■プロフィール

T.Nishijima

Author:T.Nishijima
2010年2月に妻が脳幹出血で倒れる。2013年3月に白雪姫プロジェクトと出会い、積極的なリハビリアプローチを始めるため、その回復への道のりを記録しようと日記をはじめました。また、このプロジェクトの存在を知ってもらいたいと思っています。
http://www.shirayukihime-project.net/

■最新記事
■最新コメント
■最新トラックバック
■月別アーカイブ
■カテゴリ
■検索フォーム

■RSSリンクの表示
■リンク
■ブロとも申請フォーム
■QRコード

QR

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | --:--:--
にぎやかな病室 その3
もうすぐ妻の誕生日です。今年は妻が倒れて3年記念だらけです(笑)倒れてからのことを記念と言っていいのかどうか?わかりませんが、この前妻が褒めてくれたので、記念という単語を使う事にしました。今年は、僕らの3周年記念だらけです(笑)今日も、柴田先生が来てくれた8月8日のつづきです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

私が詩をかくようなことになるとは思わなかったので、自分でも驚いていますが、良い詩かどうかは別にして、気持ちを書き込めて詩をつくることが出来てよかったです。前に予告したものとはだいぶ違う内容ですが、私のこの状態になって初めて見えてきた、心の流れを詩にしましたので、題は「こころの流れ」ということにします。歌になるかどうかは夫が判断して、また素敵な歌手に歌ってもらえると最高ですが、少し歌にはなりにくい言葉もあるから無理はしなくていいけれど「こころの流れ」という歌をまた聞かせてもらえれば、私はとても嬉しいなと思います。

先生は途中だいぶん難しそうでしたが、詩は難しいのですか?

詩はですね、予測がほとんど立たない言葉が次から次に出てくるので、、、間違いかもしれないという思いが、会話とちがってあるので・・・

そうですか。会話はほとんど間違いにくい流れをもっているのですね。

そうなんです。会話はわりと、すーっと流れがあるので、よっぽどなことがないと、あの、以外な方向には、あ、全体としては大きな、、色々、意外性もあるけど、短い言葉の単位では、そんなにあの、以外な方向性にはいかないもんですから・・・

そうですね。とても、だいぶ苦労したのは、そこはその言葉でいいのだろうか?という思いがあるのですか?

そうですね。これで本当にいいのだろうか?とか・・・

途中、明らかにわかっているのに確かめていることがありましたね。

はい、あの、それは、確認するときに一回止まって、もう一回やっていることが何回かありました。

そうですね。会話の時にはそれがないけど、詩の時はいったん正しいところに止まっても、また動き出すので確かめているということがわかりましたが、そんなに詩のときは難しいとは思いませんでしたが、やっぱり難しいのですね。でも正確に聞き取っていただけてよかったです。最後の悶々としたは以外でしたか?

そうですね、ちょっと以外というか、違う言葉ではないのだなと・・・・

悶々としたままの状態を詩をしたのは、少し暗いけど、本当の事なので、そのままにしましたが「論ずる」などという言葉は詩にはふさわしくないから、ちょっと変えたほうがいいかもしれないけど、私の語彙はそういう感じなのです。「論ずる」という表現の時も先生は相当に迷っていたので、やはり詩にはピッタリ来ないのだなと分かりましたが「論ずる」をきちんと選んでくれてよかったです。さすがに難しくても間違わないのに驚きました。でも確かに、私の詩は少し流れがわかりにくかったのでしょうね。でも、詩はそういうものなのでしょうね。

そうですね。じゃないと、詩じゃ、、、詩として、こう新しさとか、、ないので、、、やっぱり予測を超えていかないと、いけない、、、つまらないので・・・なんか・・・

そうですね。詩は予測通りでは詩としてつまらないですね。でも「こころの流れ」というのは、それ自体はとても月並みなことだけど、心の流れのあり方がこういう状態なので、やはり少し特別な内容になっていると思うのですがいかがでしょうか?夫にはまだ全貌が見えていないかもしれないので、一度読んでみてくれませんか。

