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T.Nishijima

Author:T.Nishijima
2010年2月に妻が脳幹出血で倒れる。2013年3月に白雪姫プロジェクトと出会い、積極的なリハビリアプローチを始めるため、その回復への道のりを記録しようと日記をはじめました。また、このプロジェクトの存在を知ってもらいたいと思っています。
http://www.shirayukihime-project.net/

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にぎやかな病室 その5
妻は倒れてから新たな境地にたどり着きました。病気に感謝をしているということを、5月1日には語っていました。それから、幸せとは何か?人生とは何か?を考えつづけているのでしょう。日本伝統芸能の「能」では動きが止まった時が一番熱い瞬間だそうです。それは、感情がたかまりフリーズしていることを現すようです。にぎやかな病室も、妻の言葉をみな聴き入るようにしんみりとなりましたが、この記録が一番「熱い」瞬間だったのでしょう。

今日も、8月8日の妻の言葉のつづきです。

妻は言葉を読みとってくれる柴田先生と出会うことが出来ました。きんこんの会に参加されているみなさんも、そうですが、それは全国から考えればほんの一握りの障がい者です。言葉がないと思われながら何年も生きている方が今も世界にはたくさんいます。柴田先生との出会いによって、これまでの3年を振返りその事について、妻なりに考えていたようです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

たくさんの人が、不幸のままに死んでいったと見えるのが世の中の現実なのですが、本当にそれが不幸だったのかどうかは誰にもわからないということが私にはよくわかります。私がこうやって言葉を聞いてもらったのは私にとってはとてもうれしいことですが、言葉を聞き取れないままに亡くなっていく人が本当に不幸か?というとさえ、わからないのが人生ですね。どちらも大事なことなので、言葉はぜひ聞き取ってあげてほしいですが、聞き取ってもらえなかった人も、それも一つの人生という感覚がしきりにするので、そのことはやはり伝えておきたかったです。

先生たちはそのことに、だいぶわかっているという感じがするのですが、それは確か、優さんたちが大切なお子さんを亡くしているということと深く関係があるはずで、その状態を乗り越えている人にしかきっと分からないでしょうから、私は今の話しはたぶんわかってもらえると思ってしたのですが、そういうギリギリの現実を見据えたところからしか、やはり私たちのような状況は語り得ないのではないかと思います。先生もさすがに、声を聞いていると、この辺りはじっくりと声を研ぎすましている感じがあるのは、先生もその辺に深く考えをこらしたことが何度もあるのだと思いますが、その辺は本当に人生の、なかなかわからない難しい問題ですよね。先生をたくさんのお子さんと出会い、その中にはきっと言葉を聞きとげることなく亡くなったお子さんもいると思うのですが、その子がそれで幸せではなかったかというと、そうも言えないし、もちおん一旦聞けるようになった以上、聞く事に勢力を尽くすということなのでしょうが、、

柴田先生:そうですね、やはり聞き・・・(ここで、柴田先生は返事をしようとしていたのに、妻がそれを遮って言葉をつづけてしまい、それの通訳に柴田先生は自分の言葉をやめました)

聞き取れなかった子供たちもまた、幸せだったという感覚も大事なのでしょうね。先生の声を聞いていると、この辺は私の考えに心から納得しているのがわかるし、優さんたちも納得していると思うので、この辺は本当にすごい話しがされているのだなと思います。こう言うすごい話しが出来るような人生は、やはり素晴らしいと言わざるをえませんから、私はこの状態を、やはり神を信じたら神に感謝せざるをえないのですが、今はただひたすら夫にのみ感謝を捧げます。

夫を信じるということが私の信仰のようなものですが、色々な信ずるという言葉の対象があるのでしょうが、今私がこうして、もともと他人だった人間が、一人の人間に心を全力で注げるということに、人間の揺るぎないものを感じて、そこに一つの「芯」のようなものを感じます。先生たちもそのような「芯」に支えられているのでしょうね。そうでないと何のためにこういう事をやるのか?の根拠もなくなると思うのですが、先生たちはそのへんをどうお考えなのでしょうか?私にはよくわかりませんが、先生はたぶんあまりそういう話しを人にはしない方の人だと思うけれど、例えば今「あたなたは何を信じますか?」と訊かれたとしたら何を信じると答えますか?

柴田先生:このあいだ、あの、すごいクリスチャンの、あの、寝たきりの少年から「先生は何を信じているの?」って訊かれて、、、「君たちを信じています」と答えたら、、「そう来たか」とか言われちゃって(笑)

お優さん:清美さん、良平のことを思って下さったんでしょう?今。

妻:はい、もちろんです。

お優さん:すごい伝わってきた。本当にね。うん。“お母さん”の気持ちで答えてくださったんですよね?今、私が同じ“母親”として思っていることを、全部わかって伝えてくれたんでしょう?

