っています。
自分の事ばかり書いてしまいどうもすみません。自分と重なるところが多いので
ついつい・・・。
奥様の転院の結果がどうなったのか、次回を楽しみに待っております。
2013-04-02 火 03:49:02 | URL | EKKA [編集]
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