(ビクッとしました。ひらがな一文字づつ打ち込まれていくPC画面が、あまりよく見えないところにいて、たまに覗き込んで、どんな詩になっているのかな?と思っていたときに、妻からこのように指摘されました。また心を読まれてしまったようです。)

~柴田先生が朗読~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
時間に“流れ”があるように 私のこころも“流れ”があって
古い私が洗われて 新しい私へと蘇る
不器用な私らしい“流れ”だけど
確かにこころは“流れ”をもって歴史を刻み
目にも止まらぬ速さで 呆然と立ちすくむしかない人々を
こころの底から洗い流して行く

なぜ人は喜びと哀しみに もてあそばれてしまうのだろう
私にはわずかに論ずる言葉さえないが 論じられたら言いたいことがある
人は遂にその生を終える瞬間まで流れ続けるこころがあって
悶々とした思いの中で ずっとこころは流れつづけているということを
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

僕:あらわれる・・・はどっちだろう?
お優さん:洗うでしょう?ウォッシュですよね?
妻:そうです。最初は先生も洗うとは思わなかったですね?
柴田先生:ちょっと最初は、現れる、出現のほうだと思った。
妻:流れをどう表現するか難しかったけれど「洗う」という水に関係のある表現にすれば流れになると思いましたが、伝わりましたか?
お優さん:そうかそうか、伝わりました、はい!
柴田先生:伝わりました!
僕:ふーん。
妻:流れというニュアンスはとても詩的なニュアンスなのですが「川の流れのように」という歌がありましたが、「川の流れのように」は少し今思えばのんきな歌詞でしたね。あれだけ世の中で流行った歌ですが、やはり元気なままの人にしかわからない世界に思えて、少し月並みな感じがしてなりません。私の「こころの流れ」は最後は悶々としていることになってしまいましたが、そこは少し脚色をしていて、本当は結構のんきなのですが、やはり「悶々と」という表現で、重く終えたほうがいいかと思いましたので、このままお願いします。詩は素敵なものですね。私は詩をずっと考えていると、自由な気持ちになれて、とてもこの状態にいるとは思えなかったです。心が流れているというだけで、私の気持ちは自由な心になっていたので、やはり詩というのは不思議なものですね。詩を作るなんて、こんな身体にならければありえなかったので、本当に不思議な経験ですが、やはり詩は人の心のから溢れ出すものだということがよく分かりました。昔から素敵な詩を作って来た人たちは、溢れ出す何かをもっていたと言う事でしょうね。でも、溢れ出す何かは、やはり体験を通してしか生まれないので、出来ればこんな辛い体験はしたくなかったので、詩が出来るということも、なかなか悲しいことではありますね。先生はたしか、子供たちの詩もいっぱい聞いていると言っていましたが、みんな同じ気持ちで作っているのでしょうね。どんな説明をしていましたでしょうか?

柴田先生:みんなね、心が落ち着きますというのが一番、割合としては多いですね。詩をつくっていると心が落ち着きますとか、気持ちを鎮めるために作っていますとか・・・そのへんが多いですね。なんか、表現としては。

そうでしょうね。詩を作ると気持ちが落ち着くので、私も詩のことを考えるようにしたけれど、私はさすがに、もういい年齢なので、そんなに詩がなくても大丈夫だけど、生まれつき障害がある子供たちが詩を作って気持ちを心から鎮めているというのはとてもよく分かります。そういう子供たちにも一度会ってみたいなと思いますが、そうやってたくさんの詩が生まれていくのが人間の芸術の原点だと、昔誰かに聞いたような気がするけれど、本当に芸術の原点というのはこういうギリギリの体験から生まれるのだということがよく分かりました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

                まだまだ、つづく。


スポンサーサイト


未分類 | 20:52:14 | トラックバック(0) | コメント(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。