妻:そうです。良平くんは柴田先生とは会っていないけれど、それが不幸だということではないというのを、きっとよくお考えになっていると思ったので、私はその辺に付いて色々と考えることがあったので、さっきの話しをしても大丈夫だと思いました。

お優さん:ありがとう。ありがとう。すごい嬉しかった。ありがとう。

妻:私は、子供たちは元気だし、子供たちはたいして心配かけることもなく、育っていったので、母の気持ちといっても、本当はわからないかもしれないけど、こういう状態になって、やはり、そういう事についても真剣に考えられるようになったので、優さんは何故ここまで私に尽くしてくれるのかを考えると、そこに亡くなられた息子さんを考えない訳にはいかないし、娘さんもここまで一生懸命になっておられるのは、弟さんでしょうか?・・・弟さんの存在を抜きには考えられないと思うので、そう言う意味で大きな存在として今も生き続けているのでしょうね。そのお子さんにも一度お会いしたかったような思いがします。そういう形で人は人を変えていくのだなというのも実感です。いつか今のことをまた、詩か俳句か短歌にしたいと思います。人が人を変えていくという、この重たい事実は、やはりこういう立場になった人間にしか分からないところがあるので、人が人を動かす時に、実は自分が全く動けないということだってあるのだということを、実感しているので、その辺がなんとなく言葉になりそうです。「動けない我が身が人を動かせり」・・・などという言葉でむすびつけていけば、きっと詩か短歌か俳句になりそうなので、動けない私が人を動かすというキーワードをうまく形に出来たらと思います。

さすがにすごい気持ちのやりとりになってきて、私は心から感動していますが。身震いひとつ出来なくなっているけれど、さすがにさっきから身震いしはじめていますが、分かりますか?

柴田先生:わかりますよ。
お優さん :わかりますよ。
(二人は同時。僕はわからない)

そうですよね。本当にすごいことを話せていて、私は本当に不思議な感覚に包まれています。優さんたちの家族の中にいる良平くんの存在は、私の家族の中にいる私の存在に繋がってくるので、私は今確実に息子たちを動かせていると思うし、息子たちも私の顔を見ながら今、懸命に心の中で様々なことを考えていて「本当に生きるとは何か?」などを、息子たちはようやく考えられるようになったので、 私の存在が大きな力をもっていることが分かるようになりました。私は何も出来ないのに、ここまで息子たちを動かせるのかと思うと、本当に神秘的な思いさえします。神秘的と言うとまた少し神がかって聞こえるかもしれませんが、動けない人間が人を動かせるというのは、神秘的以外の何者でもないと思うのです。

動けない私が・・・という詩もありました。どういう詩でしたか?

柴田先生:えとね。、、、動けないということは、、、なんか、動けないと考えるんだけど、動かない・・・なんか、自分の身体を縛っていたものが、ふっと解けた・・・という詩がありましたね。

そうでした、刺の生えた「花きりん」という詩でしたね。「花きりん」の詩の中に、動けないという詩があったと思うのですが、それですね。私が昔、星野富弘の詩をよんで、ふーんと思いながらも、すごいことを平気で言う人だと思っていましたが、本当にすごい言葉ばかりだったなと思います。これは夫にお願いですが、家のどこかにあの星野富弘の詩があると思うので、それを探してもってきてください。私、今ならあの詩のすべてがわかると思うので、あの頃は、ふーんというか、そんな人がいるんだという感じで、チャラチャラ読んだ感じがするんですが、今ならまさに私の心そのままだと思うし、あの時、読み飛ばしていたはずのものが、こんなに思い出せるなんて、人間の記憶もすごいですね。私の身体の中にちゃんと記憶されていたのだとよくわかります。星野さんとも会ってみたいです。あの人は今どこにすんでいるのですか?

柴田先生:群馬のほうにいて、、、年齢が、僕の一回り上・・・
~ この時、アヤヤがiPhoneで星野さんの詩のサイトをみつけて、いくつかの詩を読み上げてくれた ~
妻:それ、インターネットですか?
アヤヤ:そうです。レンギョウもありましたよ。・・・と読み上げる。
妻:花きりんを読んでくれますか?どんどん出て来ていますね、びっくり!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

はなきりん (アヤヤが奇麗な声で朗読してくれました)

動ける人が
動かないでいるのには
 忍耐が必要だ

私のように 動けなものが
 動けないでいるのに
  忍耐など 必要だろうか

そう気づいた時
私の体をギリギリに縛りつけていた
忍耐という棘のはえた縄が
「ブッ」と解けたような 気がした

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まさにその詩でしたね。その気持ちは実はまだ、そこまで行けていないので、今の私にはまだ忍耐が必要ですが、そういう心のあり方にはとても共感できるので、今の詩を聞くだけで、私の心はまた素晴らしい世界に行けたような気がするので、本当にすごいですね。ぜひまた、星野富弘の詩をどこからか捜し出すというか、インターネットでいいから・・・
アヤヤ:いっぱい出て来ていますよ。
妻:そうですか、インターネットでそんなに載っているなら、詩集は捜さなくてもいいけど
一同笑
アヤヤ:花の名前がたくさんあるのですね。題名が。
妻:花の絵と一緒に、花のことばがそえてあって・・・私たちの世代の人は、その詩集はきっと一度は手にとっていると思いますが、、、先生それは、もう30年も前のことですか?
柴田先生:たしか30年くらい・・・1980年代前半に売れたと思うので・・・

妻:そうでしたかね。私も結婚の前後だと思ったから、確かにもうそのくらい経ちましたね。でも、さすがにその人ももう60才を過ぎましたか?確か若い時の傷でしたね。どこかの学校の先生ではなかったですか?
柴田先生:群馬県の学校の先生で、クラブ活動の指導中かなんか、、新任の一年目の時で、、、
妻:そうですか。新任の一年目からこの状態になって、色々あって、そういう詩や絵を書くようになったんでしたね。その人はしゃべれるのでしょうが、詩や短歌は、しゃべれてもこの状態なら、ほとんど同じですよね。まさか、そんな話まで今日出来るとは思わなかったけど、やはり詩というのは不思議なものですね。今度もまた詩を作っておこうかなと思って、今、気持ちが燃えはじめたので、またぜひ今度も詩を聞いていただきたいと思います。これは、夫への質問ですが、さっきの詩は歌にはなりませんか?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

※「こころの流れ」
時間に“流れ”があるように 私のこころも“流れ”があって
古い私が洗われて 新しい私へと蘇る
不器用な私らしい“流れ”だけど
確かにこころは“流れ”をもって歴史を刻み
目にも止まらぬ速さで 呆然と立ちすくむしかない人々を
こころの底から洗い流して行く

なぜ人は喜びと哀しみに もてあそばれてしまうのだろう
私にはわずかに論ずる言葉さえないが 論じられたら言いたいことがある
人は遂にその生を終える瞬間まで流れ続けるこころがあって
悶々とした思いの中で ずっとこころは流れつづけているということを

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

僕:歌にはなりにくいかな。んー、だけど、あの、直しちゃうとあまり面白くないから、違うアイデアをちょっと考えてみる。
妻:わかりました。あなたは、その専門家なので、お任せするしかないけれど、・・・
お優さん:あー、今笑ったでしょう?
妻:そうです、笑いました。良い笑顔が出たのかしら?私たちの笑いはいつもこんな感じでしたから、良い笑いが出て嬉しかったです。
お優さん:うん。私も嬉しい。
妻:良い歌になったら本当に嬉しいけれど、歌でなくてもいいけれど「こころの流れ」という言葉を、何とかして人に伝えられたら嬉しいですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

歌にならないと言っても、笑っている妻。何か僕に期待しているのでしょう。

実は、やろうと思えば歌を作るという作業は簡単です。しかし、この詩をこのまま歌にすることは、この詩にとってベストなアプローチではないと感じました。なので素直に、歌にはならないと言っておきました(笑)
今回の詩は、とても特殊な詩です。初めて作った詩ということもあり、まだまだ荒削りな文章ですが、この詩の中には、障がい者の誇りとでもいうような、気高い魂がやどっています。そのことを考えると、簡単にメロディーをつけるわけにはいかないし、簡単に誰かの声を借りればいいというわけでもないような気がします。一つアプローチアイデアを考えてあるのですが、それをどうすれば出来るのか?しばらく研究してみたいと思っています。妻にはまだ内緒です(笑)

それにしても、詩を作ろうと燃えているなんて凄い。妻もきっと、燃え尽きるまで炎のように生きるのでしょう。僕は妻を作家としてマネージメントできるようになりたいと思いました。大げさですね。そういえば、妻が演歌歌手だったりタレントで夫がマネージャーとか、良く芸能界にいますね。別れるケースも多いけど(笑)

明日はこのシリーズ最終回です。
一番「熱い」瞬間は今回でしたので、明日はあとがき的な感じになると思います。
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未分類 | 08:48:10 | トラックバック(0) | コメント(0)
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